第2話
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最寄り駅に近づくにつれて生徒の数も増えだした。そして内苑前駅から徒歩五分。錆びついた商店街のアーケード抜けると、私立洋学院高等学校が堂々と立ち現れる。創立が古い割に随分と綺麗な外見。そこにまず、目が惹かれた。
校門をくぐると何本もの綺麗な桜が、薄いピンクを地面にまき散らしている。その奥には校舎、さらにその奥にはゴムチップ舗装のグラウンド。朝練習の部活動の掛け声が聞こえてくる。
「大きな学校だなあ。こんなに広いと校内で迷子になっちゃいそう」
私が目を丸くしながらそう言うと、
「まあ、阿呆な内戦ごっこのせいで設備の全ては使えないんだけどね」
美作さんは、ため息交じりに肩をすくめる。
「やっぱり田舎は、無駄に土地だけはあるんだね。東京だったら校舎はもっと縦に高いもん」
「そう言えば仲真さんの他にも、もう一人転校生がいるみたいだよ。しかも同じクラス」
「詳しいんだね。よく田舎は情報の出回りも早……」
「それは関係ないかな。うちの学校ぐらいだよ。転校生二人が同じクラスなのは先生方の配慮みたい。田舎とか関係なくさ、一般的に既にできあがっているコミュニティーには入って行きにくいよねってことなんだと思う!」
言葉を遮るように早口で捲し立ててきた。彼女が一息に言い終える間に、私は下駄箱で上履きに履き替える。もちろん新品だ。美作さんはまだ何か言いたそうだけれど私が機先を制した。
「ねえ、この暗証番号ってどうやって設定するの?」
履き替えたまではよいものの下駄箱のロックの掛け方が分からない。四桁の暗証番号とつまみ。初期設定で0000のために開けるのには困らなかったのだけれど、ここで手詰まった。
「解除の状態で好きな数字に設定して、ロック。それから、数字を適当に動かすんだ」
声は背中側から聞こえて来た。
「あんたがもう一人の転校生だろ? 意外とオーソドックスだけれど、初めてだと困惑するよな。アタシも悪戦苦闘したよ」
黒髪を肩まで伸ばした背の高い女の子。ちらりと制服の、その袖からは包帯が見えた。三角巾やギプスは付けていないので怪我という訳ではなさそうだけれど。
「ほら、さっき話したもう一人の転校生」
美作さんがぼそっと耳うち。この子がそうなのか。
「どうして腕に包帯巻いているの? 邪神とか厨二病的なあれ?」
「仲真さん! 尋ね方!」
後頭部を軽く叩かれた。……いや、軽くない。ちょっと痛い。
叩かれる私を見て微苦笑を浮かべながらも、彼女は飄々と答えてくれた。
「これは賭けに負けたみたいだ。私の推しが負けて友達の推しがレースで勝ってしまってな。約束通り、友達の推しのタトゥーを入れたらしい。学校には内緒にしてくれよ?」
みたい? らしい? 二重人格なのかな?
美作さんの注意のお陰で、迂闊な発言は他人を傷つける恐れがあるため、控えるべき(『やさしいどうとく・一ねん生』、30頁、「こーちゃんのけんか」より)って思いだせたので今度は言葉を飲み込む。少し気が緩んでいたのかもしれない。美作さんの叩くという暴力行為は、恐らく禁止の共通項をもっているためのアクションだろう。
成り行きで三人、横一列で教室に向かう。三年五組は三階の左端。
階段を上がって二階、真正面に職員室が見えてくる。洋学院の校舎は三階が三年、四階が二年、五階が一年という構造のようだ。その道のりで彼女は自身のことを教えてくれた。
「アタシは記憶喪失でね。知識とか一般常識は分かるのだけれど、自分にまつわる過去の経験は思い出せないんだ。小中のアルバムを見返しても他人の思い出の気がして」
美作さんは口に手を当てながら、質問をする。
「うわあ。お気の毒というかご愁傷様です。立ち入ったことだけれどそれで転校を?」
「一方的に知られているなんて気まずいだけだからな。まあ、去年の暮れに記憶を失ってそこから不登校だったし、その間に誰も会いに来てくれなかったし。もしかしたら転校したことに清々されているのかもな」
教室に到着。黒板に張り出されている座席表を基に着席。背もたれのないタイプの椅子にちょっと驚く。居眠り対策なのかな。
包帯の彼女は西野茜という名前のようだ。席は男女混合で名前の順。仲真と西野で私達は前と後ろだった。
「なあ、あずさ。アタシ達どっかで会ったことあるっけ?」
座るや否や、頭の後ろで手を組みながら彼女はそんなことを尋ねてきた。ファーストネーム呼びにドキッとして私はぎこちなく首を傾げる。
「いや、私は東京に住んでいたから会ったことも無いと思うよ。袖触れ合うも他生の縁みたくすれ違ったことぐらいはあるかもだけれど」
声が若干、上ずるのが自分でも分かった。
「まあ、そうだよな。すまん、変なことを聞いちまった」
西野さんは眉を寄せて唇をすぼめる。
「……そんなことより、ねえ、あ、茜?」
ファーストネーム呼び。口にした直後、ああ、しくじったかもと思った。これはあの何度も言われた、「お前なんかが図々しい」の範疇かも。
「私も西野さんのことを下の名前で呼んでもいい? 茜って」
「どうして許可をとる必要があるんだよ? 勝手に呼べばいいじゃねえか」
西野さんはきょとんとした表情をみせて、さも当たり前って風に言う。
「……そ、そうだよね、あはは」
私には分からない。その表情が、その言葉がどちらなのか。本当に許可してくれたのか、それとも「あの状況で断れる訳ないじゃないの!」の本当は未許可で許可のフリなのか。
「ええと、西野さんは……記憶喪失前に似た状況を経験していたんじゃないかな? 前の学校でも前の席に転校生がやって来たとか。そういうデジャビュみたいな」
目を伏せて俯きがちに呟く。これは、今日も一人で反省会コースかな。
「茜でいいって。遠慮するなよ気持ち悪い」
一拍おいて、彼女は真顔になる。
「まあいいや。アタシの考察なのだが、これはデジャビュじゃないし出会ったのも初めてじゃない。既に出会っているのさ」
顔を上げてまじまじともう一度眺めるもどうしても見覚えがない。つまり西野さんは私の過去を知らない……はずなのだが。
「このクラスの誰かが世界を何度もループさせているんだ。それも一回や二回ではない。何億回、何兆回って回数だ。その影響でアタシは既視感を覚え始めてしまったんだ」
真剣な眼差しのまま、こいつはさらに言い募る。
「目的は……そうだな。テロリストが襲撃してアタシ達は何度も殺されている。その結末を変えるため? はたまた、好きな異性が自分の思い通りにならなくて無意識のうちにループさせている? アニメだったら八話くらい尺を使っているとみた」
ふっと言い終えて、彼女はどこか満足そうな笑みを浮かべた。
肩の力が抜けて私もニコっと自然に笑う。多分、今日一自然な笑みを浮かべられた。
「茜って気持ちの悪い人間なんだね。前の学校の人達は今頃、清々しているんじゃないかな?」
茜は腕を前に組み直して泰然と、謎に頷く仕草を見せて、
「なあ、そこは遠慮してくれても良かったんだぞ?」
ちょっとだけ悲しそうに聞こえるトーンでそう呟いた。
少し経って教室の扉が引かれた。中肉中背、猫背で眼鏡の男性教師が入って来る。
「おい、チャイム鳴ってんぞー。全員席に着けー。学級委員、号令」
クラスメイト達が席に着くのを確認する前に、号令の指示まで下す。
「起立。気を付け。礼」
全員まばらに「お願いします」とか「おざーす」とか「しゃーす」とか挨拶をして、ばたばたと着席をする。先生の方も態度を咎める様子はない。
「二年からクラス替えはないし、ほとんどの奴は俺のこと、ご存じのはずだけど転校生もいるから軽く自己紹介な」
彼は眼鏡の位置を調整し教卓に手をついて、
「このクラスの担任の岡崎だ。担当は現代文。受験を控えて大変な一年だろうけれど健康にだけは気を付けていこう。ちなみに俺はこの間、たばこを吸っていたら呂律が回らなくなりました。医者には怖くて行っていません」
クラスに笑いが湧くと少し照れくさそうに、
「はい。じゃあ二十分後の始業式に遅れないように。吹奏楽部と放送部は準備があるんだから朝の会が終わったらすぐに向かってくれ。それじゃあ号令……」
「先生、例の募金の話、忘れています」
手を挙げたのは学級委員だった。岡崎先生はいけないって風にハンズをクラップして、
「そうだ。失念していた。ニュースで観た者もいるだろうが、毎年海外研修でお世話になっている某国にて大規模な山火事が起こったそうだ。そこで本校でも募金を募って復興支援の寄付をする。袋を教卓に置いておくから各自勝手に入れておいてくれ。後で取りに来る」
言葉を残して先生は教室を出て行った。今度は号令を忘れたようだが、とにかく朝の会は終了しバラバラに動き始める。朝練の部活の道具をベランダに置きに行ったり、トイレに連なって行ったりと実に様々。
私はおもむろに財布から五百円玉を取り出す。令和の新五百円玉。朝、自動販売機でお茶が買えなかった。田舎の自販機にはまだ未対応らしい。席を立つと裾を茜に捕まれた。ついでに入れてきてくれと頼まれ五百円を渡されて、合わせて千円。
また、茜はトイレに行くと言うのでスクールバッグの中のトイレットペーパーを千切って渡してあげた。彼女は怪訝そうに、
「どういうこと? 何でトイレットペーパー持ち歩いているんだよ?」
その疑問に答えたのは、いつのまにか近くにいた美作さん。
「この学校では何度も暴動が起こっているの。生徒会の分裂も元を辿れば第三次のトイレ騒動だし、トイレットペーパーの撤去は第二次トイレ騒動の際の、当時の校長の報復措置の名残。その時にトイレットペ―パーを購買で販売って形式にしちゃったせいで本校ではトイレットペーパーは持ち歩かないといけないんだ。因みに購買での利益はちゃっかりと全て、学校に入るようになっているよ」
「……全く話が入ってこないんだけれど。トイレ騒動? てか、生徒会の分裂って?」
「この学校は西生徒会と東生徒会に分かれて内戦中なんだよ。惰性で続いているだけだし本当にいがみ合っている訳じゃないんだけどさ。互いに正当性を主張し合っていて私達は西側に所属しているの。まあ、詳しいことは今度教えるよ」
美作さんは生徒会の役員なのと同時に、歴史部の部長でもあるらしい。
「分裂って室町の南北朝時代じゃないんだから」
口をぽかんと開けつつ、茜は私からトイレットペーパーを受け取った。
「あ、あと本校は全部和式トイレなのに注意してね。第一次トイレ騒動発端の原因は洋式トイレの設置を求める所から始まったんだけど、未だに和式だから」
「ウォッシュレットの代わりにおたまと桶が置かれているらしいよ。神社の手水舎で見かけるやつ。さっき美作さんに教えて貰ったんだ」
「一体、誰が喜ぶんだよ。そのウォッシュレット」
気が重そうな茜が教室を出ていくのを尻目に、
「そういえば手紙? みたいなものが机に入っているよ。仲真さんの私物かとも思ったんだけど、今日は始業式だから違うかとも思ったので一応……」
遠慮がちに机の中を指さす。指摘を受けて覗くと女子の丸文字で宛先の書かれた便箋。送り主の名前の記載はない。
「……あー全然関係ないんだけどさ、二年からクラス替えって行われないんだっけ?」
「二年で文系と理系に分かれるからね。クラス数も少ないし」
一、 二組が理系で三、四、五組が文系。文系の方が一クラス多いそうだ。
「つまり転校生の私達二人がいなければ、名前の順的にこの席は沼田君だったんだ」
「もうクラスメイトの名前覚えたんだ。そうだね。放送部の沼田君だった訳だね」
手紙の宛先も沼田君。なるほど。本来は彼に宛てた便箋だったのか。
「美作さんのご指摘通り、これ私の私物。机の中にしまっていたのを忘れていた」
誤魔化して、私は机の中の便箋をポケットにしまい込んだ。
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