第15話 14、人生で一番驚いた日

 「キャー!!」


「な、なんてこと・・・」


「衛兵!!衛兵!!」


 宴会場に悲鳴と怒号が響き渡り、辺りが騒然とする。ライラは、目の前で起きたことに気持ちが追い付いていかない。震える手で彼の手を強く握ることしか出来なかった。


(何故、どうして!?こんなの打ち合わせになかったじゃない!!)




―――――事の起こりは、少し前へ遡る。


 隣国エスペン王国・第二王女メイス一行は昨日、我が国の王宮へ到着した。それにより、今夜は歓迎の舞踏会が開催される。


 舞踏会の会場となる王宮の宴会場には、世界で一番美しいといっても過言ではないクリスタルガラスのシャンデリアが吊るされていた。これは我が国が誇るクリスタルガラス加工の英知を集結し作成されたもので、今回の舞踏会が初お披露目の場となる。


 シャンデリアは、円形の大中小の枠から、真っ直ぐな棒が放射線状に不規則な長さで伸びており、その尖端には複雑なカットをしたクリスタルガラスが取り付けられていた。


(あの小さなクリスタルガラス同志を小粒のクリスタルガラスを散りばめた鎖で繋いでいるから、夜空へ輝く星座のように見えるのよね。んー、煌めく天球儀と言っったら良いのかしら?――――それにしても、キレイだわ!!)


 招待客たちは、初めて目にするシャンデリアへ釘付けになっていた。勿論、ライラも・・・。


「殿下、あの存在感のあるシャンデリアは、たまたま今日お披露目の日を迎えたのですか。それともワザと?」


「たまたまだよ。本当は僕たちの婚約式にお披露目したかったのだけど、邪魔が入って延期されたからね・・・」


 キースヴェルは、エスペン王国の一行が固まっている場所へ視線を向ける。今、会場にいるのは第二王女メイスに同行して来た大使や貴族たちだけだった。当の王女は準備に時間が掛かっているという理由で、まだ会場に現れていない。


 (小国エスペン王国が、大国サンチェスキー王国の王族を待たせるなんて大した度胸だわ)


 ライラは呆れていた。人との交流が下手な彼女でも、各国の序列関係くらいは知っている。


 エスペン王国の北には標高の高いペニー山脈が聳え立つ。一見、エスペン王国の鉄壁と思われているこの山脈には大きな欠点があった。それは山が険し過ぎて、北方へ人と物を運ぶ街道が建設出来ないということ。


 それ故、南のサンチェスキー王国が国境を塞げば、エスペン王国は身動きが取れなくなる。これは地形的にサンチェスキー王国はエスペン王国の命運を決められる立場にあるということだ。


 しかし、両国の歴代の王族は互いの建国理念を尊重し、長きに辺り友好関係を築いてきた。当然、侵略という言葉など歴史上一度も出たことがない。それくらい、大切な隣国として互いに認識していたのである。


 ところが今回は向こうから強引に第二王女メイスを我が国の第四王子キースヴェルへ押し付けて来た。そもそも、サンチェスキー王国はこの大陸で一番力を持つ大国なので、婚姻で周辺諸国との均衡を保つ必要などないのにである。


 この格下の小国であるエスペン王国の王女が事前にサンチェスキー王国の許可も得ず、自らを押し売りするために乗り込んで来るという行為は、誰が聞いてもこの国を侮っているとしか思えないということだ。


(エスペン王国の国王陛下は真のバカだわ。こんな喧嘩を吹っかけるようなことを王妃が言い出しても止めないのだもの。百倍有能な私のお父様だったら、こんなにバカな作戦は絶対却下するわ!!)


 ライラは父(クルム侯爵)の方を見た。クルム侯爵は玉座に座る国王陛下の横に立って、場内を見渡している。彼はライラと視線が交わった時だけ、鋭い仕事用の視線を和らげてくれた。しかし、別の方向を向いた途端、険しい宰相の顔に戻る。


(本当にお父様のお仕事って、ずっと気を張っていないといけないから大変そうだわ。でも、まあ、疲れているようには見えないから良かったけど・・・)


 キースヴェルがライラの屋敷に入り浸り始めてから、クルム侯爵は遠慮なく仕事に没頭し、王宮から屋敷に戻って来なくなった。久しぶりに父の顔を見て、ライラはホッとする。元気そうで何よりだと・・・。


「ララ、王女が到着したみたいだ。そろそろ舞踏会が始まるよ」


 椅子に座っていると後方からキースヴェルの声がした。ライラは、座ったまま真上を見上げる。すると彼女の背後に立っているキースヴェルと目が合った。


 本日の“歩くフェロモン”殿下は、上品な濃紺の衣装を身に纏い、前髪は後ろに流していて、均整の取れた美しい顔があらわになっている。また、ライラの着用しているドレスも彼と同じ濃紺の生地で仕立てられており、小物は互いの瞳の色で揃えていた。


(今日は殿下のきれいな翡翠色の瞳が前髪で隠れていないから、より攻撃力が増しているような気がする。わざわざ言うのも何だけど、本当に美しい顔・・・)


 無意識にライラはキースヴェルの顔をじーっと眺めていた。そして、彼も柔らかな表情でライラを見詰めている


 場内にいる者たちは、こっそりとこの二人を観察していた。それはこの舞踏会へ参加している国内の貴族たちに、“キースヴェル王子殿下は先日婚約したライラ嬢に夢中だ”という噂を事前に流していたからである。


 キースヴェルはごく自然に上を向いているライラへチュっと口づけをした。会場内の人々が、ふわっと遠慮がちにどよめく。


 実は“歩くフェロモン”の第四王子は言い寄ってくるご令嬢を断らないというだけで、自分から誰かを選ぶということは今まで一度もなかった。それを知っている男性貴族たちは、キースヴェルがライラに本気だという話は間違いないと確信する。一方で、何も知らずこれから会場に現れる隣国の王女への対処はどうするつもりなのだろうかと首を捻った。


 また、ご令嬢たちは“氷の薔薇”と呼ばれるライラがキースヴェルへ向ける柔らかな表情と態度に驚いていた。きつい態度をしなければ、ライラは本来とても美しいご令嬢なのである。それ故、キースヴェルとライラが寄り添う姿は美しい絵画のようだと感嘆し、うっとりとため息を吐くご令嬢も一部発生していた。


「ご静粛に!!只今より、エスペン王国・第二王女メイス殿下がご入場されます」


 司会のハムバウアー伯爵が大声を上げると場内に静寂が訪れる。一拍置いて、入口の扉が係員によって開かれた。


 会場内の中心に敷かれた赤いカーペットの先に立つ、一人の少女。


 ライラはその姿を見て、息を呑んだ。場内も一時騒然となる。その理由は、キースヴェルの隣に立つライラと隣国の第二王女メイスが余りにも似すぎていたからだ。


(殿下の予想は大当たり。私に似ている王女を寄越すなんて挑戦的ね)


 メイスは後ろに護衛を二人引き連れ、堂々と会場へ足を踏み入れて来た。そのまま迷いなく進むと国王陛下の前で立ち止まる。


「遠路遥々、いや、実にご苦労。エスペン王国・第二王女メイスどの」


 その場の誰もが驚きを隠せなかった。国王陛下が、あからさまに歓迎していない雰囲気を醸し出したからである。


「お初にお目にかかります。わたくしはエスペン王国・第二王女メイスです。末永くよろしくお願いいたします」


 メイスの返答を聞いて、今度はその場にいた全員が目を見開く。この王女も分かり易く挑戦的な返答をしたからだ。


「ふふふ、ララ。“氷の薔薇”は、エスペン王国のお家芸なのかい?」


 キースヴェルは、皆に聞こえる声でライラへ尋ねる。その声を聞いた会場の者たちは一斉にライラ達の方へ視線を向けた。


「まぁ、あの方と私を一緒になさる気?」


 ライラは扇子で口元を隠しながら、嫌そうな声で答える。


「ごめんね、失言だった!!僕の王女さま、君の気高い表情と態度はメイスどのとは全然違う!!」


(この台本のセリフって、かなり芝居がかっていて恥ずかしいのだけど・・・)


 ライラが台本云々と言っているのは、この舞踏会で演じる氷のように冷たく気高いライラのことである。台本を書いたのはキースヴェル。演じるのは、当然、ライラ本人である。


「ええ、許しましょう。私の王子さま」


 ふたりの会話を一言一句、聞き逃さないよう会場内の人々が聞き耳を立てている。それは入場してきた隣国の王女が余りにライラと似ていることと、キースヴェルがライラのことを王女さまと呼んだことにより、皆の胸の内に疑念が生まれたからだ。


“もしかして、クルム侯爵家のライラ嬢には隣国の王家の血が入っているのではないか”と。


 場内の関心がライラに向き、メイスは面白くなかった。


「国王陛下、本日は第四王子キースヴェル殿下との婚約を結ぶため、こちらへ参りました。そろそろ、殿下をご紹介いただいてもよろしいでしょうか?」


「メイス王女どの。おかしなことを申される。エスペン王国から一方的に王女をキースヴェルの元へ嫁がせると打診があったが、既にキースヴェルはライラ嬢と婚約しているのだ。よって、エスペン王国の申し出はお断りする」


「友好国の王女である私よりも、国内貴族を優先なさるというのですか。それは我が国に対してあまりにも礼を欠く行為ではありませんか!」


 強気な王女はあろうことか、国王陛下へ言い返した。しかし、ここまでは想定済みである。


「あら、メイス。あなたこそ、その発言は失礼でしょう?」


 場内にライラの冷ややかな声が響き渡った。一瞬で会場内の空気が凍る。言うまでもなく、クルム侯爵令嬢ライラが隣国の王女を堂々と呼び捨てにしたからだ。


「アナタ、不敬ですわよ!!」


 第二王女は怒りで顔を歪ませた。反して、ライラは扇を片手に冷ややかな微笑を崩さない。


「あら、不敬なのはあなたでしょう?私のことも知らずに、呑気にここまでやって来たというのなら、真のおバカさんだわね」


「そこの女!!我が国に対する不敬だ!!」


 王女の後ろに控えていた護衛騎士の一人が一歩踏み出し、剣の柄に手を掛けた。これは完全な悪手である。


 即座に護衛騎士の周りをサンチェスキー王国の近衛兵が取り囲んだ。場内はとたんに緊迫する。


「メイスどの。護衛騎士のしつけがなっていないようだ」


 国王陛下が不快感を全開にして、メイスへ告げた。


「いいえ、お約束を破ろうとしているのは、あなた方ではないですか。わたくしに注意するのはお門違いですわ」


 メイスは、相手が他国の国王陛下だということを考えていないのか、不敬な発言を重ねる。


(この縁談は策略とか陰謀とかそういうもの以前に問題だらけだわ。この王女は何も分かっていない。私の存在も知らないようだし、目上の人に対する言葉遣いや、敬う心も全く感じられないわ)


 ライラは、キースヴェルが書いたシナリオの意図も常識を待ち合わせていないと思われるメイスには通じないのではないかと危惧した。せっかく用意したのに伝わらなければ意味がない。


「ねえ、そこのアナタ。こちらに来なさい!!」


 メイスはライラへ向かって叫び声を上げる。しかし、ライラは返事もしない。


「アナタ!アナタのことよ!聞いているの!?」


 ワザとではなく思考の淵にいたライラは、メイスが自分に声を掛けていると気付くまで、少し時間が掛かっただけだった。遅ればせながら視線を向けると、メイスはすでにご立腹のご様子。


「メイス。私に御用があるというなら、あなたがここへ来なさい」


 ライラは冷たく言い捨てた。


「な、何ですって!!アナタ、私を誰だと思っているの!!」


 興奮した王女、そして近衛兵に取り囲まれても殺気を隠そうとしないエスペン王国の護衛騎士たち。


 キースヴェルが書いたシナリオ通りに進めるためにはこの後、ライラに腹を立てて、斬り掛かって来て貰わないといけない。そして、それを理由にして護衛騎士たちと王女を一旦、牢屋へ投げ込むという手筈になっているのだ。


(――――あと少し)


 地団太を踏む王女を眺めていると、皆がライラの方をチラチラと見てくる。彼らはライラが何故、メイスに対して強気なのかを知りたいのだ。単に彼女が強気な性格なのか、それとも何か裏付けとなるものがあるのかを・・・。


「ララ、宣言していいよ」


 キースヴェルが、ゴーのサインを出す。


(宣言ね・・・。はー、緊張する!!)


ライラは開いた扇子を顔に当てる。そして、一度深呼吸をして気持ちを整えるとパシッと音を立てて扇子を畳んだ。


「――――メイス、よく聞きなさい。私はエスペン王国、故レン王女の一人娘ライラ。二十年ほど前、私の母はあなたの母親に殺されたわ。そして、あなたの父親が玉座についたのよ」


 ライラはゆっくりと大きな声で宣言した。メイスは大きな瞳を見開いた後、口を開く。


「何をバカなことを・・・。第一、証拠はあるのかしら?そんな話、信じられないわ」


「証拠ならいくらでもある。レンは私の妻だ」


 国王陛下の横に立っているクルム侯爵が、その場にいた全員に向かって言った。


「メイス。国に帰って、あなたのお父様(国王ラドクリフ)に伝えなさい。必ず私の母を殺害した罪を償っていただくと」


「そ、そんな嘘で私を追い返そうなんて・・・」


 メイスは混乱している。エスペン王国から付き添ってきた大使が彼女をサポートしようと駆け寄っていく。皆の視線がそちらへ向いた、その時・・・。


 ザッと風を切るような音が背後から聞こえた途端、ライラの目の前が真っ暗になった。その理由は、キースヴェルがライラを抱え込んだからである。


 そのままキースヴェルが体勢を崩したので、二人は床へと倒れ込んだ。


 ただ、咄嗟にキースヴェルが身体を横へ回してくれたお陰で、ライラが床に強く打ち付けられることは無かった。ところがゆっくりとキースヴェルの腕を抜け、身体を起こそうとしたところで、彼女は床に広がる夥しい血を目の当たりにする。


(血!?この量・・・。えっ!?どこから?)


 ライラは慌てて起き上がり、背後にいたキースヴェルを見て絶句した。大量の血は彼は背中から流れ出ていたのである。痛々しい大きな太刀傷も見えた。


 床には血の付いた剣が転がり、一人の男が近衛兵たちに取り押さえられている。男は夜会服を見に纏っていた。彼が誰なのか?ライラには分からない。


(あの男が誰なのかという問題は、近衛兵の方や陛下に任せるとして、今は殿下のことよ。ああ、目を閉じてる。どうしよう!!まさか死んじゃったりしないわよね・・・)


 ライラの瞳からは涙がボタボタと落ちて来て、恐怖で声が出ない。


 誰かの衛生兵や医師を呼ぶ声が遠くに聞こえる。無意識のうちに彼女はキースヴェルの手をぎゅっと強く握り締めていた。


(早く止血しないと!!死んでしまう!!嫌よ・・・、そんなのダメ!!)


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