展開 03
康平は「わかりました」と応答した。なんだか嫌そうだ。
「警察署の前で立ち話するわけにもいかないでしょうから、歩きましょうか」
栞理嬢は頷いた。康平は栞理嬢の歩幅に合わせてゆっくりと歩き始めた。
「竹内さんからの依頼はもう報酬もいただいて、終了しています」
「ええ、知っています」
栞理嬢が説明してほしいって言ってたのは竹内氏からの依頼の件ではないと思うけどな。山本氏逮捕の件を話したくないということか?
「竹内さんが依頼した理由はあなたと結婚すること、それだけだ」
「それも知っています」
「そもそも竹内さんが付き合っていたあなたと別れて岡部さんと付き合った理由は何です?」
「梨緒が『紹介して』って……毎回そうなんです」
なんで毎回寝取られるようなダメ男を選ぶんだろうね、この人間は。そもそも「毎回そう」なら紹介しなきゃいいじゃないか。俺は聞いていてウンザリしてきたね。どうやら康平も同じだったらしく軽く頭を振っている。
「
栞理嬢は黙っていた。
「管弦楽クラブを創設した菊地さんはあなたたち吹奏楽部と折り合いが悪かった、夏休み前のあの日、いつもの癖で音楽室に行ったら菊地さんだけがそこにいた。そのあと、岡部さんはあなたに対して高圧的な態度をとり続けた。何があったんです?」
二度と口を開く気はないのではないか、と俺は思った。しかし栞理嬢は吐き出すように喋り始めた。
「誰も見てないと思ってたのに、梨緒が『黙っててあげる』って言い出したのよ。どうして? 私は
「だから突き飛ばした?」
「怖かったからよ。あいつ、バイオリン引くやつを私に突きつけてきた。だから思い切り押したらバランスを崩して……窓を閉めてなかったあいつも悪いのよ。私だって被害者だわ」
「それを見られた」
「そうよ。それ以来地獄だったわ。梨緒が学校に出す課題は全部私がやった。高校は附属の大学があるトコに梨緒が推薦で入ってくれた。これで自由になったと思ったのに一緒に来いって命令されて……大学も同じだった。社会人になったら仕事を押し付けられた」
栞理嬢は止まらない。友達を突き落とさなければ、もっといえばお互いを尊重していれば。
「もう嫌だったのよ。毎日毎日毎日毎日あいつのせいで残業して、弘之も盗られて。弘之は絶対に渡さないわ。私はこれから弘之と幸せに生きるのよ」
「竹内と結婚したら幸せになれるの?」
「そうよ」
わぁ、言いきっちゃったよ、この人。しかも即答だったよ。
「だから呪ってやったの。梨緒の髪の毛を入れた人形を作って毎日針を刺してやったわ」
――は? 通り魔は栞理嬢じゃ、なかった?
「そしたらどこかの女に刺されて死んだわ」
「『男』だよ」
「え?」
「カツラ被って女装した男だよ。身長170センチくらい、長身の女、事件現場付近の防犯カメラ1台だけに映って、他には映ってない女。つまり近隣の防犯カメラの位置を把握していた人間。狙っている令嬢と別れて婚約の約束をさせられた男。偶然、岡部さんがいなくなったことで令嬢と結婚できることになった男。堀さんも薄々気がついてたんでしょう?」
康平がそう言うと、栞理嬢はしばらく口を開かなかった。少し前まで今までになく幸せそうだったのに今はひどく疲れてみえた。
「証拠はあるの?」
「無い」
「じゃあ名誉棄損ね」
「だからヨソで言ってない」
「知っているのはあなただけ?」
「どうかな」
「私があなたをどうにかするとは思わないの?」
「意味のないことはしないでしょう」
栞理嬢の強張った顔がふっと緩んだ。最初に康平と会った時と同じ、自信に満ちた美しい顔に戻る。
「なにが欲しいの? お金?」
康平は頭を横に振った。
「あなたは依頼人じゃない。金なら依頼人から貰ってある」
「じゃあどうして私に伝たの?」
「僕にも良心ってものがあるし、それだけ」
再び栞理嬢が黙った。康平の言葉が信じられないのかもしれない。
「あなたはまだ竹内さんと結婚するつもりですか?」
「どういう意味ですか?」
「どうして竹内さんと岡部さんは婚約したんですか? 岡部さんは何かを見つけたのではありませんか? 山下さんは一人で密輸を計画できたはずはありません。それに、どうして竹内さんは自動車の販売網が欲しいんですか?」
「竹内は野心家で……」
栞理嬢にもわかっているのだろう。岡部嬢は竹内氏が密輸にかかわっていることを知り、結婚を迫った。竹内氏は岡部嬢をしばらく黙らせておくために婚約したが、栞理嬢を諦めたわけではなかった。白い粉を入れたパッケージはコンテナで運ぶよりも中古車のシートの裏などに隠して陸送した方が警察の目につきにくい。それに大正モータースの国内販売網は全国規模だ。
「もしこのまま竹内と結婚したら?」
「あなたの好きにすればいい」
「私は竹内と結婚するわ。そして幸せになるの」
狂人というのはきっとこういう顔で笑うんだろう、と俺は思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます