第3話
母に怒鳴られてからも教室の後ろで少女はずっと棒立ちのままだった。駿斗はいつも少女が視界に入りながらも見えていないふうを装うようになった。もう誰にも少女のことを聞くこともしなかった。どうせ聞いたところでみんなあの女の子に気づかないふりをするだけだ。そもそもクラスメイトが駿斗に話しかけてくること自体が少なくなった。
ある日、先生から配られたプリントを後ろの席に回すときに少女を見ると、彼女は駿斗に向けて指を差していた。長いの前髪は簾のように顔を隠しているが、その隙間から見える目は黒目が異常に小さく、背筋が凍ったように固まった。早く前を向きたいのに身体が固まって戻れない。
「どしたんだよ。早く前向けよ」
プリントをもらった友達が眉間にしわを寄せて言い、ようやく駿斗は身体を動かせるようになった。
駿斗はできるだけ少女を視界に入れないように過ごした。しかし、どうしても目が彼女の姿を見たがっており、一瞬だけ見るとやはり駿斗の席に向かってずっと指を差し続けていた。
駿斗が学校にいる間に降っていた雨は止んだが、淡くアスファルトにいくつもの水たまりができていた。少し先を進めば舗装されたての黒々としたアスファルト道が出てくるのだが、少し入った道は全然舗装されていない。幼いころにここを歩いたとき、よく転んで母に怒られたことを思い出した。
この前まで突っ立ったままだった女の子が急に自分の方を指差した。あれは何だったんだろう。駿斗は歩きながら考えていた。しかし、一向に答えなど出てこない。代わりにあの時背中を撫でた不気味な冷気がまた出てきそうな気がして頭を振って前を見ると、少し先に隣の席の蓮が同じ班の結衣と並んで帰っていた。その姿を見ているとふいに結衣が振り向く気配がし、駿斗はすぐに俯いた。この前まではあの二人と帰っていたのに。
下には歩道を遮断し、ジャンプしても向こう岸までたどり着けないほどの大きな水たまりがあった。水たまりは時おり波紋を浮かべている。数匹のアメンボが義務的に泳いでいた。駿斗は水たまりを覗き込むとアメンボのつくった波紋で自分の顔が歪んでいた。波紋が収まってくると白目の女の子が自分を覗き込んでいた。思わず声が洩れ、その場で尻をついてしまった。身震いがして立ち上がることができない。駿斗はもう一度顔を覗き込むと見慣れた自分の顔だった。
駿斗は水たまりの脇を通り、家まで一気に駆け抜けた。
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