第17話 16、ほどほどに愛を深めた日

 キースヴェルがライラの呪いを解いた時、バイラ公国の魔女カッサンドラの胸には突然、差すような痛みが走り、彼女はその場に蹲った。


 そして、エスペン王国の王妃ローレンスは食事をしていると激しい頭痛に見舞われる。彼女はカトラリーや食器を床に落とすほど身悶えた後、スローモーションで椅子から床へと崩れ落ちていった。


 近くで控えていた侍女たちは突然の出来事に悲鳴を上げ、王妃ローレンスのところへ集まる。一緒に食事をしていた国王ラドクリフは、突然の出来事に混乱し固まっていた。床へ横たわる王妃の呼吸は既に停止している。これが何を意味しているのかを理解するまで、彼には少々時間が掛かりそうだった。


 魔女カッサンドラは、この胸の痛みは呪いの代償だと直ぐに気付いた。それは、クルム侯爵家のご令嬢ライラに掛けた呪いが解けたということである。当然、依頼主であるエスペン王国の王妃ローレンスも無事ではないだろうと思い至った。


 本来ならば、ここで契約は終わりである。しかし、この件に関しては後処理が必要な案件だった。野心的なバイラ公国の大公は娘ローレンスを手駒だとしか考えていない。この計画の失敗を知れば、大公は間違いなく娘ローレンスを切り捨て、新たな策と手駒を考えるだろう。


 その邪魔にならないよう魔女カッサンドラはこの呪いに関する証拠をかき消さなければならない。何故、大公の方が魔女カッサンドラよりも強い立場なのかと言うと、彼女がこの国に居住することを許可してもらう際に大公と結んだ盟約があるからだ。それは魔女カッサンドラがバイラ公国に害をなした時は、盟約の効力により彼女の命が奪われるというものである。


「大体、呪いなんて生ぬるい方法が良くなかったんだ。この際、バシッとその命を奪ってあげようじゃないか!!」

 

 魔女カッサンドラは、まだジクジクと痛む胸を摩りながら、その赤い瞳の奥にほの暗い炎を灯した。



―――――


 昨夜、ライラとキースヴェルは王宮からクルム侯爵家に戻った。そこで一つ変わったことがある。彼の部屋がライラの部屋の隣になったのだ。理由は緊急時に駆け付け易いというものだったが、ライラは何となくキースヴェルの策略のような気がしてならない。


(殿下って、噂とかと違ってかなりの策士だと思うのよね。素直に信じていたらどこまでも騙されそうな気がするから、油断出来ないのよ)


「ララ、今朝ジョージから連絡が入った。エスペン王国の王妃ローレンスが死んだ」


「えええー!?」


 ライラはビックリして、口に運ぼうとしていたティーカップを落としそうになった。


(手強そうな王妃ローレンスが死んだ!?そんな簡単に???)


「まさか、ジョージ様が・・・?」


「いや違う。ララの呪いを解いたから、彼女は呪い返しを受けて死んだんだ」


「呪い返し??」


「そう。呪いを掛けるには代償がいる。恐らく魔女カッサンドラも何かしらの代償は受けているだろう。ただ、依頼主ほどではないけどね」


「――――呪いって恐ろしいのね・・・」


「ああ、呪いなんてロクなものじゃないね」


 キースヴェルはそこまで話すと優雅な手つきでティーカップを持ち上げ、紅茶を一口飲んだ。


(私に掛けられていた呪いって、命を差し出さないといけないほど強力なものだったの?だけど、それを殿下はいとも簡単に解いたような気がしたのだけど!!)


「もしかして、殿下って、結構お強い?」


「んー?唐突な質問だね。それって魔法のことだよね?――――強いとは思う。だから、心配しなくても大丈夫だよ」


「はい。それと魔女カッサンドラのことなのですけど、彼女は殿下より本当に弱いの?」


 ライラはキースヴェルの顔を覗き込みながら、真剣なまなざしで問う。


(だって、あの魔女は指先まで恐ろしい感じがして弱そうには見えなかったわ。呪いは解けたけど戦ったら強い可能性だってあるわよね。もし、そうだとしたら、また殿下を危険な目に合わせてしまうかもしれない)


「そうだね」


 しかし、キースヴェルの答えは軽いものだった。


「ですが、私の記憶では身動きが取れないくらい怖い雰囲気で、それに強い口調で脅されて・・・」


「ふーん、カッコ悪っ!」


「え?」


「だって、子供相手に・・・」


 キースヴェルは、愉快だと言わんばかりに笑い出す。


(まあ、言われてみれば・・・、確かにそうかも・・・、フフフッ)


 ライラも釣られて笑った。キースヴェルの一言で怖いと思っていた魔女のことを、あの時はライラが子供だったから怖いと感じただけで、成長した今なら実は大したことがない相手なのかもと思うことが出来たからである。


「それよりも、ララ。僕のことを『ルー』って呼んでくれない?『キース』でもいいけど」


 キースヴェルは、ライラを隣から押してくる。


「それは少し考えてからで!!」


 ライラは照れ隠しにドンと両手でキースヴェルを押し返した。


「うわっ!」


 キースヴェルはライラがまさか押し返してくるとは思っていなかったので、反対側にコテッと倒れた。ちなみに今、ふたりが座っているのは三人掛けのソファーである。ライラが左端、キースヴェルが中央寄りの右に座っていた。


「ララ!」


 キースヴェルはライラを呼ぶ。彼はソファーで上半身仰向けになり両腕を広げてこちらを見ている。


「おいで!」


(お、おいでって、何?え、殿下の上に乗れと!?そんな破廉恥なこと出来るわけがないでしょ!!)


「無理です!!」


 キッパリとライラは断った。


「んー、ヤダ!!」


 キースヴェルは駄々をこねる。


「殿下、それはあんまりな光景なので、立場上、止めた方が・・・」


 ライラは甘えた全開のキースヴェルに注意をする。しかし、相手は曲者王子だ。そんな注意くらいではめげない。キースヴェルは一度起き上がり、ライラの両脇の下に手を差し入れるとそのまま持ち上げて一緒にソファーへ転がった。結局、ライラはキースヴェルの上に乗せられてしまったのである。


(うわっ!!顔が近い!!そんなに見詰めないで~!!)


 微笑を浮かべて、下からライラを眺めるキースヴェル。ライラは恥ずかしくて顔から火が出そうだった。キースヴェルの腕はライラを優しく抱きしめている。立って抱き締められている時よりもかなり密着度が高い。


「ララ、可愛い。重なっていると温かくて気持ちいいね」


「そ、そんな恥ずかしいこと言わないで下さい!!」


「恥ずかしい?僕はもっとララと重なりたい。出来れば、この服も邪魔だから脱いでしまいたいくらい・・・」


「!!!!!!」


(なっ、何を言うのよー!!服が無かったら・・・)


 余計なことを想像してしまったライラ。真っ赤になっている彼女をキースヴェルは可愛いと思いながら眺めていた。しかし、これ以上揶揄ったら、ライラを泣かしてしまいそうだ。そうならないように、そろそろ起き上がろうとしたら・・・。


「お洋服はないと困ります。でも、何だか・・・、殿下、いい匂いがする・・・」


 ライラはキースヴェルから漂ってくるティーツリーのような香りに気付いた。いつもより距離が近いから分かったのかも知れない。それくらい微かな香りだった。しかし、この一言がキースヴェルをドキッとさせる。程なく彼の本能スイッチも入ってしまう。


 キースヴェルはライラの腰に左手を回して器用に身体を翻した。ライラは咄嗟に天地がひっくり返って何が起こったのかと慌ててしまう。しかし、そんなことはお構いなしにキースヴェルはワナワナと動揺しているライラのくちびるへ自身のくちびるを重ねた。そして更に軽く開いていたライラのくちびるを舌で押し広げて・・・。


(えっ、ええええ・・・)


 何の前触れもなく舌を絡めるキスをしてきたキースヴェルにライラはビックリした。と、同時にあの嵐のお見合いの日にも濃厚なキスをされたことを思い出す。


(あの時は嫌で嫌で悔し涙が出たけど、今は・・・)


 ライラは両腕を伸ばしてキースヴェルの背中を抱き締めた。それはこの行為が嫌ではないという意思を伝えるため。キースヴェルは彼女が背中に手を回してくれたことが嬉しくて、キスを中断して顔を上げた。


「大好きだよ、ララ」


「―――――私も、キ、キース様のことが、す、好き」


「様は要らない」


 今、ふたりの瞳には互いの顔だけしか映っていない。ライラは、深呼吸を一度してから、口を開いた。


「ルー、大好き」


「それ、僕を止めないって受け取っていい?」


「―――――でも、ほどほどじゃないと恥ずかしい・・・」


 ライラは微妙な返答をした。キースヴェルはフッと笑う。


「分かった。じゃあ、ほどほどまでは許して」


 キースヴェルの言葉にライラは頷いた。了解を貰ったキースヴェルは、ライラの頬や額、首筋に口づけを落としていく。そして、再びライラの唇を奪うと舌を滑り込ませた。互いの舌を絡め合って右や左に顔を傾けながら、愛をじっくりと丁寧に確かめて行く。


「んん~っ」


 ライラから吐息が漏れ、キースヴェルの気持ちを更に高ぶらせる。無意識にキースヴェルの右手はライラの胸元を辿り、繊細なレースのその裏にある柔らかな肌に指先が触れた。その瞬間、バシッ!と良い音が室内に鳴り響いた。


「!?」


 キースヴェルはピタッと動きを止める。唇をそっと離し、ライラと目を合わせた。


「そこまでです」


 口を尖らせてキッパリと終わりを告げるライラ。


 彼女が赤い頬でツンとしたことを言うその姿は余りにも可愛くて“もう何なの?物凄く可愛いんだけど僕のララ!!”と、キースヴェルは心の中で悶えてしまう。


「分かった。ララの言うほどほどは、ここまでってことだね」


「はい」


 キースヴェルはライラの頬を優しく撫でた後、左腕で彼女を抱きかかえて起こした。


「あー、凄く幸せ。ララ、ありがとう」


(そんな、嬉しそうな顔で幸せって言うのね。私だって、幸せな気分なのだけど・・・)


 心の中の声を口には出さなくともライラは穏やかな笑みを浮かべており、そこからは幸福感が溢れだしていた。


 それを勘のいいキースヴェルが見逃すはずがなかった。ライラに微笑みを返し、優しく頬を撫でる。すると、ライラも同じように彼に手を伸ばし、頬を撫でた。


(殿下の頬、すべすべだわ!!国王陛下と違って御髭が這えそうな気配もないわね・・・)


 ライラは呑気に髭の未来を考えながら、なでなでとキースヴェルの頬を撫で続ける。


 一方、キースヴェルはライラの笑顔を見て、早く彼女が安全で幸せな生活を送れるようにしてあげたいと思った。そのためには、まず魔女カッサンドラをどうにかしなければならない。


『よし、次の作戦を考えよう!』と、彼は早速、気持ちを切り替えたのだった。

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