第3話 恒久小説

五月の連休。

久々に、会いに行きたい人がいる。

スマートホンの連絡帳アプリで、彼女の名前を探す。

「もしもし、彩果?今電話出来る?」

「んあー。ダイジョブだよ。何、どしたん」

「休み中に、道場に顔出しに行きたいなと思って」

「あーね、久しぶりに身体動かすのもいいねー」

「オッケー」

そして、お互いの都合のいい日を伝え合って、電話を切った。


待ち合わせ場所についた彼女は、随分日焼けしていた。

だが、黒目がちな、人の良さそうな顔は変わらない。向こうから明るく声を掛けてきた。


「おひさおひさ!」

「おひさー」

「汐子、元気だったかい?」

「まあね、ただ、お母さんから厄介な宿題出されちゃって……」

「何?あの人いつも面白いね」

陽気に笑う彼女は、私の幼馴染。

小学校から習っていた合気道道場の、師範の孫だ。


「師範、元気?」

「そりゃもう。九十にもなってかつ丼ガツガツ食べてる」

「ハ?元気すぎないかそれ」

「本当に元気すぎだよ」

思わずふたりで笑ってしまう。

「汐子は高校何部に入ったん?」

「科学部、彩果は?」

「演劇部ー」

「あー、ライブとか好きだもんね、なんだっけ、あの……」

とある女性声優さんの名前を出すと、彩果が食い気味に言う。

「そう!きいて、あたしその人のライブ当選した!」

「お、よかったじゃん」

「楽しんでくるわ」

「感想聞かせて……いや多分、SNSで見れるか」

彼女のアカウントはフォロワーが多い。

独特の感性と言語力で書かれる、愉快な投稿を心待ちにしている人がそれだけいるということが、幼き頃より彼女を知っている私は誇らしい。


「そんで?宿題って何よ」

「あーね……」

ことの詳細を話すと、げらげらと彩果は笑う。

「爆笑だが!?」

「笑いごとじゃないよ……」

「んーでもさ、論文とか漁ってみるのはどうよ?その人多分、学卒でしょ」

「いやー、それは禁じ手かなって」

「まあそっかー」

そう、森山先生の名前でパブサをかけることも考えたこともあった。

だが、それはわたしの美学が許さなかった。

論文を調べたら、その人の出身大学がバレてしまう。

森山先生は謎の人のまま、彼女の住んでいた場所を探るのが、探偵の美学というものだ。

ベイカー街のあの探偵や、編み物が好きな老婦人、隠居をしている元看板役者……などなど、名作推理小説の探偵たちを思い出す。

「汐子は真面目だな~」

「いや、彩果ほどではないよ。またやってんの?学級委員長とか」

「アハハ、まーた選ばれちゃったよ」

武道を長年やっていたからか、彼女は責任感が強い。

そして、とても面倒見が良い。お人よしだ。

これ、絶対将来、やばいだろ……と思わなくはないが、彼女は諦めるのも早いから、きっとなんとかなるはずだ。

幸い、彼女には頼れる家族がついている。

いざとなったら、家族が守ってくれるはずだ。


「ねえ汐子、最近おすすめの漫画ある?」

「あー……これとか?」

電子書籍で買った漫画を読ませると、彩果は目を輝かせた。

「おもろ!さすが汐子だね」

「まあ、エンタメは雑多に好きだから」

「汐子チョイスいいもんなー、いつか書店員とかなれそう」

「いやー、憧れだねえ」

「なれるって!汐子なら!」

「うちの学校、バイト禁止だからな……大学入ったらなれたらいいな」

「自己アピール練習なら付き合うぜ!」

「頼れるわ~」


ほんじゃまた、カラオケでも行こうやと約束して、彩果と分かれた。

練習終わりに親同伴で行ったフリータイムのカラオケは実に楽しかった。

コールを入れたり、うろ覚えでラップを入れたり、デュエットしたり……彩果の滑舌の良い声で歌われる曲はどれもセンスが良かった。

いつか、彼女のプレイリストを流しながら、一緒にドライブするのが夢だ。

休み明けに借りる本は、『よだかの星』にしようか。

彼女と歌った歌手のことを思い出しながら、わたしは足取り軽く家路へとつく。


「失礼します」

そう一声掛け、図書室のドアを開く。

今日の森山先生は、スマートホンにブルートゥースのキーボードを繋げて、カタカタとせわしなく打ち込んでいた。

「何してるんですか?」

「ああ、これ、フリーペーパーの原稿です。休みに行ってきた旅行記を」

「へえ、どこに行かれたんですか?」

「山陰地方を巡ってきました」

「なるほど」

「今のご時世じゃ、海外にはなかなかね。それで、今日は何をお探しで?」

「『よだかの星』を」

「ハイ、わかりました。じゃあ今回も私のおすすめを紹介しますね。あるかしら……あったあった」

そう言って、本棚の奥に消えていく森山先生。

持ってきた本の著者名には、草野心平と書かれていた。

「なんで、この本を?」

「草野心平は、『よだかの星』を書いた宮沢賢治を再評価した作家です。かわいいですよ、カエルをモチーフにした作品を残しています」

ぱらぱらと捲ってみる。

確かに、ひらがなが並ぶ文字列はかわいいかもしれない。

次第に夢中になるわたしに、森山先生がそっと言ってくる。

「今は、珍味として食べられたりもしますが……こういうものを、食べねば生きていけなかった時代もあったんですよ。私が幼少期、お世話になった習い事の先生は、戦時中にカエルを捕って食べていました」

「そう、なんですか」

「ええ。私の故郷には、戦前のものはほとんど残っていません」

それだけ戦火が激しかった場所なんだろうか。

また一つ、森山先生を探る材料が増えた。

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