栞理嬢の謝罪
月曜の昼下がり、俺は再び喫茶店「カイシャマエ」にいた。今回は窓際のテーブル席に座っている。日曜日には仕事もせずに甲府で温泉に浸かり、6時間かけて自転車で山道を戻って来た康平は今日も自転車でここまで来た。この喫茶店は東京都の東側に位置している。
1時になる前に栞理嬢が現れた。
「探偵さん、先日はすいませんでした」
「いえ、気にしないでください。岡部さんの件で動揺させてしまってすいませんでした」
「あの、私、何から話せばいいのか……」
「えっと、僕が竹内さんから依頼された内容は、堀さんが安心して竹内さんと結婚してくれるようにってことなので、何か心配なことがあるならそこから話してもらえれば」
「私、心配なことなんて、その、ありません……」
「別の男と別れ話がこじれてるとかなら話をしに行きますよ」
「そ、そんな人、いませんっ」
栞理嬢は座りなおした。
「私、あの、竹内と結婚したら大正モータースを辞めて専業主婦になろうと思っていたんです」
「社長夫人も忙しそうですからね」
「はい、でも、竹内はこのまま仕事を続けて欲しいというんです。自動車の販売も興味があるからって」
「自動車の? たしか、MIS合同会社は医療機器の輸入販売をされている会社ですよね」
「はい、将来は中古車の輸出入もしたいって、だから、私からも祖父に伝えて欲しいって言われてて」
栞理嬢は両手で包むようにしてコーヒーカップを持っている。康平の前にはコーラが置かれている。栞理嬢の小指が一定のリズムでカップを叩くように動いている。
「梨緒は……私の親友でした。彼女は本当に優しくて、気配りができる人でした。竹内と私が付き合っていた最初の頃、梨緒は私を支えてくれました。でも……」
栞理嬢の目に涙が滲み出てくる。
「竹内とは私が付き合っていたんです。でも、梨緒が竹内のことを知って、別れろって言われて……わざと忙しくされて、その間に梨緒が竹内を盗って、それで……」
「でも、竹内さんは岡部さんではなく堀さん、あなたを選んだ」
「もし……もし梨緒がまだ生きていたら、どうだったか、わかりません」
康平はコーラのグラスを口に運んだ。
「梨緒は竹内と婚約したって言ってました。梨緒には、特に会社をしてるような親戚はいないはずです」
康平がハンカチを栞理嬢に手渡した。栞理嬢は「すみません」と言ってハンカチを受け取り、涙を拭いた。すぐに思い出したように小さなハンドバッグから自分のハンカチを取り出した。
「もう、済んだことでしょう。竹内さんはあなたを選んだ」
「それは……そうですね、すいません」
俺は栞理嬢を慰めたくてキャリーのプラスチック面をかりかりと引っ搔いた。栞理嬢が顔を上げて俺を見たので、飛び切りの可愛い顔をして見つめてみせる。栞理嬢は笑顔を見せた。
「かわいい猫ちゃんですね、いつも探偵さんと一緒にいる」
「大事な相棒です」
「私、これから幸せになるんです。竹内と一緒にいるんです。例え、竹内がお祖父様の会社のために私と結婚することにしたとしても」
栞理嬢の片手がハンドバッグから小さな瓶を取り出した。半透明の小瓶の中に何かの結晶が入れられている。
「もう二度と竹内を離したりしません」
うっとりとした笑顔で栞理嬢が宣言したが俺は背中の毛が全部逆立った。
「探偵さんは私の味方、でしょう?」
その瓶の中身は何だ?
「とりあえず、ゲイではないです」
そういう性的嗜好の話をしている場合ではないだろう。康平は確かに小瓶を見ていた。瓶の中身は何だ?
栞理嬢は小さく笑うと小瓶をハンドバッグへ戻した。
「ただ、気になることがあります」
「何でしょう?」
小首をかしげて康平を見つめる仕草は可愛らしい。ついさっき俺を総毛立たせた女性とは思えない。
「堀さんは岡部さんから仕事を押し付けられていた、と聞いています。岡部さんは昔からそういう人だったんですか?」
「ええ、私もはっきり断ったら良かったんですけど、つい、かわいそうで受け取ってました」
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