第16話 15、呪いから解放された日
王宮の南東にある第四王子宮の一室。厳重な警備が敷かれ簡単に立ち入ることの出来ないキースヴェルの私室で、ライラはベッド脇へ置いてもらった椅子に腰かけ、眠っているキースヴェルを見詰めている。この部屋に入る許可は陛下から貰った。
(陛下が私に殿下の付き添い許可をくださったから、こうやって傍にいれる・・・。だって、あんなに血を流して・・・)
先ほどキースヴェルの傷の処置は無事に終わり、今、付き添っているのはライラだけ。そして、彼は斬り付けられてから、まだ一度も目を覚ましていない。
(お医者様は命に別状はないでしょうと言っていたけど・・・)
ライラは手を伸ばし、キースヴェルの腕に触れる。
(――――温かい。ちゃんと生きてる。もう!・・・早く目を覚まして・・・)
“キースヴェルが死んでしまわなくて良かった”ライラはそう考えるだけで、はなの奥がツンとしてくる。泣いても仕方がないと分かっていても、目じりに涙が滲んでしまう。
(殿下、私を守ろうとしてくれたのでしょう?だけど、あなたはこの国を担う人なのだから、そんなことをしてはいけないわ。もう、絶対に命を懸けて私を守ろうなんてこれから先は思わないで!!私たちは互いに利害があって婚約者になったのだから・・・)
結局、考えれば考えるほど大粒の涙が溢れてきて、グズグズと鼻も啜ってしまう。ライラはハンカチを取り出して目頭を押さえた。だが、涙は止まらない。
「もう、早く目を覚まして!!それと、この呪いを解いて!!」
病人相手につい恨み節を口にしてしまう。ライラの心の中では解呪する前に持ってはならない感情が今にも爆発しそうになっていた。
キースヴェルに急いで解いてもらわなければ、今度はライラが命を落としてしまう可能性が出て来る。
「キース、起きて!!お願い、起きて!!」
腕を掴んだまま耳元に囁いて訴える。すると、キースヴェルが反応した。頭が少し動いたのである。彼は今、背中を負傷しているのでうつ伏せにされていた。
「殿下、痛いですか?大丈夫??」
続けて、ライラは小声で話し掛ける。
顔を下に向けたままのキースヴェルから、フーとため息を吐くのが聞こえた。
「無理しないで、ゆっくりでいいですから・・・」
キースヴェルは慎重に顔をライラの方へと向ける。ライラは彼のこめかみに掛かる髪を指で掬い、耳に掛けてあげた。
「ララ、怪我は?」
「その状態で私の心配?お陰様で無傷ですよ。守ってくれて、ありがとうございます」
「ああ、それなら良かった」
「いえ、全然良くないです。殿下が私を守ってはダメです。今後、こんなことはしないで下さい」
ライラの言葉を聞いて、キースヴェルは目を閉じる。
(ん?もしかして、まだ傷が痛いのかしら?)
「大丈夫?」
つい、心配で身を乗り出してしまうライラ。キースヴェルは目を閉じたままで、こう言った。
「それは約束できない」
(――――約束できない?もしかして、私を守ってはダメという話の答え?)
「どうして!!」
つい感情的な声が出た。驚いたキースヴェルはパチッと瞼を開く。
「それを答える前にララの呪いを解きたい。今してもいい?」
「殿下がいいのなら是非、私も呪いは早く解いて欲しかったから・・・」
「じゃあ、そのまま僕の腕を掴んでいてくれる?」
キースヴェルは呪文の詠唱を始めた。ライラは魔法に関する知識は持ち合わせていないので、彼が口にしている呪文が何なのか理解出来ない。ただ、しばらくするとキースヴェルの腕から温かな気の流れのようなものがライラの身体へ流れて来るような感覚した。
そして、ゾワッと何かが抜けていくような感じがして・・・。最後はパンっと弾けるような音がした。
「――――終わった。ララ、もう僕のことを愛しているって、幾らでも言っていいよ!!」
早速、キースヴェルは軽口を叩いて来る。彼は先程までライラがさめざめと泣いていたことを知らない。だから、彼女が考えたくても考えてはダメで、言いたくても口には出せない感情をギューッと押さえつけて、悶々としていたなんて想像もしてなかった。
「キース、死ななくて本当に良かった。あ、愛し・・・」
「ちょっと待って!!――――本当に!?」
ライラが、愛を囁こうとしていることに気付いたキースヴェルは、即座にその言葉を遮る。
「冗談だよね?」
キースヴェルはライラを見詰める。そこで一旦ライラは瞼を閉じ、深呼吸をした。そして・・・。
「ええ、愛してるわ。だから、死んでしまわなくて、ほ、ほ、ほん・・と・うに・・よか・・・。グスッ・・・」
話している途中から、ライラはボタボタと大粒の涙を流していた。それを目の当たりにしたキースヴェルは、完全に胸を射抜かれてしまう。
彼女はキースヴェルに愛の言葉を囁き、彼の身を心配して大泣きしている。そんな奇跡があるなんて!と神に祈りでも捧げたい気分だ。
すると突如“ライラを抱き締めたい”という感情が湧いてきた。しかし、キースヴェルは背中にケガを負い、今はうつ伏せの状態なのである。気持ちが急いても、直ぐには動けない。
改めて、身動きの取れない自分をカッコ悪いなと感じた。こうなったのは一番警戒しなければならない場面で油断してしまったのが原因なのである。彼を斬りつけて来たのは、あろうことか王家の影と言われる者。そんな身近なところに敵が入り込んでいるなんて予想してなかった。今更だが、脇が甘かったとしか言いようがない。ただ、あの状況で魔法を使わなかった自分は褒めてやりたいと思う。キースヴェルが魔法使いだと知れ渡ったら、今後の計画に多大な支障が出るからだ。
「――――グスッ。――――とても痛いのでしょう?」
キースヴェルが考え事をしていると、ライラが問いかけて来る声が聞こえた。
「あー、確かに痛いけど・・・。そんなに泣かないで。大丈夫だから」
「全然、大丈夫そうに見えない!!」
ライラの眦(まなじり)からはまた涙が零れてくる。それを眺めていたキースヴェルはこれ以上ライラを泣かしたくないと思った。
「ララ、一つ魔法を見せるから、泣き止んで!」
「うううん。ダメ、安静にしておかないと!!」
キースヴェルはライラから逆に注意されてしまう。でも、ここで折れるわけにはいかない。
「いいから、見ていて!」
キースヴェルは焼け付くように痛い背中を、慎重に両腕をついて持ち上げ始める。ゆっくりと背中を曲げないように気を付けながら・・・。時間を掛けて何とか上半身は起こした。
ライラは、心配そうな顔をしている。手を伸ばして彼を支えようにも、キースヴェルの方が体格がいいので、ライラが彼の両腕を掴んで起こすのは無理だ。それに彼の背中には大きな刀キズがあるため触れられない。見ているだけで、もどかしい気分だった。
(無事に起きることが出来たのはいいけれど、殿下は何をするつもりなのかしら?)
キースヴェルは右手の人差し指を一本立てて、宙に八の字を描く。すると指先から、透き通った蝶が沢山飛び出した。蝶たちはひらひらと舞い踊りながら、キースヴェルの周りを飛んでいる。
「治癒せよ」
キースヴェルは蝶たちに命令を出した。すると、蝶たちはふんわりと青白い光を放ちながら、彼の背中へ止まると同時に身体の中へ吸い込まれて消えていった。
(――――幻想的だわ。あの蝶たちは殿下が魔法で作り出したのよね?まるで、おとぎ話みたい。でも・・・、待って!?私、あの蝶たちを見たことがあるような気がする!!!)
「――――まさか!?」
あることが閃いたライラは両手で口元を押さえる。
「ほら、もう、本当に大丈夫だから、ララ泣かないで・・・」
キースヴェルは胸から腰に掛けて巻かれていた包帯を外し、ライラに背中見せた。彼の背中にあった切り傷は完全に消え去っている。彼はこれを見れば、ライラも安心するだろうと思っていたのだが・・・。
なぜかライラは視線をキースヴェルに向けることもなく、気も漫ろな様子。キースヴェルは手のひらをライラ頬へと伸ばして、そっと触れる。そこで、漸くライラの視線がキースヴェルの方へ向いた。
「私、あの蝶を見たことがあるわ」
ライラの言葉を、キースヴェルは頷いて受け止める。
「私が昔、ケガをしたときに・・・」
(あの蝶を見たのは・・・、私が呪いをかけられる前だった。そう、遠い記憶・・・)
「ルー?」
ライラは突然キースヴェルに向かって、ルーと呼んだ。彼は無言で頷いた。。
「ルーは、殿下なの?」
その問いかけにも、キースヴェルは強く頷いた。
――――――ライラは、今し方、幼少期にルーという男の子と、よく一緒に遊んでいたことを思い出した。そして、ライラは先ほどの蝶たちに転んで擦りむいた膝を治してもらった記憶がある。
魔女が現れて呪いを掛けられた後、クルム侯爵家はライラを守るために一切の親交を絶った。その結果、ルーと会う機会も失ったということである。
「あの子が殿下だったなんて!でも、何故、第四王子が我が家に遊びに来ていたの?」
「――――それは、僕らを婚約させようと思っていたからだよ」
「はあ?」
(何その話!?知らない!!)
キースヴェルによると王家は早めに同世代の子達の中から、魔力を持って生まれた第四王子キースヴェルにふさわしい子を婚約者として選ぼうとしていた。既に彼が王位を継承することは決まっていたらしい。
「僕は幼い頃クルム侯爵邸に遊びに行って、ララに一目ぼれした。だって、あの頃から君は物凄く可愛いかったからね!!それにララは僕をただの友達と思ってくれて、他の貴族の子たちのように王子だからと気を遣ったりもしない。それがとても嬉しくて、ますます好きになって・・・。僕ら、ここの庭でよく遊んだよね」
(確かにルーとはよく遊んだけど・・・。あれが殿下!?今まで全く気が付かなかったわ!!)
「ごめんなさい。直ぐに思い出せなくて・・・」
「いいんだ。呪いを解いたから思い出せたのだろうし」
ライラは首を傾げる。
「だって、ララは愛するということを魔女カッサンドラの呪いで禁じられたのだろう?だから、僕のことを全く覚えていなかったのは君が僕のことを好きだったからこそ、忘れたということだよね」
「なっ!?」
(確かにルーのことは大好きだったけど・・・。それを知っていたから、殿下は最初(お見合いの時)から強気だったってこと!?)
「何だか、微妙な気分・・・」
「ララ、僕が初恋の女の子に振られて、その後どうなったのかは君も良く知っているだろう?」
「えええーっ!その素行の悪さをまさか私のせいにする気?」
「素行・・・。そんなに悪くないって言いたいけど。あははは、とても言えないね。不名誉な二つ名まで付いてしまったし。でも、もう、ララの心が手に入ったから更生する!!」
キースヴェルは満面の笑顔で親指を立てている。ライラはドッと疲れを感じた。先ほどまで死にそうになっていたキースヴェルが、今は大きな口を開けて笑っているのだから・・・。
「ララ、抱きしめてもいい?」
溌溂とした笑顔で聞いて来るキースヴェル。
「先にシャツを着て下さい」
ライラは上半身裸のキースヴェルを注意した。
「ララが洋服を着ているから、このままでも素肌はさほど触れないよ」
(どういう言い訳!?――――でも、すっかり元気になったから。良かったわ)
ライラは観念してキースヴェルへ一歩近づいた。間髪入れずにキースヴェルはライラを、ギュウ~っと強く抱き締めてくる。
「僕のララがケガをしなくて良かった。そして、僕のことを思い出してくれて良かった」
ライラはキースヴェルの胸に額をつけたままで頷いた。
(私が服を着ているから良いって言っても、思いっきり殿下の胸板が・・・、素肌が・・・。これって、気にしたら負け!?負けなの??)
ライラは額に当たる素肌の感触を考えないようにする。しかし、既に顔は恥ずかしさで真っ赤になっていた。
「ララ、呪いを解いたから、魔女カッサンドラが君の前に現れる可能性がある。当分の間、いや、僕が魔女カッサンドラを倒すまでは絶対、僕から離れないでくれる?」
「へ?」
ライラは間抜けな声を出してしまった。しかし、離れないでくれる?って、どういう意味なのだろうか。今でも十分一緒にいると思うのだが・・・。
「多分、魔女に対抗できるのは僕しかいないからね。どうする?王宮とクルム侯爵家のどっちで生活しようか?」
「クルム侯爵家でお願いします!!」
ライラは即答した。
(突然、王宮で生活なんて出来るわけないわ!!)
いくら魔女カッサンドラからの襲撃対策だとしても、多くの使用人と王族の皆様が生活している王宮で、まだ第四王子の婚約者でしかないライラが生活するのは異例中の異例過ぎるだろう。仮に未来の王妃だから特別に許可すると言われてもお断りしたい。
「分かった。この後、父上(国王陛下)に報告をしたら、一緒にクルム侯爵家に戻ろう」
「はい」
「それと・・・・」
「―――それと?」
「キスしたい」
(なっ、何で聞いて来るの?いつもは突然してくるクセに!)
「してもいい?」
「――――――」
「いい?」
(そんな・・・。いいよ、なんて恥ずかしくて言えない!!)
ライラは何度も聞いて来るキースヴェルに頷いた。
抱き締めていた腕をキースヴェルは少し緩め、ライラの顎に指先を添えて、上を向かせる。少しずつ顔が近づいて行き、ライラは瞼を閉じた。
「ララ、ずっと好きだった。愛している」
囁き声の後に、そっとやわらかく唇を重ね合わす。いつもより、とてもやさしく繊細な口づけ。“愛している”という言葉をライラは噛みしめる。
(やっと、あの怖い魔女の呪いが解けたのね・・・。これから、私は人を愛し愛されることが出来る・・・)
どうやら今日は涙腺が弱っているようだ。ライラの眦から、サラサラと涙が零れ落ちる。唇を何度も重ねながら、それに気付いたキースヴェルはライラの涙をくちびるで、そっと拭った。
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