第4話

 

 購買は一階、下駄箱の脇にある。一階の半分は下駄箱と購買と食堂で占められていて、もう半分が体育館。食堂と購買は横一列に並んでおり、ほとんどセットみたいな扱いを受けている。私は購買に用があったのだけれど隣の食堂の値段の高さに思わず吃驚。明日から早起きでお弁当を決意した。

 ……まあ、そんなことはどうでもよくて。

 購買には人のよさそうな、ふくよかな中年の女性が一人で座っていた。

「見ない顔だけれど、もしかして転校生? 何から何まで高くて嫌になるわよねえ」

 券売機に驚く私に「うふふ」って感じで微笑みかけてきた。

私はおばさんに小さく会釈を返して直截に、

「トイレットペーパーを買いにきた男子生徒っていませんでしたか? 三十分前くらいに」

 おばさんは一瞬戸惑ったような表情を浮かべて、

「ああ、そういえばさっき一人いたわね。珍しいと思ったのよ」

 そりゃあ、五百円も払ってわざわざ買う人は少ないだろう。当たり前だ。

「五百円玉で支払ったと思うんですけれど、その五百円玉を見せて貰えませんか?」

「ええと、何のために? 確かに五百円玉一枚で支払っていたけれど」

「じゃあ、この千円札でトイレットペーパーを一ロール下さい。お釣りにその五百円玉を」

「はあ。まあ、何でもいいのだけれど」

 千円札で払って、お釣りの五百円玉と一ロールのトイレットペーパーを受け取る。

「彼の五百円玉はこれで間違いありませんか?」

「ええ、一番上にあった五百円玉だから、絶対に間違いないわよ」

 記憶力にはいささかの自負がある。クラスメイトの名前はもう暗記したし、洋学院高校の校歌も、誰も覚えていないであろう三番までそらんじられる。

受け取った平成十五年の五百円玉。私の脳内データベースと照合したところ、茜の募金した五百円玉と同じ年度の鋳造で間違いはない。

「どうもありがとうございました」

 私はぺこりと頭を下げて踵を返し軽やかに階段を駆けあがって、教室に戻る。

 五組のドアを開けると、すれ違いざまに沼田君と出くわした。

「だから、西野さん。そんなとんでも話を信じられる訳ないでしょ? 第一、僕は盗んでなどいない! 二度と話しかけないで貰いたいね!」

 彼は茜に捨て台詞を残しながら足早に教室を去ってゆく。

「まったくもう。予備校の前にゲーセンに寄りたいんだ。こんな下らないことに時間を浪費していられない。イライラするなあ」

 大きな独り言の彼を見送って教室に入る。クラスには談笑なり部活の用意なりの生徒数名。

そして自席で頭を抱えている茜。

「ねえ、やっぱりその包帯は邪神を封印しているの?」

「違う。アタシはどうやら未来を予知できる能力に目覚めたらしい」

 どうやらループ設定は捨てて、予知の設定に固めたようだ。

「最初は半信半疑だったけれど予知通りに犯行が起きた。朝に沼田の面を拝んだ時に、ベランダから侵入のイメージが頭に浮かんできて実際にその通りになった!」

 荒唐無稽な内容のくせして、茜の切れ目は鋭い。

「正味、私も沼田君な気がしてきている。戸山さんの出て行った後にベランダから侵入して、お金を盗んだんじゃないかなって」

「あずさはアタシの話を信じてくれるのか?」

「まさか。スピリチュアルは信じないよ。でも、戸山さんではない気がしている」

 いや、断言はできない。もしかしたら普通に盗みたくなっちゃったのかもしれないし。

「戸山さんが用具入れに隠れていたのは別の目的だったんだよ。きっと」

 最後に「きっと」と付けたけれど、十中八九、手紙の回収だと考えている。手紙を誰にもバレないうちに回収したかっただけなのに不運にも窃盗事件が起きちゃって容疑者扱い。そんな感じだと思う。

「別の目的……ねえ」

 茜は顎を撫でて目を反らした。手紙のことを知らないのだから当然の反応だ。私は茜に話していないし、これから教える気も無い。戸山さんはホームルームで嫌疑をかけられてもなお、弁明の材料に手紙を用いなかったのだ。『やさしいどうとく・一ねん生』において他人の秘密をバラすのは悪の行為だ。私は誰かに教えはしない。

「沼田君だとして、問題はクレセント錠をどうやって突破したか」

「それと動機も不明だ。あいつ財布を持ってきていやがった」

「そういえば、ホームルームの時に「財布忘れたから盗んだ!」って難癖付けていたもんね。本当に勘だけで名指ししていたんだ」

「だから、勘じゃなくて……」

「私はスピリチュアルを信じないんだって」

 茜を一蹴してベランダの方へ。無理を承知しつつも鍵の掛かった状態のサッシをガタガタと強く揺らしてみる。クラスメイトは談笑を止めて、奇異の視線を私の背に飛ばし始めた。

「おーい、何やっているんだ」

 席で頬杖をつきながら、茜が質問を飛ばしてくる。

「年季の入ったクレセント錠って揺らすとすんなり開いちゃうの。留め具のネジが緩むから」

「この学校のクレセント錠は無理だろ。意外に新しそうだし。……ていうか、よくそんな知識持っていたな」

揺らすのをすぐに諦めサッシを引いてベランダに出る。笠木から顔を出すと沼田君(が犯人だとしたら)の経路は簡単に掴めた。

「笠木を跨ぐと雨避けの出っ張った部分があるだろ? そこを足場に少し歩くとほら、見ての通り排水管。それをロープ代わりに一階へ降りて、窓から放送室へってルートだとアタシは考えている」

 教室からの茜の声。返事は返さないが異論はない。

「物は試しに、ちょっくらやってみよっと」

 するりと笠木を跨いで雨よけ部分に降り立った。面積は見かけ以上に狭く、壁に貼り付く感じで進む。まあ、狭いには狭いが足場はしっかりしているし落下の恐怖は全くない。

「ていうか、うっすらと沼田君の足跡残っているじゃん」

 雨よけの出っ張りは埃が溜まっているために、その上に足跡の痕跡が見える。それをなるべく踏み消さないようにつま先立ちで進んでゆく。排水管をロープの代わりにして、つるりと下る。同じように排水管を上って逆再生にベランダに戻ってみる。予想以上に容易だった。

「クレセント錠さえどうにかなれば、実行は可能だね」

 サッシを引いて教室に戻った。さっきまでまばらにクラスメイトは残っていたのに、今は私と茜だけになっていた。茜曰く「あずさの奇行に恐れをなして逃げていったぞ」だそうだ。

「沼田は窓を割ったっていうのはどうだ? ガラスを完膚なきまでに割って張り替えた。割ったガラスはスクールバッグに敷き詰めてお持ち帰り。あらかじめ用意していたガラスを張り付けて一件落着」

「沼田君がそんな大荷物抱えているようには見えなかったけれどな」

「美術部の奴がやたらとでかい荷物背負っていただろ? あれはキャンパスじゃなくてガラスだったんじゃないか?」

「たかが千円のためにここまで大掛かりなことを? 一人の取り分は五百円って、それはもう赤字だし共犯はあり得ないんじゃないかな。まあ、千円ぽっきりを一人で盗んだっていうのも理解に困るんだけれども」

 茜は目を瞑って髪を掻いた。そしてゆっくりと目を開いて、首を巡らせてクラスに誰も残っていないかを再確認。それからふーと息を吐いて重々しく口を開いた。

「放課後にさ、沼田の野郎を問い詰める前にクラスの奴らに聴取をしてみたんだ」

 廊下に人がいても盗聴されないように小声を意識しながら茜は続ける。

「その聴取を基に考えたんだけれど、沼田の犯行の動機は金銭泥棒ではなくて戸山を嵌めることだったんだと思う。共犯で千円って小銭をわざわざ盗んだのもそれなら、納得がいく」

 私が口を挟もうとしたのを手で制して、

「難点は十分に理解しているよ。その一、沼田は戸山がわざわざ今日、掃除用具入れに隠れてクラスに鍵がかかるまで……誰もいなくなるまで籠ると分かったのか。その二、窓を割ったって推理は自分で言っておいてアレだけれど、いくら何でも無いよな。破片の擦れる音だとか、補強された窓を割れないだろとか幾らでもケチを付けられる。つまり、結局どうやってベランダから教室に侵入できたのかが謎」

 驚いた。ただのスピリチュアル厨二病クソ女だと思っていたのに。一体、彼女のどこにこの思慮深さを隠れていたのだろう。

「失敬だな。目が口程に物を言っているぞ? アタシだって時間と情報さえあれば考えをまとめられるんだよ」

 鼻を鳴らして、茜は話題を戻した。

「何故、戸山が掃除用具に籠ると分かったのか、が一つ目。そしてどうやってベランダから侵入したのか、が二つ目」

 指を一つ二つと折り曲げて数えながら、

「それでだ。戸山は沼田のことを好いていたらしい。クラスの周知の事実だったそうだ」

 一息に言い終えて、茜はじっと私の顔を見つめてきた。私も「ふーん」と呟きながら、無表情に見つめ返す。……てことは、あの手紙はラブレターなのか。

「あずさは驚かないんだな」

「いや、ほどほどに驚いてはいるよ。顔に出ない質なの。私は驚いている」

「あずさが今、こうやって驚いていないのには体育館の一件が関係しているのか?」

 間髪入れずに私の釈明、ガン無視の質問を差し込んできた。茜が指摘しているのは、さっきの始業式で戸山さんが泣きながら私の肩を揺すってきた件だろう。

「ノーコメント。戸山さんのパーソナルなことなので。ただ、根拠は示さないから納得いかないと思うけれど、一つ目の難点は体育館ので解決可能だよ。沼田君は今日の戸山さんの行動を予期できたはず。戸山さんは転校生の私でも分析可能なくらい与し易い性格だし」

 激情型の人間は分かりやすい。後先云々よりも近道を好むから。

放送部は始業式の予行練習のために早朝登校だったらしい。誰よりも早く教室に入って、私の机の中の自分宛の手紙を発見。戸山さんが手紙を取り戻すのを見越して、計画を実行……。

「茜、さては気付いているでしょ?」

茜も私の後ろの席だ。つまり、沼田君同様、便箋の存在に気が付けたはずじゃないか。

「背もたれのない椅子だから、覗く気がなくても凄く見えるんだよ」

私の席の謎の手紙。戸山さんの意味深長な体育館でのアクション。そこに戸山さんが沼田君に好意を寄せていたという情報。

 茜からすれば戸山さんの好意を知らない私が驚かなかったら、あの謎の手紙の差出人が戸山さんだと確定する。あの手紙が(戸山から沼田宛の)ラブレターであって、それを私が理解している故に驚かないのだって推論が成り立つ。転校生が二人もやってこなければ、あの席は沼田君の席だったのだから。

「茜は意外といい性格しているね」

「私だって人の隠し事を言いふらしたりはしないさ。ただ、確証が欲しかっただけなんだ」

 一応、欠片程は理性を兼ね備えているようなのに、証拠もなしにホームルームでスピリチャル発言。あの時は、どんな心理が働いちゃったのだろう。家で考察してみようと。

「聡明な茜のことだから、沼田君の動機にも見当がついているんでしょ? 戸山さんを嵌めようとした理由」

「もちろん。沼田は戸山のことが嫌いだったらしい。それで計画に及んだんだろうな」

「……え? 何言っているの?」

 予想だにしない返答だった。やはり欠片程の理性か。

「ええ? おかしいか? 普通に考えてそれ以外になくないか?」

「え? いや、何言っているのっていうか、それだけ? てか、嫌いだったの?」

「いや、それはホームルームの対応見ていれば分かるだろ? 随分と酷いことを言っていたじゃないか。正直、ちょっと引いちゃったぞ」

 いや、ざらりとした違和感を私も覚えたけれども……好き嫌いって発想がでなかった。

心の中で馬鹿にしたけれど確かに茜の考えも有り得るのか。戸山さんの好意を逆手に取って……むしろ、そっちの方がしっくりくる? ダメだ。やっぱり私は感情を考えるのが苦手だ。

 茜が眉を顰めて口を開いたその時だった。教室の扉が開いて、

「あ、いた! 転校生の子」

 闖入者は、購買のふくよかな中年女性だった。


「さっき五百円玉について聞きに来たじゃない? その時に言い忘れたんだけれど、トイレットペーパーを買っていった男子生徒って朝にも買い物に来ていたのよ。その時も五百円玉で会計していたから、もしかしたら興味あるのかもと思ってね」

 おばさんは随分とニコニコしている。朝? てことはお金が盗まれる前か。

「いえ、微塵も興味ないですね」

 盗まれた五百円玉か否かを調べたかっただけだったし。

 おばさんは急にきょとんとして、間の抜けた顔になって、

「あ、あらそう? ごめんなさいね。早とちり起こしちゃったみたい」

 ニコニコだったおばさんは、なんだか気前の悪そうにオロオロとしだして、

「ご、ごめんなさいね。あらやだ、一人で騒いじゃって全く馬鹿みたいよね」

 中年女性があたふたと帰ろうとしたところを、慌てて茜が呼び止める。

「ちょっと待って! その男子生徒は朝に何を買っていったんですか?」

 おばさんは、少しだけ嬉しそうな表情を見せたのも束の間、すぐに頬を引きつかせる。

「ええと、ごめんなさいね。そこまでは思い出せなくて。一日に何人もの生徒が来るから」

 申し訳なさそうに、それだけ言い残して去って行った。「やあねえ、物忘れが激しくなって」とか廊下での独り言がここまで聞こえてくる。

「朝に購買で? 少し気になるな」

スマホの地図アプリを出して、茜はゲームセンターを検索する。

「あった。近いのはここのゲーセンか……近所に予備校もあるし。あずさ、自転車を貸すからここまで行ってくれないか? それであいつの買った物を確認して欲しい。アタシがいくと、ほら……角が立つから」

 自転車のキーを私に渡して来た。キーにはお馬さんのキーホルダーが付いている。

「アタシはセンコーと交渉して体育館の放送室と校内アナウンス用の放送室を物色してみる。何か見つけたらラインで教えるから」

 そう言ってバーコード画面を向けてきた。苦々しい表情を作りながら頷いて、私もスクールバッグからスマホを取り出す。

「友達登録ってどうやるの?」

「アーユー、キディンミー? 記憶喪失のアタシでも分かるのにさあ。うわ、初期アイコンのままだし友達追加は東京の家族だけかよ。いやまあ、現状アタシも同じなんだけれど」

 転校に際して、無意識のうちにラインを一度消してしまったらしい。聞いてもいないのに茜はその経緯を丁寧に教えてくれた。まあ、聞いてもいなかったけど。

 

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