第10話 9、初めて一緒に出掛けた日 中
今回の茶会は、王都で人気のあるヘガーテ庭園の一角が会場となっている。この庭園は、併設された植物園が世界中の植物を研究目的で取り寄せて、育てていることもあって、多種多様な植物を観察出来ることで有名だ。その為、学校の校外研修先としても、よく使われる。
「ヘガーテ庭園に行くのは、二年ぶりだよ」
「研修か何かですか?それともデート?」
「ララと同じクラスになりたかったのに残念~」
「ああ、学園の研修ですか。まぁ、私、学園には一度も通っていませんから、同じクラスになるのは無理ですけどね」
ライラは、家の方針で家庭教師による教育指導を受けて来たため、外の学校に通ったことがない。他のご令嬢と距離感があるのはそういう理由もあるのだが、本人は嫌われているだけだと思っている。
「もし、同級生だったら、一緒に歌を歌ったり、スポーツをしたり、楽しかったと思うよ」
「殿下、能天気ですね。同じ学校へ通っていたとしても、殿下の近くには行かないと思います。だって、下手に近寄って、殿下の取り巻きと敵対したくはないですもの」
冷ややかな回答をするライラ。しかし、取り巻きと敵対してしまうという発言は、同じ相手が好きだと認めてしまっているようなもので・・・。それに気付いてしまったキースヴェルは、ドキッとすると同時に顔が熱くなった。だけど、ライラには何となく見られたくなくて、とっさに下を向いてしまう。
馬車の中に、しばらく、沈黙が流れた。
「どうされました?黙り込むなんて珍しいですね」
真っ赤になっている顔を見せたくないキースヴェルは、下を向いたままで黙って頷く。その行動が、逆にライラを心配させてしまうとは考えもせず・・・。
「えっ、殿下、大丈夫!?頭が痛いの?でも、変ねー。ほんの少し前まで、軽口を叩いていたのに?もしや急変!?そっちの方がマズいのでは・・・」
ブツブツと独り言を言いながら、首を傾げるライラ。おもむろに、キースヴェルの頭へ手を伸ばし、やさしく撫で始めた。完全に無意識の行動である。一方、キースヴェルの中は、嬉しいような恥ずかしいような、よく分からない感情が渦を巻いていた。いつもは自分からライラへ絡むのに、彼女から触れられると、どうしていいのかが分からない。
おかしな状況のまま、馬車は目的地へあっさりと到着してしまう。ライラは、キースヴェルの体調が心配で、扉が開かれる前に声を掛けた。
「殿下、調子が悪いのなら、今日は帰りましょうか?また、次もありますし・・・」
そこで、漸くキースヴェルが顔を上げる。ほんのりと頬が赤くなっていた。
「まぁ!!やっぱり、具合が悪いのでしょう?無理しないで、帰りましょう!!」
「・・・・ララ」
「はい?」
「馬車は、危険だ・・・」
キースヴェルが小声でぼやく。ライラは聞き取れず、もう一度聞きなおす。
「あの、殿下?」
「そんなに優しくされたら・・・。もう!俺、我慢出来なくなるから止めてー!!」
「へ?」
「へ?じゃない!!ララが頭を撫でてくれるなんて、もう幸せ過ぎるっ!!」
「はぁ?」
(な、何?気持ち悪っ!!)
急にライラは顔を顰める。そして、目の前にいるキースヴェルの胸を両手で押して遠ざけた。
コンコンと扉をノックする音がする。
「到着いたしました。ドアを開けても宜しいでしょうか?」
タイミングよく、外にいる御者が声を掛ける。ライラは、先ほどまでの心配は何処へやら「はい」と即答した。野生の勘で、隣にいる人が猛獣になりそうな気がして、早くここから逃げた方が良さそうだと感じたからである。
ドアが開き、明るい光が差し込む。おかしな様子になっていたキースヴェルは、颯爽と馬車から降り、ライラに向けて手を差し出した。
(切り替え早っ!!さっきとは別人過ぎ!?あの不調は一体何だったの???)
頭で色々なことを考えつつも、ライラはキースヴェルの手を取り、ステップを慎重に踏みながら、馬車から降りた。
キースヴェルの到着を眺めていた来賓たちは、ライラの顔を見るなり、ザワつき始める。何故、“氷の薔薇”が一緒にいるのかと。
ライラは、周りの様子が若干気になったが、キースヴェルは全く気に留めておらず、ライラの腰に手を回し、庭園の方へと歩き出す。
(王子、私以上に鋼の心をお持ちなのでは・・・)
予想以上に好意的ではない視線が四方八方から飛んでくるので、ライラは一瞬、怯みそうになった。しかし、隣のお方キースヴェルは、優雅な雰囲気を崩さず、笑みまで浮かべていて、余裕そのもの。
(完璧なポーカーフェイス過ぎない?冷静とはまた違って、もはや、怖いくらいなのだけど・・・)
初めて人前に二人で出て、ライラは王族の恐ろしさを感じてしまった。
(さっきの甘えたな姿は、確かに人前で見せるようなものでは無いけれど・・・。瞬時で別人のように成れるなんて・・・)
よくよく考えると、今までキースヴェルとはほとんど接点が無かった。だから、キースヴェルがお茶会で、どのような素振りをしているのかなど、勿論知らない。知っているのは“歩くフェロモン”という二つ名と王家の四番目の王子だから、気楽に生きているというくらいのことだった。
(私も大して王子に事を知らないのに、勝手なイメージで決めつけていたところがあるかもしれない・・・)
考え事をしているうちに、ライラはキースヴェルの横顔をぼんやりと見詰めていた。他のご令嬢たちが、凝視しているということにも気づかずに・・・。
「いらっしゃいませ、キースヴェル王子殿下。ご多忙の中、お越し下さりありがとうございます」
声を掛けて来たのは、主催者であるリリアージュ嬢の父親こと、ベルフリー伯爵だった。この二人の会話に興味津々なのか、会場は水を打ったかのように静かになる。
「伯爵、いいお天気に恵まれてよかったね。今日は、僕の婚約者を同伴したから、みんなに紹介させてもらうよ」
「は、はい、それは光栄なことでございます」
(あれ?私の同伴ではなく、王子の同伴が私ーっ!?聞いてないのだけど!!!)
「では、紹介する。僕の婚約者クルム侯爵家のライラだ。皆よろしく」
紹介されたのでライラは、少しキースヴェルから離れて、ゆっくりとカテーシーをした。そして、簡潔なあいさつを述べる。
「ご紹介に預かりました。クルム侯爵家のライラでございます。よろしくお願いいたします」
いつもはツンとしているライラだが、流石に、この状況で睨みを利かすのはマズいだろうと、軽く笑って見せた。すると、辺りにどよめきが起こる。
(あ、慣れないことをして、みんなを驚かせてしまった?いつもみたいにツンとしてた方が良かったかも・・・)
皆の反応を見て、少し凹んでしまったライラの耳元へ、キースヴェルが話しかけて来た。
「ララ、いつも通りでいいからね。僕以外の相手に笑う必要はないから」
そういうと、ライラの頬へ軽くチュッと音を立ててキスをした。流石にライラも人前でキスをされてしまうと顔がカッと熱くなってしまう。慌てて両手で、顔を覆った。すると、どこかからこんな会話が聞こえて来る。
「可愛い!!ライラ様が赤くなってらっしゃるわー!!」
「本当だー!やっぱりあのツンは照れ隠しだったのねー」
「殿下とお似合いだわー」
(まさか、私を褒めているの!?それにお似合いって・・・うそでしょ!だって、女性にモテモテの王子様なのよ。みんなからしたら、私は敵なんじゃないの???)
あり得ない反応を受けて混乱してしまったライラは、顔を上げるタイミングを見失ってしまった。どうしていいのかも分からず、キースヴェルの袖を引っ張る。
「ララ、大丈夫?」
優しく問い掛けてくるキースの言葉に彼女は下を向いたままで頷く。本当は、全然大丈夫ではなかったのだが・・・。
「みなさん、ララが恥ずかしがっているので、一旦、外しますね。戻って来たら、沢山お話をしましょう」
キースヴェルは皆に向かってニコッと笑った後、ライラの手を引いて、誰もいない木陰へと連れて行った。
「もう大丈夫だよ」
その声を聞いて安心したライラは顔を上げた。キョロキョロと見回すと木陰にはキースヴェルとライラ以外、誰もいなかった。
「ごめんなさい」
上手く対応できなかったことをライラは詫びる。キースヴェルは柔らかな笑顔を浮かべて、こう言った。
「もっと、冷ややかに対応すると思っていたから、ララがみんなの前で微笑んだ時は心臓が止まるかと思ったよ」
「ーーーううっ、慣れないことをして、変な顔をしてしまい・・・」
「違う、違う!!聞いてなかったの?皆、君が可愛いと気付いたんだよ」
「それはないでしょう」
「いや、あるよ。今まで僕しか知らなかったのにー!!悔しい―っ!!」
「ブッ、そんなに悔しがらなくてもー」
子供のように悔しがるキースヴェルを見て、ライラはつい笑ってしまった。
「ララ、いつも通りでいいんだよ。無理に笑わなくていいから、ツンとしていてー」
「――――分かったわ」
ようやく落ち着いたライラへ、キースヴェルは信じられないことを言い出す。
「では、今から、ララに重要な任務を与える。リリアージュの友人、ダントン子爵令嬢のアニータと友達になって、クルム侯爵家の茶会に誘ってくれ」
「はっ?任務???我が家で茶会!?じゃなくて、友人?私、友人なんて一度も出来たことがないのだけどー」
「大丈夫、大丈夫!!ララなら出来る。例の夜会前に色々と仕込んでおきたいんだ。茶会の日付は来週の金曜日で!よろしく頼むね」
そう言うと、キースヴェルは、王子スマイルを炸裂させた。
(突然、任務って意味が分からないけど、要はアニータ嬢を我が家に誘えばいいのね。それなら・・・)
「わ、分かったわ」
反射的にオッケーしてしまったライラが、後悔するのは、すぐ後のことだった。
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