夕暮れ、夏が来る

SEN

本編

『下校時間まであと五分となりました。教室に残っている生徒は戸締りをした後、速やかに下校してください』


 夕暮れに染まる校舎にチャイムが鳴り響き、生徒を急かす放送が流れる。友人と長話していた者、期末テスト後もストイックに勉強していた者、そして部活でギリギリまで練習していた者が急いで帰りの準備を始める時間。そんな一瞬も青春であり、数年後にはかけがえのない思い出となることだろう。


「……暑いな」


 日本の夏は特別暑い。数値上は海外の砂漠地帯とかの方が暑そうだけど、不愉快な湿気が気温以上の苦しみを与える。先人は風鈴や打ち水などの知恵で乗り切ってきたものの、ここ数年の暑さに太刀打ちするには心細いと言わざるを得ない。冷房をガンガンに効かせる。風流も何もあったものではないが、背に腹は代えられない。


 先ほどまで冷房が効いた涼しい部室で将棋をしていた私は、その快適な空気が恋しくなる。でも、私は校門の前で立ったまま動かない。快適な場所が恋しいならさっさと家に帰ればいいのに、うだるような暑さの中で私は立っていた。


 目的は何かと聞かれれば、ある人を待っているのだ。待ち合わせの約束はしていないし、私は彼女の恋人でもないし、昔馴染みの友人でもない。ただの友達、ただのクラスメイト。それなのに私は人を殺せる暑さの中で彼女を待っていた。


 汗は雫ではなく、肌からジワリと湧き出してくる。早く帰ってお風呂の入りたいと思いながら、手で仰いでそよ風にも満たない風を浴びていたら、ザッザと土を踏みしめる音が聞こえてきた。振り返ると、待ち人が自販機で買ったであろうスポーツドリンクを飲みながら歩いて来ていた。


「あれ、香織かおりじゃん。そんなところで突っ立てどしたの」


 無表情で水分補給をしていた彼女は私を見つけるとパッと明るい表情になり、暑さを感じさせない軽い雰囲気で話しかけてきた。友達の家の大型犬を思い出す。見上げないと顔が見えないほどの背の高さもその要因だろうか。


「今日も遅くなったから、ついでに日葵ひまりのこと待ってたの」


 少なくとも五分以上ここに待っていたことを隠して、まるでついさっきここに来たように装う。こんな暑さの中でずっと待っていたなんて知られたら彼女に揶揄われてしまう。


「へぇ、ついでとはいえ可愛い子に待っててもらえるなんて光栄だね」

「いつもそう言うけど、本当にそう思ってるの? いつも日葵の周りにいる子たちのほうがよっぽどキラキラしてるじゃん」

「香織は可愛いよ。ほら、眼鏡とかチャーミング」


 日葵は少しかがむと私の眼鏡のふちを指で押した。カチャっという音がして少しズレた眼鏡を直すと、悪戯っぽく笑う彼女の顔がはっきり見えた。憎たらしいはずなのに、夕日を受けて輝く彼女の笑顔はそんな心の靄をかき消してしまう。


「眼鏡が本体って言いたいの?」

「似合ってるってことだよ。もう、すぐそうやってマイナスに考える。香織はもっと自分の可愛さに自信持っていいのに」

「善処はする」


 待ち合わせするでもなく校門の前で会って、日葵が私を褒めて、私がそれを否定して、それを日葵が否定する。そんないつもの戯れが終わると同時に校門につま先が向く。そろそろ校内から出ないといけないとか、今日は暑いとか関係なく、私たちは自然とそんなを繰り返す。


 校門を出るとすぐそこに垂れ幕がかかっていた。努力を重ねた我が校の生徒を誇るように掲げられたそれには、私たちがそれぞれ所属している部活の名前も書かれていた。


「いやぁ、夏だねぇ」


 垂れ幕を見た彼女は一言呟いた。それを見て夏を感じられるのは勝ち続けてきた人間だけだろうなんて思う。全国大会。何かに打ち込む学生たちにとっては夢の舞台であり、そこに出場する私たちは数えきれないほどの屍の上に立っている。その重みは私にとって初めての物だった。


「気が滅入っちゃうね」

「そう? 私は好きだよ」


 日葵が大きく足を前に出して、次の一歩で大きく跳ねた。その身軽さはまるで羽が生えているみたいで、重力を倍に感じさせる熱された湿気を忘れさせた。目の前にはただ綺麗な夏の夕暮れの景色と、夕日を背にして私に笑いかける日葵がいた。


「体育館の熱気も、うるさい蝉の声も、皆の応援も、ボールが弾む音も、ギラギラ輝く太陽も、全部私の心の火にくべて、燃え尽きるまで全力を尽くす。そうやって終わってみるとさ、あぁ、生きてるなって思うんだ。だから私は夏が好き」


 打ち上げ花火を見ているようだった。彼女の憎たらしいほど綺麗な笑顔も、刹那的な夏への考えも、どれも魅力的で目を奪われる。とんと跳ねる彼女に手を伸ばしてしまいそうになって、すんでのところでやめた。私が彼女の熱に触れたら、きっと耐えられずに溶けてしまうから。


「そういう考えもあるんだ」

「まぁね。それで、香織は夏は好きなの?」


 ふわふわと跳ねていた日葵は羽をたたんで地に足をつけた。まるで、私の話を聞くために地上に降りてきた天使のように。慈しむような優しい微笑みもそう思わせる要因なのか。ただの友達にそんな顔見せて、勘違いされても知らないぞ。


「好きではないかな。暑いし、湿気でジメジメしてるし、日焼け対策も大変だし」


 夏の気候は好きじゃない。この暑さは私には似合わないから。でも、ほんの少しだけ憧れを感じる季節でもある。目の前の彼女がそうであるように、夏の魔力とやらがみせる輝きは綺麗だと思うから。


「好きにはなってくれない?」

「好きにさせて見せてよ」


 立ち止まって、前を歩く彼女に意地悪なことを言ってみる。すると彼女は何かを思いついた顔を分かりやすく見せて、私の傍まで駆け下りてきた。


「大会が終わったらさ、いっしょにお祭りに行こう。海でもいいかな? 山でキャンプもいいかも。とにかくさ、いっしょに夏っぽい事しよ。私が夏を好きにさせて見せるから」


 こんなことを堂々と自信満々に言えてしまう彼女はまるで主人公だ。だとしたら、私はヒロイン? そこまで傲慢にはなれない。でも、誘われたのなら彼女の手を取る資格は持っているはずだ。なら、とる行動は一つだけだ。


「わかった。楽しみにしてる」


 夏の温度は嫌いでも、夏の輝きは嫌いじゃない。きっと彼女の目的は達せられるだろう。だって、私はすでに彼女の輝きに魅せられているのだから。


「やった! 約束だよ! いやぁ、大会を頑張る理由が増えちゃったなぁ」

「勝っても負けても約束は守ってあげるよ」

「会うならいい報告をしたいじゃん。特に今年のメンバーは優勝狙えるレベルだと思うし」

「そんなに強いんだ」

「そうそう、例えば一年の里見なんかは……」


 話が終わればすぐ次の話題に。彼女が語るチームメイトの話には夢が乗せられていて、キラキラと輝いていた。彼女の刹那的な感性も魅力的だけど、こうやって希望を乗せた未来を話す姿も好きだ。彼女が語る希望は叶うのか。彼女は本当に主人公なのか。興味が尽きることはない。叶う事ならずっと隣で見ていたい。


 そんな希望を私は彼女のように語れない。悲観的でどこか諦観に浸かった価値観は私を輝かせてくれない。けれど、もしこの夏が私に輝きをくれたのなら、少しは想いを口にできるだろうか。


 夏が来る。夕暮れの帰り道を歩幅の違う二人で並んで歩く。その行き先に輝きがあることを願っているのが、どうか私だけでありませんように。

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