第6話 5、新人侍女がやって来た日 下

 開いた口がふさがらないというのはこういうことを言うのだろう。ライラはしばらく気を失ってしまった。とは言っても、床へ倒れ込んでしまったというわけではない。ただ無表情で立ち尽くしていただけである。


 しかし、その無表情には鋭い棘があった。“氷の薔薇”と呼ばれる冷たい表情。この状態のライラを見た者は心まで凍ると巷では言われているのである。それ故、ここに居る新人侍女候補たちが、背筋に寒さを感じたとしても、何もおかしくはない。


「ねぇ、ライラ様、ヤバくない?」


「あの表情はちょっとね・・・寒っ!!」


「やっぱ、寒いよねー!噂って本当だったんだー、ハハハ!!ウケる」


「だよねー!ハハハ」


 あの嵐の日に執り行われたライラたちのお見合いへ、何故か堂々と参加していた第四王子の取り巻きA(茶髪・縦ロール)とB(黒髪・ストレート)は、今日もライラに対して、少しの配慮も遠慮もなく、余計なことを好き勝手に話している。


 彼女らを、純粋に新人侍女候補だと思っていたベッキーは、急に軽口を叩き始めた二人に驚きを隠せないようで、目を見開き固まっている。


「ええっと、ララの侍女さん?この子たちは、僕が選んだ優秀な侍女候補なんだ。だから、研修で気に入らないことがあっても、クビにはしないでくれないかな?」


 人を魅了しそうな笑顔を浮かべて、キースヴェルはベッキーに優しく語り掛けた。ベッキーは、突然現れた大物感が溢れる正体不明な貴公子に、どう対応したら良いのかが分からないらしく、戸惑いの表情を浮かべたままで後退る。


 一方、ライラはベッキー挙動不審な行動より、キースヴェルの言った言葉が気になっていた。


(ん?王子の取り巻きたちを私の侍女にする?はぁ?何それ!?)


「バカじゃないの!?」


(シマッタ!?口から本音が出てしまったー!!)


 ライラは、失言の焦りを隠すため、強気なまなざしでキースヴェルを睨みつける。


「うーん、僕はそんなに馬鹿ではないと思うけど・・・。大体、侍女って、ララの身の回りのお世話をする仕事だろう?だから、僕が信頼出来ない人には任せたくないと思った。ただ、それだけだよ」


 少しの動揺も見せず、落ち着いて答えるキースヴェル。ライラは自身のこめかみに指先をトントンと当てて、この意味不明な思考を持つ相手にどう反論すべきかを思案する。


(うーん、我が侯爵家の人事にまで口を挟んで来る王子が、私は非常識だと思うのだけど、世間一般では違うのかしら?んんん、何が正しいのか、王子と話をしていると分からなくなってくるわ・・・)


「ライラさま、大丈夫ですか?」


 余りに険しい表情で思いつめているライラの傍へ、ベッキーが近寄ろうとした瞬間、キースヴェルが思いがけない行動に出た。ライラとベッキーの間に割って入ったのである。そして、自身の背にしっかりとライラをかばい込んだのだ。


「ララの侍女さん。君はダメだ」


 キースヴェルは、少しきつめ口調でベッキーを咎めた。ライラは自身の侍女が、何故そのような注意を受けないといけないのかが分からなくて、イラっとしてしまう。


「ベッキーは私の専属侍女よ!!私に近づいて何が悪いというの?」


 ライラは後ろから、キースヴェルの袖を掴み、怒りを露わにして問いかける。それに対して、キースヴェルは前を向いたままで答えた。


「ララ、ベッキーは君の傍には置けない。僕の権限を持って解雇とする」


(はっ?解雇!?どうして・・・?)


 ライラは、キースヴェルの口から解雇などという言葉が飛び出し、それまでイライラとしていた気持ちが急に冷えていく。


(彼は“歩くフェロモン”と呼ばれているとはいえ、人の上に立つ王族の端くれ・・・。いやいや、端くれって言い方は失礼だったわ。立派な王位継承権を持つ、第四王子殿下なのだから、流石に気分で人を解雇するようなことはしないわよね・・・多分。うん・・・多分。だけど、どうしてベッキーが、解雇されるという話になるの?)


 それならば、この一見、意味不明で理解しがたい王子の行動には何か大きな意図があるのではないかと、ライラは疑い始めた。


(取り巻きA・Bを連れて、ここに来たことに何か理由が・・・)


 ライラが色々と考えている間、ベッキーは何も答えずにじっと立っていた。いつもなら、ライラに対して物怖じすることも無く、嫌事も平然と言い放ち、堂々としているベッキーの性格ならば、間違ったことを言われたら、すぐに反論するだろう。しかし、今のこの状況は・・・。


(ここで、ベッキーが何も反論してこないということは王子の言うことが正しいということなの?でも、もしそうだとしても、王子がベッキーを解雇にまでする理由が分からないわ)

 

 いつの間にか、ライラが姦かしましいと思っていた取り巻きA・Bは口を噤つぐみ、静かに事の成り行きを見守っている。


 キースヴェルは、後ろにいるライラの方へ向き直った。彼女の頬へ右手を伸ばし、そっと包み込む。キースヴェルの温かな体温が手のひらから、ライラへと伝わって行く。


「ララ、ベッキーは君の身の回りのことをずっと一人・・でしていたらしいね。それをおかしいと思ったことはない?」


「それは、他の侍女たちが私と話すのを怖がるから・・・」


 ライラは、キースヴェルに頬を触られていることを忘れ、他の侍女たちとの過去のやり取りを脳内で思い返した。


(私が、他の侍女たちとまともに話をしたのって、どれくらい前だったかしら。簡単に思い出せないくらい昔のことのような気がする。だけど、それって単純に私が嫌われているってだけの話じゃない?ベッキーとは何の関係もないと思うのだけど)


「多分、それは自分のせいだと思っているのだろうけど、それは大きな勘違いだよ、ララ。彼女ベッキーが、意図的に君をこの屋敷で孤立するようにしていたんだ」


「え?」


「彼女は、君の味方じゃない」


 キースヴェルの言葉で、ライラは目の前が真っ暗になった。信じていた侍女が自分を裏切っていたなんて、急に言われても理解できるはずがない。


「その根拠は?」


 それでも、ライラは精一杯の力をかき集めて、キースヴェルへ質問を投げかける。彼を見上げるライラの大きな瞳のふちには涙がうっすらと光っており、その悲し気な表情が、彼女の美しさをより一層引き立てていた。


 しかし、ライラはそんな自分の美しさなど全く自覚していない。キースヴェルは心を落ち着かせようと、ため息を一つ吐いてから、ライラの質問に答えた。


「ベッキーの経歴は捏造されたものだと俺・の部下が突き止めた。詳細はここでは言えない。聞きたいのなら、ふたりっきりの時に話してあげる」


 キースヴェルは零れ落ちそうなライラの涙を親指で掬う。ライラはその時、初めて自分が涙を溢しそうになっていたということに気付いた。キースヴェルはライラへ優しく微笑みかけた後、彼女の耳へ触れるか触れないかという距離にくちびるを寄せる。


「ララ、俺・の連れて来た二人のことを、愛人と勘違いしているようだけど、彼女らは正真正銘の王族の身辺警護を担う軍人だ。婚約すると宣言した日から、君を守る任を与えている。だから、安心して守られて・・・」


「はぁ~!?ぐ、ぐん・・・んっ!?」


 ライラが驚きのあまり、口走ろうとした言葉を遮るように、キースヴェルは左腕で彼女の腰を抱いて、右手で後頭部を引き寄せ、その小さな唇にガブリと噛みつくようなキスをした。


「キャー!!!殿下ってば、情熱的―!!」


「ねー」


 ずっと黙っていた取り巻きA・Bが、この時を待っていましたというばかりに騒ぎ始める。だが、騒いでくれたことで唇を奪われているライラはこの状況を冷静に考えることが出来た。


(もう!キスで言葉をかき消そうなんて発想がチャラ男過ぎでしょ!!っていうか、取り巻きAとBの正体が、ゴリゴリの軍人?そんなの誰にも分かるはずないじゃない!!)


 突然、くちびるを奪われて、ライラの零れ落ちそうになっていた涙は完全に引っ込んだ。ちらりと、ベッキーへ視線を向けると、この状況でも何事も無かったかのように無表情で立っていた。


(本当にベッキーが危険人物だなんて、まだ信じられないわ。今だって静かに立っているだけだし)


「もう、可愛すぎて放したくないよ。ララ、どうして無自覚なの!?」


 唇を放したキースヴェルは、ぼそぼそと呟く。勿論、腕はライラの腰に回したままである。


「もう殿下!毎回、毎回!!私は一度もキスしていいなんて、言ってませんからね!!これ犯罪ですよ!!」


「まだそんなことを言っているの?ララは僕の花嫁になるんだから、諦めてよ」


 キースヴェルは、ライラのくちびるを親指でなぞる。


「諦められませんっ!」


 ライラは鋭い視線でキースヴェルを睨みつけた。だが、その表情もキースヴェルには、可愛いとしか思えないのである。故に何のダメージも受けなかったキースヴェルはにっこりと微笑む。


 その時、背後にいたベッキーの気配がわずかに揺らいだ。


「ジュリアン!!」


 唐突なキースヴェルの指令にもかかわらず、取り巻きA・Bは、勢いよくベッキーに飛び掛かり、その身を拘束した。床に伏せた状態で取り押さえられているベッキーの手には、短剣が握られており、それを目の当たりにしたライラは、さすがにショックを受けた・・・。


(王子が言っていたことは本当だったのね。まさか、ベッキーが・・・。その短剣で誰を狙うつもりだったの?こうなってくると鉄壁と言われた我が家の守りも、全然鉄壁じゃないわ。完全に驕っていたわね)


 身内に裏切者がいたという事実で動揺するライラを、キースヴェルは優しく抱きしめた。


「心配いらない。僕が君を守るから」


 ライラは、キースヴェルの発したやさしい言葉が、心の奥へスッと沁み込み、ほんのりと温めてくれるような感覚がした。だけど、それを素直に認めたくないはないので、ガブリを振る。


「守られなくても大丈夫ですから、そういうの必要ないですから」


「そう?でも僕は君を守りたいから・・・。ごめん、勝手に守るけど許して」


 精一杯のプライドをかけて、ツンな発言したのに、いともたやすく崩してくるキースヴェルへ、ライラは苦笑いを浮かべるしかない。


 そこで漸く、騒ぎを聞きつけた執事が、屋敷の警備兵と共に走って来た。


 執事の「何があったのですか?」という問いに対し、キースヴェルは胸ポケットからクルム侯爵のサインが入った書類三枚を取り出して、彼(執事)に渡す。


 執事は、急いで書類の内容を確認した。一枚目はベッキーの契約違反による解雇を通達する書類、二枚目、三枚目は取り巻きAとBの二人を本日付けでライラの専属侍女の職に任命する書類だったのである。


 書類から目を上げた執事はキースヴェルへ力強く頷いて見せると、連れて来た警備兵へ、ベッキーを拘束するように指示した。


(やっぱり、お父様も王子と繋がっていたのね。このままだと私の周りは、王子の手先だらけになりそうなのだけど・・・。で、結局のところ、この人(王子)は、いい人なの?それとも悪い人なの!?もう、全然勝てる気がしなくてムカつくー!!)


 ライラは引き摺って連れていかれるベッキーの後姿を、横に立つキースヴェルに腰を抱かれたまま、何とも言えない気持ちで見送るしかなかったのだった。

 

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