第2話 偉大なるお父さん(グレート・ファーザー)
「それは難問だねぇ」
「でしょ?」
母と話したあと、早速作戦会議をしようと思い、コミュニケーションアプリのグループで声かけをした。
仲がいい中学時代の友人たちとのグループ。
今は別々の高校に通っているが、こまめに連絡を取り合っている。
その中のグループで、私も含めた三人で、よく作業通話をする友人たちがいる。
ゆめと実咲、という二人だ。
彼女らは同じ学校に通っているが、わたしだけ、別の学校に進んでしまった。
二人は手芸が好きで、たまに、一緒に教え合う会をこのグループでしている。
大雑把で手作業が苦手なわたしだけれども、手芸作品を見るのは好きなので、彼女たちが一緒に水引や編み物をする作業通話に混ぜてもらうのが好きだ。
「でもさ、多分、本好きならわたしらも負けないじゃん?」
海鮮丼のアイコンが光る。
こちらが実咲。彼女は一番手作業が好きだ。好きな本はミステリィとBL。
「それがさあ……わたしより本読んでるんだよね」
「ああー……」
インコのアイコンが光った。
こちらがゆめ。彼女はわたしにも負けないくらい本を読んでいる。好きな本はエッセイと実用書。
「じゃ、無理かもしれんな……」
「うん……」
三人でため息をついた。
「ま、がんばんなよ」
「応援してる」
「ありがと~」
そこで通話はお開きになった。
本当にこの宿題、三月までに終わるんだろうか?
「そんなことあったの?」
朝の送り迎えの車内。
父が驚いた声を出した。
「うん」
「え、お母さんまだ僕に言ってないよ」
ちょっと困惑した声を出す父。
母はサプライズが好きだ。
きっと、父にも内緒でことを進めようとしていたのだと思う。
ゴメン、お母さん……
「お母さん、秘密主義者だからな……わたしが言ったこと、内緒にしといてよ」
「もちろん」
でも、と父は言う。
「汐子なら何とかなる。汐子はお父さんとお母さんの自慢の娘だから」
「え~、そうかな」
「そうだよ」
断言する父。
合理的な癖、どこか運命論を信じている父である。
父の蔵書を思い出す。
ライトノベルや技術書に混ざって、ふわふわした絵柄の魔法少女ものが詰められたダンボール。
父は理系ながら『枕草子』をこよなく愛するロマンチストである。
私の「子」がつく名前も、父の好きな『枕草子』を現代語訳したものに由来する。
「海松子さん」というらしい。今日は『枕草子』を借りようと思った。
放課後。図書室のドアを開けると、今日も森山先生はカウンターに座っていた。
今日はあやとりをしている。
変幻自在に操られる毛糸の動きに、まるで手品のようだと思ってしまう。
普段はおせんべい屋さんをしている魔性の糸遣いや、黄色いリボンをつけた変な喋り方の糸遣いの少女を思い出す。
思わず見惚れていると、彼女がこちらに気づいて、ホホと笑った。
「こんにちは、あるいはこんばんは」
「ええと……今の時間帯って、なんていうのが正しいんでしょう」
「私の地元には、こういう時間帯に掛ける言葉がありましたよ」
なるほど。これは出身地を特定するネタになりそうだ。
心のメモ帳に書き込んでおく。
「それで?今日はなんの本をお探しですか?」
「あ、『枕草子』を……」ふむふむと頷く森山先生。
「どの版ですか?」
「えーっと……これ、なんですが」
「これは名作ですからね……おそらくこの図書室にもあると思いますが」
彼女が手元の端末を操作する。
「……ありました。ついでに、私から、清少納言とよく対比される、紫式部の『源氏物語』を紹介しましょうか」
「あ、ありがとうございます」
やがて戻ってきた森山先生の手元には、かなりの本が積まれていた。
「え?こ、こんなに?」
「ホホ」
見れば、どのタイトルも『源氏物語』の名を冠している。
「『源氏物語』って、こんなにあるんですか!?」
「名作ですからね」
ホホ、とまた笑う。そう笑う彼女は、なんだかフクロウみたいだ。例えるなら、そうーーーーーーコキンメフクロウ。
「紫媛って言葉、知ってる?」
「し、知りません……」
「彼女はそう例えられたほどの才女です。それはもう、様々な現代語訳が生まれますよ」
そうなのか……エンタメ小説ばかりのわたしには、想像がつかない分野だ。
「谷崎とか、与謝野とか……ほかにも、様々な人が現代語訳をしています」
「なるほど……」
「『枕草子』だってそうですよ」
でも、と言葉を紡ぐ彼女。
「本当は、原文にあたったほうが良いんです。どうしても、人の解釈を通して読むことになってしまいますから」
「でも、難しいじゃないですか……」
高校生のわたしは、まだまだ古典文学を勉強したてで、文法も分からない。
なんだか、別の言語を習得しているみたいで、とてつもなく困難なものに思えてしまう。
「ホホ、だから先人たちの知恵があるんじゃないですか。参考文献として読めば良いんです」
「……そういう考え方があるんですか?」
ポロリと目からウロコが落ちるような心地になった。
「私も学生時代、崩し字を学びましたが、まあ、別言語でしたね」
「崩し字……?」
「変体仮名ってやつです。こういう……」
森山先生が、私物のスマートホンで検索して見せてくれた文字は、たしかに解読不能だ。
「こんな文字、読めるんですか?」
「ルールを学べば、きっと」
「ハア……」
子供のわたしには、遠い未来の話に思えてしまう。
でも、いつか読めるんだろう。
このフクロウみたいな不思議な先生は、人生の先輩だ。
だからきっと……この記号みたいな文字も読めるはず。
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