第2話

混乱だけがあったこの地に、神が一匹の蜘蛛とともに現れた。

その蜘蛛は時と世界を渡る力をもち、長らく神に仕えた。

献身を喜んだ神は褒美として、富めるヒトの女を蜘蛛に与えた。

そうしてこの地を統べるよう告げると、神は去った。

それが、蜘蛛族の始まりである。

 ── 創世のはなし(代々口伝されたものを三代目族長が書き記したもの)



向井蓮水の生まれ変わり、スミは蜘蛛族の子として生まれ、他の子たちとなんら変わらず育っていた。

違うとすれば、巫女を怖がることだ。神の声を聴き、蜘蛛族の長たる巫女が近づくと泣き喚く。その異様な様は、両親を不安にさせるに十分だった。不吉な存在と噂されるのを恐れ、神に判断を委ねた結果、『6歳の誕生日を迎えたのち巫女に仕えさせよ』との神託が下された。

その次の日だった。


3歳を間近に控えたスミは、朝の光が眩しくて目覚めた。

「ううん……」

紫と白の天幕の隙間から日が差していた。室内を見回すと、ハンモックで男女が眠っている。

「ん?」

しばらく凝視したあと、2歳児らしくない表情を浮かべ、独りごちる。

「わたしのおや……」

両親から少し離れた一人用ハンモックで寝ていたスミは、なんとかバランスをとりながら半身を起こすと、ぷくぷくとした手の平や甲、足の裏までを向きを変えて興味深そうに眺めた。

「こどものからだだ」

顔を触って凹凸を確かめ、きょろきょろと辺りを見回すが、目当てのものは見つからない。ハンモックから抜け出そうとして転がり落ちたが、転落防止用の絹糸でできたセーフティネットがスミを受け止めた。しばらくその弾力を楽しんだあと、ネットから抜け出した。時折バランスを崩してよろけながらも、出入り口まで辿り着く。

垂れ下がっていた天幕をくぐると、緑が眼前に広がっていた。計画的に植えられたように、一定の間隔をあけて大木が繁っている。木々は色とりどりの布で装飾され、上から垂らしているもの、木々の間に掛けられているものと様々だ。クリスマスツリーほどの派手さはないが、緑と調和する色味が選ばれているのか、目は楽しいものの落ち着く景観を創り出している。

その大木が住居となり、大抵は枝が広がる部分を利用して家を構えている。幹を加工して階段状にしたり、幹をくり抜いて部屋を作ったりと、各々好みの家づくりだ。

「ひみつきちみたいだ。……うわっ」

風景に気を取られていたスミは、足元のバランスを崩し、出入り口から転がり落ちた。

スミの家は8mほどの高さに建てられており、そのままであれば小さな体は地面に打ちつけられただろう。だが、玄関に当たる出入り口の下方にも大きめの転落防止用の絹糸セーフティネットが張られており、弾力のあるネットは衝撃を包み込んだ。転落に驚いているスミを残し、すぐに森は静寂を取り戻す。

地面に足を下ろし、今しがた出てきたスミの家を見上げると、室内と同じ色味の紫と白の布を交互に上から地面まで垂らしている。時折風に揺れ、なんとも涼しげだ。


屋根のように覆い茂る葉や、道に沿うようにかけられた天幕が日の光を遮り、心地よい風が吹く爽やかな朝だった。

スミはきょろきょろしながらも進んでいく。先になにがあるのかわかっている足取りだ。

木々を抜けると、日の光と水面の反射が眩しくてスミは思わず目をつむる。両手で目を庇いながらそっと開けると、小川があった。スミの小さい体でも溺れることのない浅い川で、子供たちの遊び場になっている。

スミは川べりに膝をつくと、川面を覗き込んだ。

さらさらと風に揺れる柔らかい黒髪と黒い目は、前世と変わり映えがしない。前世は二重だったが今世は一重なように、顔立ちは違うのだが、色味が同じだ。

「いきなおす、ね。なるほど」

スミとして先ほど目覚めた蓮水は、意識はなかったが覚えている3年弱の記憶を馴染ませるように、時折揺れる川面の自分をいつまでも見つめていた。


「おはよう、早いんだね」

誰も起きていないと思われた早朝、川面を覗き込むスミに声をかける者がいた。

振り向き、その人物を目が捉えた途端、スミの体は震えた。


ショートカットに切り揃えた髪、前髪は大きなアーモンド型の目を邪魔しないように切り揃えられている。大きく印象的な目は、日の光のせいか左右色味が違うように見える。キラキラと光を反射する着物のような服を着た、少女のような少年、少年のような少女が佇んでいた。

「お父さんやお母さんは? 一人で来たのか?」

巫女はスミから距離をとったまま話している。あまり近づくとスミが泣き喚いて暴れるからだ。

「むいしきにおびえてたのか……」

ぼそりとスミは呟くが、小さすぎて巫女には聞こえない。

挨拶を返すでもなく凝視するスミを、巫女は疑問に思ったりはしない。いつものことだからだ。ふわりと微笑むと、「じゃあね」と声をかけて踵を返した。

「さよなら」

巫女は驚いて振り向いた。だがスミはすでにおぼつかない足取りで家に向かって歩き出していたので、巫女はそのまま後ろ姿を見送った。


スミの顔色は真っ青で、子供に似つかわしくない厳しい表情を浮かべていた。両手で体を庇うかのように抱きしめる。

「あいつだ……」

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