So That Killed Me
川名ナラ
始業式と密室
第1話
始業式
1
ホームドアは無いし電車は一時間に一本。閑散とした駅のホームと年季の入った広告のない看板。メッキは少し剥がれている。スクールバックを提げてまだ足に馴染んでいない新品のローファーの、その踵で地面をトントンと小突く。一つ大きく深呼吸。
電車がフォンと警笛を鳴らして風を切りながら近づいてくる。徐々に減速。そして、停止。アナウンスと共に開くプラグドア。頬を叩き自分に気合を入れて、
「よし、今度こそ上手くやるんだ! 頑張れ、私!」
車窓からの景色は田んぼ、畦道、そして田んぼ。たまに薄汚れた軽トラ。視線を上げると生い茂る山々、その手前には鉄塔から延びた黒い電線。
窓に反射する自分を眺めて口角を上げ下げ。うん。ばっちり。凄く自然な笑顔。
何回経験しても、転校初日はドキドキする。笑顔も所作もぎこちなくなってしまう。だけれども一番肝心なのは最初だし、笑顔は最高のコミュニケーションツールなのだ。『やさしいどうとく・一ねん生』にだってそう書いてあるので間違いない。
「……もしかして、あなたが噂の転校生?」
窓からがらんとした車内へ振り返ると、同じ制服の女子高生の姿。彼女は単語帳を膝に乗せてちょこんと一人、ポニーテールを揺らしている。私の無言を肯定と受け取ったのだろう。柔らかい眼差しを向けながら、
「やっぱり。この電車で見かけない顔だし、入学式は明後日のはずだから」
この車両には私と彼女しか乗車していない。ここら辺の大人は皆、当たり前に一人一台、もしくはそれ以上に車を所有している訳で電車を必要としない。
「私は美作ミカ。同じクラスのはずだから一年間よろしくね。あなたの名前は?」
声が裏返らないように、ううん、と一つ咳払いを挟んで、
「仲真あずさです! よろしくお願いします!」
私はぺこりと頭を下げた。それから美作さんの向かいの座席に腰を下ろして、
「前の学校、スニーカー登校だったの。ローファーって歩きにくいし足痛いしでヤバいね」
昨晩、必死こいて練った他愛の無い切り出し文句。
「一週間ぐらい絆創膏貼っておくといいよ。スニーカーってこの辺りでは聞かないけれど、転校前はどこに住んでいたの?」
「東京の高校。ここら辺は静かで過ごしやすいなって。電車も空いているし」
美作さんは目をちょっとだけ大きく開けて、
「凄い。シティーガールだ。確かにどことなく垢抜けているもんなあ」
私は手刀を横に振りながら、
「全くだよ。こんな感じで都落ちな訳だしさ」
「あはは。それで? どうして転校してきたの?」
この質問は想定済み。きっと誰かに訊かれるだろうと思っていた。
そしてやっぱり昨晩、必死こいて嘘を練っておいた。正直に答える気はない。
「うーんとね、一人暮らしのおばあちゃんが足腰悪くしちゃって。両親は仕事だしお兄ちゃんも社会人で東京を離れられなくてさ」
「受験生なのに大変だ。それでこんな田舎に?」
「それと前の学校の担任の先生に勧められたの。洋学院高校は推薦が豊富だし、なによりも私の気質にも合っていると思うって」
一人暮らしのおばあちゃんは作り話だけれど、この高校を勧められたのは本当だった。私の認識では当たり障りのない受け答えをしたはずなのに、美作さんの表情はにわかに凍り付いた。
「その先生って何期生の卒業生?」
彼女の声のトーンが変わった。何期生……そんなこと言われても私は今年が創立何年度なのかさえ存じない。予想外の質問と剣呑な面持ちに当惑しつつも、
「えっと、確か、ちょうど三十歳だったかな」
「十二年前ってことは八十年度か。第一次の年じゃないの。なのに、うちを勧めるって」
十二年前が八十年度……今年は九十一年度なのか。だからどうしたって気がするのだけれど。
「ねえ、美作さん? 私、何か不味いこと言っちゃった?」
彼女は私の声に反応して顔を上げて、
「あっごめん、ちょっと考え事しちゃっていて。自分の世界に入っちゃった」
そう言って、再び黙る。私は内心オロオロが止まらない。どこかでしくじってしまったのだろうか。彼女の気分を害してしまったのだろうか。
「今からの話は全くの本当なんだけれど」
美作さんはおもむろに口を開く。
「うん。始業式前に出会えてよかった。事情も知らないとびっくりしちゃうと思うから」
と、前置きを付ける。
「洋学院高校はね、現在西生徒会と東生徒会に分かれて一応の内戦状態なんだ。西側のクラスは校庭や化学室が使用不可だったり、反対に東側のクラスは体育館や図書館が利用不可だったり……あ、でも体育祭は皆で仲良く校庭でやるし、部活動にも支障はないよ? 別に本当に喧嘩している訳じゃなくて、ただの負の遺産だから」
「ほうほう?」
普通に反応に困った。……内戦? 私、何か試されている?
「冷たい戦争みたいだね。何て言うか、随分と大変そう」
「そこは大丈夫。文系は西側で理系は東側だから。理系が理科室使わない訳にいかないし。もちろん、ほとんどの生徒が下らないって思っているんだけどね。これがまたややこしくて」
肩に手を置いて美作さんは首をコキっと鳴らす。
「うちの学校、指定校推薦の条件が生徒会に属していることなんだよね。だけれど推薦の枠は勝手に増やせないでしょ? 推薦の権利を持つ生徒会の人数を減らすしかなくなっちゃうんだ」
「うん。……うん?」
「そこで各陣営の定期テストの平均点、体育祭や文化祭など全ての取り組みを総合して決まるの。二学期の終了時点で平均ポイントが高かった方の陣営が推薦の権利を全取りって決まりでね。下らないと思いながらも皆、不承不承に現在の形に従っているの……と言っても分裂したのは去年なんだけれどさ」
平均ポイントっていうのはつまり、内申みたいなものだろうか。そんで負けた陣営の生徒会役員は一切の推薦の権利を剥奪される?
「ちょっといい? もし理系の東生徒会が勝ったら、文学部の推薦どうなるの? 文系の学部は誰もいけなくなっちゃわない?」
「理系の誰かが行くんだよ。確かに文学部卒の年収平均なんて酷そうだけれど、良い大学出ていて損はないから。推薦捨てるのはもったいないし一般受験より確実だし堅実だもの」
洋学院高校はこの県で一番の進学校だし有名大学の推薦も多いとは聞いている。美作さんの話が本当なら、実体はとんでもないけれど。
「そうだ。これお近づきの印に。多分、というより絶対持ち歩いていないでしょ?」
彼女がスクールバッグから取り出したのは、トイレットペーパーだった。
「トイレットペーパーって……町内会のくじでハズレ引いたの?」
「トイレットペーパーは購買で有料だし未設置なの。しかも全部和式トイレだし。もう少し言うとおたまと桶だけ備わっている」
「ケツ拭けないじゃん。東南アジアの激安ホテルかよ」
「ティッシュやハンカチ流すと、トイレ詰まっちゃうから気を付けてね。後、人前でトイレットペーパー持ち歩いちゃだめだよ? トイレ行く時に必要な分だけ千切るの。そうしないとすぐに盗まれちゃう」
もしかしてこれは笑うところなのだろうか、とか逡巡を巡らせていると美作さんが新品のロールを投げて渡してきた。見事にキャッチしてみせる。
「ありがとう。大切に使うね」
もしかして……いやもしかせずとも、私はとんでもない高校に転入したのかもしれない。
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