第3話

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 体育館は目と鼻の先だ。五組の教室から渡り廊下をまっすぐ進むと体育館の二階に(教室は三階だけれど体育館だと二階になる。一階のバスケゴールの位置が高いからだ)到着する。

 名前の順に列をなして体育館に。ひんやりとしたフローリングに体育座りをする。

「ごめん。仲真さんから後ろの人、全員立って。トイレ行っていて遅れちゃった」

 割り込んで、何度も謝ってくるのは前の席の戸山さんだ。クラスメイトの名前と顔は全員分、暗記した。彼女が座るスペースを空けるべく私より後ろの生徒は全員立ち上がる。私も立ち上がったその時、その戸山さんに両肩をぎゅっと掴まれた。

「ごめんね。だからあれを返してよ」

 彼女は顔を赤くしながら鋭い眼光を私に飛ばしている。

「うん? 返すって何のこと?」

私は借り物をしていない訳だし人違いじゃないかな。

「からかわないでよ! 転校生のくせに!」

 戸山さんは突然、ヒステリックに叫んでプイっと前を向いてしまった。野次馬の視線が私に集まってくる。呆然とする私。

 なんだろう? 生理なのか? 

腑に落ちぬまま座り直す。茜が私に耳うち。

「あずさ、弱みでも握っちゃったのか? 戸山……だっけ? 物凄い形相だったけれど」

「生理なんじゃないかな? もしくは家庭環境が悪いか」

「どんな家庭だよ。環境が悪かったとて、原因もなくあんな態度はとってこないだろ」

 そう言われてもなあ。いやいや、流石の私でも初日から因縁を付けられる言動は……。

 コンマ一秒を経て、合点。そうか、戸山さんは手紙の件を訴えてきたんだ。

戸山さんから沼田君へのお手紙、レター……つまり、そういうことか。

果たし状とか決闘の申し込みとか、そんな感じの超重要ごとに違いない!


 式は滞りなく進行していく。放送部のアナウンスに合わせて校長先生のご高説。わざわざ起立を求められない分、前の学校よりリラックスして拝聴できる。

「自粛の解除に伴ってマスクの着用者も、めっきり減った今日この頃ですね。皆さんはこれまで流行り病のために辛苦の青春を送りました。しかしそれは皆さんにしか訪れなかった貴重な体験ともいえます。誇るべきです。経験は皆さんだけの大きな糧です。コロナで培ったハングリー精神によって、皆さんの将来はさらに彩られることでしょう」

 辛苦の青春。私達の世代はコロナのために様々な行事、例えば修学旅行を経験していない。

 校長先生のお話は続く。お尻が少し痛くなってきた。

「二年生の皆さんは三年生が引退して部活を引っ張っていく立場となります。三年生の皆さんは受験生です。ポイントをたくさん稼いで生徒会を目指しましょう」

 でたな、例のポイント制。

定期テストや各行事の成績に応じてポイントが付与されて、ランキング上位者は生徒会参加の権利を得るらしい。ランキング第一位こそが暫定的な生徒会長であり、二学期終了時点での上位者から指定校推薦の選択が可能になる。

 指定校推薦の権利は西生徒会か東生徒会のどちらか一方しか獲得できず、それは三年の陣営全員(生徒会役員の全員ではなく、陣営の全員)の平均ポイントによって決まる。つまり、自分の努力だけでは推薦を獲得できないし、反対に「どうせ推薦無理だから」ってやさぐれることも許されない。

 東陣営の始業式は校庭のため、ここには西側の生徒しかいない。三年は五クラス(西側が三クラスで東側は二クラス)で二年と一年は四クラスずつ(一応、東西に二クラスずつだが、文理選択がまだのため内戦とは完全に関係がない)。

「校歌、斉唱。全員ご起立ください」

 式の初め以来、全く出番の無かった放送部のアナウンス。全員がノロノロと立ち上がり吹奏楽部の演奏に合わせて口パクを始める。私は歌詞を暗記済みだけれど皆が口パクだから合わせて口パクにしておいた。

 

 怠惰で整列して教室に戻ってゆく。ぼんやりと歩いていたら教室の少し手前で戸山さんにぶつかった。手紙を返すチャンスかもと思ったけれど人前だったから止めておいた。

「あれ、おかしいな」

 列の先頭、男女二人の学級委員の話し声が聞こえてくる。名前は確か角田君と丸田さん。

「鍵穴、両方とも回したのにドアが開かないや」

「そんな訳ないでしょ。ちょっと貸してみなよ」

 ガチャガチャと悪戦苦闘の末、やっと開いたようだ。皆がクラスになだれ込む。私も例に漏れずダラダラとなだれ込んで席に着く。ほっと一息吐いて、便箋の対処について脳内会議を始めていたところ、

「袋の中にお金入れた奴!」

 若干上ずった声で角田君が叫ぶ。募金したのは私と茜の二人だけだったようだ。

 私は、心の中で舌打ちをする。

ちくしょう。しくじった。募金はマイノリティーだった。誰もが募金すると踏んで率先してチャリティーしたら裏目った! 自ら率先して少数派に身を置いてしまった。

 静まり返ったクラスの中、角田君は緊張した面持ちで袋をひっくり返す。

五百円玉は、一枚も落ちて来ない。

「念のために訊くけれど、お金を財布に戻したりは?」

 私も茜もかぶりを振る。学級委員は私達の方を見て頷いて、それからクラスに宣告を下す。

「袋のお金が盗まれました」


下校時間のチャイムが鳴って緊急のホームルームが開催決定。

被害総額の安さから不満の声が上がるも、角田君と丸田さんは意に介さない。

「クラスには鍵が掛かっていた。それは俺達二人で確認しているから間違いない」

 丸田さんが首を縦に振って肯定の意を示す。

「ベランダの鍵も閉まっていました。教室を出る前に確認したので間違いありません」

 丸田さんは言葉を切って、再び接ぐ。

「なので窃盗は、廊下に整列するまでの僅かな時間に発生したはずです。それまでに怪しい行動を目撃した人は? 例えば意味もなく袋に近づいてゆく人とか」

 無言でひしめくクラス。誰も証言をしない。

「じゃあ、犯人は仲真さんだよ!」

 突然立ち上がってヒステリックに叫んだのは、前の席の戸山さんだった。

「だって、仲真さんは西野さんからお金を預かって一人で募金をしに行ったんでしょ? その後は誰も袋に近づいていない。こんなのもう間違いないじゃない!」

 興奮気味の戸山さんを宥めるように丸田さん、

「誰も袋に近づいていないのではなく、誰も目撃はしていないってだけです」

 それから角田君が私に、どこか申し訳なさそうに

「仲真さん、ごめんなんだけれど、とりあえずお財布の中身を見せて貰えないかな?」

 もちろん私は無実だ。誓って盗みを働いてはいない。けれどもこの時、私は青ざめた。

 学級委員に見守られる中、私はスクールバックからお財布を取り出して開く。学級委員二人の顔は強張り、戸山さんは再び叫び出した。

「ほら、やっぱり二枚とも入っているじゃない!」

「いや、違うって! 私じゃないよ!」

 またまた退学、再転校なんてまっぴらごめんだ。初日に濡れ衣ドロップアウトなんて冗談じゃない。印象悪すぎて今度こそ、どこの高校も拾ってくれなくなってしまう。

「千円なんてはした金、盗まないよ。ていうか半分は私の募金だし」

 クラスのどこかから「はした金ってさあ」って声がした。

「きっと帰りの電車代を忘れたとかそんな理由でしょ!」

 電車の定期券はお財布の脇に挟まっているし、そもそも千円では帰れないし。

「理由なんてどうでもいいのよ! 可能なのは仲真さんだけだって言うのが大事なんだから!」

「そんなこと言うんだったら、がっ……」

 思いとどまった。「学級委員が最後に袋に触っていたじゃん」って言いかけたけれど、経験的にその一言が悪手なのは理解している。文字通り、無駄に敵が増えてしまう。

 戸山さんがさらに畳みかけようとしたのを見越して、学級委員が間に割って入ってくれた。

「一端落ち着こうよ。まだ仲真さんが犯人だと決まった訳じゃないし。何だったら俺の財布にだって五百円玉の二枚ぐらい入っているから」

「学級委員と仲真さんでは事情が違うでしょ! 仲真さんは最後に袋に触っているんだから」

「いや、考えてみれば最後に袋に触ったの俺だし」

 決まり悪そうに、学級委員の彼は苦笑い。

 私は助け船を求めて茜の方を振り向いた。期待に外れて彼女は難しい顔で、眉根を抑えて唸っている。「うーん?」って独り言ちている。

「私は仲真さんが犯人じゃないと思う」

 思わぬ援軍は斜め後ろ、美作さんから飛んできた。彼女は静かに立ち上がって、

「まずさ、転校初日に盗みを働こうと思うかな? うちに転校できるほどの学力の持ち主がそんな迂闊な真似をするとは考えにくいよ」

 水が地面を打つようにクラスのひそひそ話が止んだ。

「いや、そんなの人それぞれで……」

 戸山さんの反論に上から重ねて、

「人それぞれって言うなら戸山さんが盗んでいてもおかしくないよね?」

 とんでもない暴論に私には聞こえたのだけれど、やはりクラスは沈黙を守った。誰もが美作さんから目を反らす。ごくりと誰かがつばを飲み込んだ。

「ねえ学級委員、本当に鍵は閉まっていたの?」

「それは俺達二人で確認しているから……」

「閉めたのは分かっているよ。そうじゃなくて体育館から戻って来た時、教室の鍵は閉まっていたの? 随分と手間取っていたようだけれど」

 丸田さんが口を挟む。

「閉めたはずの教室の鍵が、開いていたって言いたいの?」

「戸山さんは予め教室に潜んでいて、クラスに鍵がかかったのを見越してお金を盗んだ。それから学級委員が閉めた教室の鍵を内側から開錠して、何食わぬ顔で列に合流した。よって閉めたはずなのに開いていた。これなら全て上手くいく」

 クラスが再び騒然とし始め、皆が好き勝手に喋り始めた。

「そういえば、戸山さんって遅れて体育館に来たよね」

「僕、戸山さんが休み時間にこっそりと掃除用具に入って行くの見たよ。いつもみたいに誰かに命令されたのかと思って、気にしていなかったけれど」

 ……掃除用具に入るのがいつものことって何だろ。変なの。

「戸山さん、お財布の中身見せて貰える?」

 彼女は茫然とスクールバッグから財布を取り出して、学級委員に渡した。

「……五百円玉、二枚入っているね」

 私からは五百円玉がよく見えなかったけれど、クラス中が戸山さんを睨みだした。マイノリティーになりたくない私も腕を前に組んで一緒に睨んでみる。

「が、学級委員だってさっき言っていたでしょ! 五百円玉が二枚ぐらい誰にだって……」

「いつも大人しくて成績ワーストのくせに今日はやけに饒舌だね。たくさん喋って、仲真さんを身代わりに仕立てようとしているの?」

 美作さんがまた話を遮った。「いや、そうじゃなくて」って蚊の鳴くような声で呟いて戸山さんは小刻みに震えだす。クラスの騒めき声も再びピシャリと静かになる。

「じゃあ、続きは生徒会室で聴こうか」

 確定ムードになって、学級委員がホームルームの終了を告げようとしたその時、

「異議あり!」

 後ろからの大声に思わず私は身をすくめてしまった。振り向くと、さっきまで一人で唸っていた茜が、背筋をピンと立てて挙手をしている。

「犯人はそいつじゃない。もちろん、あずさでもない」

 西日に照らされた茜は、物理的に輝いて見える。起立してわざわざ教卓の前へ赴き、クラスメイトの方へ向き直ってニヤリと笑う。

「真の犯人はお前だっ! 放送部の沼田!」

 単刀直入に一切の躊躇なく、茜は沼田君を指さした。

「朝、クラスで一目見たときからお前が犯人だとは分かっていたんだ」

「……西野さん、盗まれたのはホームルームの後だよ?」

 恐る恐る、学級委員の彼が茜に申し上げた。後ろの席の沼田君の表情は私からは見えない。

「記憶喪失の代償なのか、アタシは未来が予知できる。いや、もしかしたらループの蓄積記憶なのかもしれないがな」

 クラスを一度見渡して、茜は長広舌をふるい始めた。

「犯行は始業式の最中に行われたんだ。放送室の窓から抜け出して給水管をクライミングすれば五組のベランダに到達するのは訳ないんじゃないか?」

 ……茜は本当に、沼田君には不可能だって気が付いていないのだろうか。

「動機だって分かっている。ホームルームの前にトイレットペーパーを手に持って教室に戻って来たな? つまり購買で購入したってことだ。お財布もトイレットペーパーも忘れたけれど用を催したくなってしまったんだろ?」

 クラス中が(多分)冷笑(だと思う。シチュエーション的に)に充ちる中、少しだけ真面目に考えてみた。少数派だとバレないように、表情には冷笑を張り付けておく。

私はポケットの手紙を触りながら沈思する。確かに、犯人は戸山さんではないかもしれない。

 犯人が、沼田君だとしたら? 始業式の間に体育館の放送室の窓から脱走。排水管をよじ登って雨除けの上を歩いて三階、五組のベランダに到着。教卓のお金を盗んで何食わぬ顔で放送室に戻って来た……いや、やっぱり無理だ。どう考えても、あの問題にぶち当たってしまう。

「じゃあ西野さん、僕はベランダのクレセント錠はどうやって解除したんだ?」

 茜に反論を向けたのは、突然容疑者にされた沼田君本人だった。

「そりゃあ、もともと開いていたんじゃないのか?」

「戸締りは、学級委員が確認してくれているよ」

「どうにかしてサッシをこじ開けたんだろ? その気になれば何とかなるさ……きっと」

「何とかなるのなら、錠の意味がないじゃないか」

サッシは新品ではないが年季物でもない。傷もつけずにこじ開けるのは相当に困難だと思う。

沼田君は鼻を鳴らして、弁を続けた。

「それに自分で言うのもアレだけれど、やっぱり動機が弱いっていうか……無理があるんじゃない? 確かに購買で五百円払ってまでトイレットペーパーを購入したけれども」

「いいや、犯人は間違いなく沼田、お前だね。私には未来が見えている。もしくは過去をループしている。そのお陰で分かってしまうんだ」

 沼田君はクラス中に聴こえる程の大きなため息をついて、

「話にならないよ。学級委員。もういいんじゃない? 犯人は頭の悪い戸山さんでしょ? もうそういうことでいいじゃん」

 沼田君のざらりとした一言をもってホームルームは終了を迎えた。戸山さんは背中を丸めてシクシクと泣き出す。

 ていうかトイレットペーパー、一ロールで五百円もするんだ。

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