番外編

第32話  探偵ライラ1 どんな時に言うの?

 聞き込み調査の一人目はアニータ。


「アニータさん、ちょっとお尋ねしたいのだけどいいかしら?」


 ライラは今日から三日間、アニータに諸外国の地理というタイトルで講義を受ける予定だ。これは先日のお茶会でキースヴェルを通じて依頼し、漸く実現したのである。


(あれから一か月。やっとこの日を迎えられて嬉しいわ。アニータさんにはいろいろと聞きたいことがあるのよね。だけど、まずはあの質問から・・・)


「はい、ライラ様、何でもどうぞ。私で分かることでしたらお答えします」


「学問とは関係ないことなのだけど・・・。殿下はアニータさんの前でご自身のことを何とおっしゃるのかしら?」


 唐突な質問を受けたアニータは、顎に手を当てたポーズで固まった。


(私が変な質問をしたから、アニータさん困惑??)


「それは・・・、一人称のことでしょうか?」


「え、ええ、そうよ」


「それは『私』ですね。私と殿下はお仕事上の関係ですので」


「―――なるほど!」


(困ったわ。『僕』か『俺』かを聞きたかったのに新たに『私』が登場してしまった・・・)


 ライラは今、キースヴェルがどんな時に自分のことを『俺』というのかという極秘調査を単独で行っている。何故そんなことをしているのかというと、彼が過去に数回『俺』と言っているのを聞いたことがあるからだ。しかし、その後、彼はずっと自分のことを『僕』と言っている。


(一人称の選択に何かしらの規則性があるのか、気になるのよね)


「ライラ様、他にご質問は?」


「はい、大丈夫です。解決したので、講義をお願いします」


 その後、アニータの講義は各国の食料事情を中心に進められた。休憩タイムには各国のお菓子も用意されていて、お茶会の時のように楽しく会話も弾んだ。


 講義の最後にアニータは笑顔でライラへ言う。


「ライラ様、よく頑張りました。明日も楽しくお勉強いたしましょう!」


「――――アニータ先生、ありがとうございました」


 ライラは心を込めて優雅なカテーシーをした。



―――――――



 聞き込み調査の二人目はジョージ。


「え、殿下?えーっと、『私』だよ」


(ジョージさんは私が王太子妃になっても気さくに話してくれるから楽だわ。ロザリアさんに見られたら怒られそうだけど・・・)


 ライラはこっそりと周囲を見渡す。幸い、ロザリアは仕事で不在のようだ。


「――――イラ、ライラ様?」


「あっ、ごめんなさい。ええっと、殿下は部下の前では『私』なのね」


「うん、そうだよ」


 ジョージはボーっとしていたライラを咎めることもなく、ニコニコしている。ここでライラはもう一つの質問を思いついた。


「ジョージさん、もう一つ質問をしても?」


「うん、何?」


「あの、その、アニータさんのことをジョージさんは・・・」


「あ――――、ダメダメ!?それはトップシークレットだから!!ロザリアに知られたら大変なことになっちゃうんだよー」


 慌て出すジョージ。


(知られたらダメって、何で?)


 ライラは理由を考えたが何も閃かない・・・。つい無意識に首を傾げてしまう。ジョージは動かなくなってしまったライラに近寄って、耳元へ囁いた。


「あのね。僕がアニータの家の跡取りになると、ロザリアがマイアード伯爵家を継がないといけなくなるんだよね。でも、そうすると、ロザリアの片思いが・・・」


「ジョージ!!!何をしているんだ!!」


 大きな声と共にジョージはライラから引き離された。見上げるとキースヴェルがジョージの腕を捻り上げている。


「あ――――っ、痛たたたた!!」


 苦痛で顔を歪めるジョージ。ライラは呆気に取られる。


「ねぇ、ふたりは何をしていたのかな?」


(キース、笑っているけど、目が怖い・・・)


「何って、ただお話をしていただけよ?」


 ライラは無表情で言い返した。

 

「かなり近づいていたけど?」


「それは秘密の話だからよ」


 ライラが誤解を更に深めそうな回答をしたので、ジョージは死を覚悟した。上司は妻のこととなると魔王と化すのだ。


「秘密、秘密・・・ねぇ」


「そう、ふたりだけの秘密よ!!」


 キッパリと言い切ったライラ。キースヴェルはそこでジョージに視線を向ける。ジョージは怖くて声が出ない。首を左右に振って『違う』とアピールすることだけで精いっぱいだった。


「僕には教えてくれないってこと?」


「あ、『僕』か。うーん・・・」


(今は『僕』なのね。あの時の『俺』って言葉、かなりレアだったのかも・・・)


 ライラは納得したように頷く。キースヴェルはライラの不審な行動の理由がサッパリ分からない。


「ララ、僕が何か悪い事でもしたのかな?」


 急にトーンダウンするキースヴェル。魔王ではなく子犬のようにライラを悲しそうな瞳で見詰める。しかし、ジョージを掴んでいる手は緩めない。


「うううん、キースは何もしていないわ。少し気になることがあっただけよ」


「何が気になるの?教えて欲しいのだけど」


 本人に聞くべきが否か、ライラは迷う。ここで簡単に答えを聞いてしまうと探偵ごっこが終了してしまうからだ。


 悩み込む彼女を見て、やはり只事ではないのか?とキースヴェルは不安を覚える。


(色々な人に聞き込みをして、答えを想像したかったのに・・・。だけど、確実な答えは本人に聞くのが一番よね。どうしようかな、聞いちゃおうかな。仕方ないから、探偵ごっこはまた別のお題でも考えようかな)


 ライラが悩んでいる間、ジョージは考えていた。目の前で腕を捻られているジョージのことを彼女は全く気にしていない様子。このままだといつ解放されるのかも分からない。


「殿下。僕が言います」


「何を?」


「ライラ様の質問は殿下の一人称についてでした」


「一人称?」


「―――――裏切り者・・・」


 ライラはボソッと呟く。裏切者としっかり聞こえたが、ジョージは怖くて彼女の方へ視線を向けることが出来なかった。


「僕に対して殿下が使う一人称は何か?と聞かれたので『私』だと答えました」


(なっ!?私に確認もせず、全部話してしまうなんて!ジョージの裏切者!!金輪際、あなたへの敬称は省略よ!!!)


 この場から逃げたくて仕方がないジョージは、曇りなき眼で真っ直ぐキースヴェルを見詰める。数秒の空白を経て、キースヴェルは彼を拘束していた手を離した。


「ジョージ、下がっていいぞ」


「はい!ありがとうございます!!」


 ライラはがっくりと肩を落とす。探偵ごっこは失敗に終わった。


(しかも本人にネタバレしてしまうなんて、本当に最悪)


 キースヴェルはジョージがドアの外へ出て行くのを見送ると、ライラの方へ向き直った。


「で、俺の一人称を調べてどうするつもり?」


「ああああ!!何で!?」


(どうしてこのタイミングで『俺』が登場したの!?)


「んんん?ララ、どうした?」


 ライラは突然現れた『俺』という言葉に動揺してしまった。一方、何も答えないライラを見て、もしかすると声が聞こえていなかったのか?と、キースヴェルは彼女の耳元に向かって、再度、話し掛ける。


「俺の声、聞こえてる?」


「ぎゃー!!二回も!?何でー?」


「いや、こちらこそ、何でだよ。ララ、何をそんなに騒いでいる?」


 キースヴェルは怪訝な表情でライラと視線を交わす。ライラは深呼吸を一つしてから、何を調べていたのかという説明を彼にした。


「いや、考えるまでも無いだろ」


「えええっ?全然、分からないのですけど?」


「そうか?」


「はい」


「俺の口調で分からない?」


「口調?」


 キースヴェルはピンと来ていないライラに説明した。『俺』と言うのは素の時で、王太子としている時は『僕』、上司として命令する相手には『私』を使うことが多いのだと。


「なるほど。いざ聞いてみるとあまり面白くないですね。普通過ぎて」


(もう少しひねりのある回答が欲しかったわ・・・)


「いや、酷くないか?そのいい草は」


 真剣に説明したのに面白くないと言われて、キースヴェルはイラっとした。


「じゃあ、こうしようか?」


 キースヴェルはライラの腕を掴んで引き寄せると、彼女の耳にくちびるを押し当てて、新たに考えたルールを囁いた。

 

「・・・・・・!?」


 ライラは一気に耳まで真っ赤になる。


「バカ!!本当にバカ!!!」


「ふっ、俺にバカって言うのはララくらいだ。覚悟しとけよ」


 目を細めて妖艶な笑みを浮かべたキースヴェルは、ライラのくちびるにキスを一つ落とすと部屋から去っていった。


――――取り残されたライラは床に崩れ落ちる。


(もう!キースのバカ。あああ、恥ずかしい!!!)


 ライラは両頬をてのひらで押さえて見悶えるしかなかった。


―――――――


 キースヴェルが囁いたルール。


 それは、『今後は、ララと愛し合う時だけ『俺』になるから。嫌になるほど聞かせてやるよ』という甘くて強引なものだったのである。

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