第1話・母の秘密②
「コホン。さてと、それで? 話を聞かせてもらえるかい? ボク?」
事務所の応接間に男の子を通し、来客用の椅子に座らせる。ニーナは机を挟んだ反対側の長椅子に座った。
「えっと……実は、僕の――」
「おっと、ストップ。まずはお互いの自己紹介と行こうか」
そう言うと、ニーナはコホンと一つ咳払いし、椅子の上で座り直す。
「私がニーナ。この便利屋のトップだ」
「トップと言っても、従業員はほかに僕しかいないでしょうが」
どこか誇らしげに胸を張る彼女に対し、奥の給湯室から現れた少年が、お盆に乗せた紅茶を運びながら言った。いつの間にか、服は学生服から普段の仕事着に変わっている。ジーンズに細身に仕立てたスエードレザーのジャケット。現代版のカウボーイの様な装いだ。
「どうぞ。あ、紅茶は飲める?」
「はい、大丈夫です」
用意したそれを、ニーナと男の子の前に置きながら少年が言うと、男の子は緊張気味に答える。
「で、このチクチクうるさいのが私の助手。私はショウと呼んでいる」
「ショウ……さん?」
「そう呼ぶのはニーナだけです。
「なんか……戦国武将みたいな名前ですね」
「よく言われます」
眉がピクリと反応したが、ショウは特に表情を変えずに言った。
それから、男の子はコースケと名乗った。ホンダ・コースケ。漢字までは分からない。
「さて、本題に移ろう。君は何を依頼しにここへやって来たんだい?」
「はい。調べてほしい人がいるんです」
「ほう? それはいったい誰?」
「僕の……僕のお母さんです」
「ほ~う?」
興味ありげに言葉を伸ばしながら、ニーナは眉を上げる。
「こら、いやらしく笑わない」
「いてッ」
ショウが持っていたお盆でニーナの頭を軽く叩く。
「しかし、どうしてまた君のお母さんを?」
そのお盆を近くにあったデスクの上に置き、ショウはニーナの右隣に腰を下ろした。
「浮気調査か?」
「だったら父親の方が来るでしょ、普通」
「それもそうか」
そのやり取りを前に、コースケは顔を伏せる。
「おや、もしかして」
「はい……実を言うと……」
「……世も末だな」
興味津々で目を開くニーナ、ショウはその隣で頭に手をやる。
「でも、まだそうと決まったわけじゃないんです!」
「ボク、信じたくない気持ちは分かる。だがな、人間というのは往々にして――」
「一回話聞きません?」
同情するように首を縦に振るニーナを遮り、ショウはため息交じりに言う。
「それで、君がそんな疑いを持ち始めたきっかけは?」
「はい……一昨日位の事だったと思うんですけど、僕は夜中に目が覚めたんです」
「トイレ?」
「え? あ、はい」
ニーナの突然の質問に、少年は戸惑い気味に答える。
「珍しいな、君みたいな歳で。爺さんは毎日のように起き出すイメージはあるが……」
「なんで今それが気になるんですか。いい加減デリカシーってもんを学んでください」
やれやれといった様子で首を振り、ショウはコースケに続きを促す。
「それで?」
「あっ、はい。その時、玄関のドアが開く音がしたんです。なんだろうと思って、隠れながらそっちの方を見たら、きれいな格好をしたお母さんが玄関から出ていくところでした」
「その、きれいな格好というのは?」
「はい、真っ赤なドレスです。次の日、気になってお母さんのクローゼットを覗いてみたんですけど、普通の服が掛かっている奥の方、隠すような位置にそのドレスがしまってありました」
「なるほど、夜中に赤いドレス。いったいどこへ行ったんだろうね」
興味津々、といった様子で、ニーナは意地悪な笑みを浮かべる。
「それで、浮気か何かだと?」
ショウは調子を変えず言った。
「はい……」
「その事、お父さんには?」
コースケは首を横に振る。
「言ってません。それに、お父さんはあまり家に帰ってこないんです」
「どうして?」
「分かりません。仕事が忙しい、ってお母さんから聞いているんですが、お父さんが帰ってくるときは、決まってお酒の匂いがします」
フン、と詰まらなさげにニーナが息を付く。
「……あまり仕事をしてる風ではないな」
「なるほど……複雑、だね」
コクッ、とコースケが頷く。子供ながら、あまり健全な家庭ではない事に感づいているようだ。
「それで? お母さんがそんな時間から何をしているのか知りたくなったと」
「はい……調べてくれますか?」
「ボク。そうは言ってもね、私たちに仕事を依頼するには、お金が必要なんだ」
ニーナが淡々と言うと、コースケは縋るように顔を上げる。
「慈善事業をやっている訳じゃない。悪いが、君に支払う能力があるようには見えない」
「……これで、どうですか?」
コースケは背負っていたランドセルの中から、小さなポーチを取り出す。そこから紙が擦れるような音と、硬貨がぶつかる音が小さく響いた。
ニーナが呆れたような、どこか残念がるようなため息をつく。
「ボク、それじゃ足りないよ」
「だったら――」
「お金を貯める? 大人になってから払う? ボク、大人の世界はな、そんなに甘くないんだ」
ニーナの容赦のない一言に、コースケは力なく俯く。非難めいた視線をショウが彼女に向けるが、ニーナはプイとそっぽを向いた。
「さて、今は何時だ?」
ショウが腕時計を確認して言う。
「六時過ぎです。もう外は暗くなってきてますね」
「そうか。ボク、家はどこだい?」
「えっと……」
コースケが住所を言った。
「おい、そこって……」
「ここから4、5駅離れた所ですね。時間にして2時間程掛かるんじゃないですか?」
「駅に着くころには八時か。そんな中を、この子一人で歩かせるのは少し怖いな」
ニーナが呟くように言う。少し考えてから、手をパチンと叩き合わせて言った。
「ヨシ! 少年、彼を家まで送って行ってやれ」
「えぇ!? なんで俺が!?」
「君が車を持っているからさ」
「あなただって持ってるでしょうが!」
「シャッターから出すの面倒なんだよ。つべこべ言わない。社長命令だ」
「職権乱用もいいとこだ」
心底うんざりした様子でショウは立ち上がり、大きなため息をつく。
「はぁ……じゃあ、行くよコースケ君」
「あっ、ハイ。ありがとうございます」
そう言われ、コースケは椅子から立ち上がってランドセルを背負った。
「あっ」
その時、ショウが何かを思い出したように声を上げる。
「なんだい? 少年?」
ショウは薄眼でニーナの方を向いて、言った。
「ガソリン、ない」
「……」
しばらくの間、ニーナはその無言の圧力と睨み合う。
そして、観念したように財布を取り出し、言った。
「……私もついて行くよ」
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