第4話 3、新人侍女がやって来た日 上
クルム侯爵家は、王家と血縁がある国内屈指の大貴族である。そして、ライラの父である現クルム侯爵は国外への留学経験があり、世界の情勢に詳しい。彼は、その知識と情報網を駆使し、国に有益と思われる企業や資源が多く眠っている後進国への投資を積極的に行う仕事をしていた。しかし、三年前、国王陛下から突然呼び出され、宰相の職に就かないかと誘われたのである。
それまで、夕刻には家に戻り、愛娘ライラと共に過ごす時間を大切にしていたロイドだったが、流石に、宰相の職に就くと帰宅時間が不規則になり、屋敷に戻れない日も増えていった。そんな日々を重ねているうちに父と娘の心の距離は静かに離れて行く・・・。
(むしろ、あの頃までのお父様と私の距離が近すぎたのかもしれないわ。三年前の宰相就任が親離れ、子離れのいい機会だったと思えばいいのよ)
ライラはため息をひとつ吐いてから、ベッキーが淹れてくれたカモミールティーを口へと運ぶ。ベッキーは、幼少期からライラに仕えてくれている侍女である。
「いい香り・・・美味しいわ。ベッキー、ありがとう」
「どういたしまして、お嬢様。そろそろ眉間のお皺は元に戻りましたか?」
フフフとベッキーは口元を押さえて、上品に笑う。ベッキーの一言で、ライラのカモミールティーで、落ち着いた心が、ふたたび暴れ出した。この屋敷の中でも、氷のライラに軽口を叩けるのはベッキーくらいである。
(むむむ、また嫌なことを思い出してしまったじゃない!?あれから一週間。あんなに馴れ馴れしかった王子から、何の音沙汰もなし!清々しいほど何もなし!!やっぱり、遊び人の言動って、信用出来ないわ)
ライラは、先週、執り行われた王家とのお見合いを思い返していた。チャラ男として有名な第四王子キースヴェルが、何故かライラを気に入ったようで、今回のお見合い話は進められることになったのである。しかし、その後、王家からは何の音沙汰もない。
(私に断る権利が無い一方的なお見合いなんて、生贄に差し出されるようなものだわ。それに何の連絡もして来ないところをみると、お飾りの妃が欲しかっただけなのでしょうね)
ただ一つ気になるのは、父であるクルム侯爵も、あの縁談以来、この屋敷に一度も帰って来ていないのである。ともすれば、ライラに話せないような国家機密の事件が発生し、それに対応している可能性もあるだろう。だが、ライラはこのタイミングで、クルム侯爵が屋敷に寄りつかないのは、単に、この婚約話の詳細をライラから追及されたくないだけなのではないか?と勘繰っている。
「お嬢様、わたくしは一旦下がらせていただきます。この後、新人の研修が入っておりますので」
「ええ、分かったわ。あまり無理をしないようにね」
「はい、お気遣いありがとうございます。それから、一言、老婆心で申し上げます。第四王子殿下はそんなに悪い方ではないと思いますよ。どうぞ、あまりお悩みになりませんように・・・」
ベッキーは、自身の眉間を指でトントンと叩いてみせた。しかめっ面のライラに、注意を促すためである。
「―――そんなに悪くないって言い方!!それ、悪いところがあるって、認めているようなものじゃない」
ライラが呟いた反論に、ベッキーはクスクス笑うものの、特に返事をすることもなく部屋から去っていく。
(ベッキー、潔いほど、王子に対して不敬だわ・・・)
ライラは遠い目で、ベッキーの出て行ったドアを見詰めた。
―――――クルム侯爵は、お見合いの締めで、第四王子キースヴェルが、ライラを気に入ったと宣言したことから、娘が王宮に上がることを前提にし、動き始めていた。
最初に着手したのは、ライラの身の回りの世話をする使用人を増やすことだった。その指示を受けたクルム侯爵家の執事のルークスは、速やかに素行等に問題のないご令嬢を選出し、そのご令嬢たちを集めて面談を行なったのである。これはお見合いから、僅か三日後の出来事だった。
そして、本日より、このクルム侯爵邸で新人侍女の教育が始まる。迅速オブ迅速。スピード感のあるスケジュールに気持ちがついていかないライラは、ここのところ、ベッキーから本日のスケジュールを聞くのが怖い。
(使用人たちは、私が王子妃になると思っているのよね・・・。呪いの件、怯えているのは私だけ???)
話を戻すと、今回選ばれたライラ付の侍女候補のご令嬢は二人である。ベッキーは彼女らを教育し、見込みがあると確信してから、ライラの前へご挨拶に連れて来ると話していた。驚くことに、ライラは侍女候補の前へ簡単に出てはいけないらしい。
(私の身の回りのことを任せる人たちなのに・・・)
使用人たちはライラがキースヴェルへ嫁ぐことを見越して、屋敷のセキュリティーを見直した。そして、その際、面会者への対応ルールも変えたのだという。それ故、今後ライラと会うには所定の手続きが必要となる。“急に会いに来たわ”と言うような客は、まず会わせてはもらえない。
(もう、なんであのバカ王子のせいで・・・。まぁ、友達は全然いないから、特に問題もないけどね。それにしても皆は王子の顔ばかり見て、本性を知らな過ぎるのよ。私を気に入ったっていうのも、その日の気分で言ったに決まっているわ。だって、いつも違う女性を侍らせているのよ)
ライラはテーブルの上に用意されていた、小ぶりの焼き菓子を一つ手に取り、口へ入れた。このイライラを落ち着かせるため、甘いものを取る必要があるからである。決して甘いものが大好きだというわけではない。
(あ、これ美味しい!!アーモンドの風味が最高だわ)
躊躇なく、もう一つ口へと運ぶ。ザクザクといい音がする。
(――――あの王子は油断ならない相手だわ。初めて会った私に、何の躊躇もなく口づけをしてき・・・)
思い出すと、顔が熱くなってくる。ライラは両頬を両手の平で覆った。
(うううっ、ファーストキスだったのに・・・。あの何か探られているようなキスが、ファーストキスだなんて!!最悪だわ)
ライラの心に怒りが沸き上がって来る。同時に恥ずかしい気持ちは一気に冷めて行った。
(王子なら、私の侍女だろうと興味が湧いたら、簡単に手を出しそうじゃない?何が“浮気はしない”よ。絶対、信用できないわ!!)
ライラは、新人侍女たちのことが、気になってくる。一体、どんなご令嬢たちなのだろう。やっぱり、新人教育をしている大広間へ行って、こっそり覗いてみようと、ライラは残りのカモミールティーを一気に流し込んだ。
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