第1話
最初に感じたのは光だった。
まぶたを閉じていても感じる、優しくほのかに照らす光。
彼は、温かい光の中で目を覚ました。
ぼんやりしたまま、周囲に目を向ける。そのまま半身を起こすと、自分の体を見てひどく驚いているようだ。
「傷が消えてる……子供にめった刺しにされたはずなのに……」
体のいたるところを確かめるように触っている。
刺された記憶が鮮明な箇所を、傷を探すように何度も手を往復させている。最後に両手を顔にもってくると、右手を鼻と口の前にかざした。
「息をしている……たしかに私は死んだと思ったのに……」
最前の惨劇を思い出しているのか、彼の表情は苦しそうに歪んでいる。
「それに、ここは……」
辺りはどこまでも乳白色で、見上げても、左右を見てもなにも変わらない、一色のみの景色だった。
体を起こすと、足を踏み出してみる。つま先をそっとつけ、確かめた後に踵もつけた。
幾分安心したのか、少し歩き回る。とは言え、目覚めた場所から離れるのが不安だったのだろう。なにせ彼は目印として置けるような持ち物は一切持っていなかった。歩数を数え、四方に数歩歩いては戻る、を繰り返した。
どれくらい経っただろうか、彼は足を止めた。
腰を下ろして胡座をかき、項垂れてため息を落とす。
「どうなってるんだ……」
「説明しようか?」
驚いて顔を上げると、誰もなにもなかったはずの空間に突然、男が彼と同じように胡座をかいていた。
墨で塗り潰したような長髪を耳にかけ、片耳にだけ赤い勾玉が揺れている。両目は閉じられているが、いかにも興味津々といった笑みを向けていた。
「あんた、どこから……」
「蓮水、説明しようか?」
「ああ……」
「蓮水は殺害されて、今は霊体」
満足気に微笑む男に、蓮水は困惑しているようだ。
「私は……死んだ……」
「ぼくの巫女がしでかしたことだし、生き直してもいいよ。ぼくの世界でだけど」
「は、え? 待ってくれ、どこからつっこんでいいのかわからない」
「勿論このまま死んだっていい。蓮水の体は崖の下で雨晒し、このまま誰にも見つからずに土の養分となる予定だ」
混乱する蓮水に構わず、男は話を続ける。
「どちらでもいい。蓮水が選ぶといい」
蓮水は話し終えた男を観察する。選択肢は二つ、だが判断材料が少なすぎた。蓮水はそれを探し求めるかのように男を凝視する。
男は変わらず興味深そうな笑みを浮かべるだけで、他に読み取れる感情はない。
「あんたはなんだ?」
「死後に出会い、生を与えることができるのなら、呼び名はそう多くないと思わないか」
明言を避け、からかうような口調に蓮水は苦笑する。
「楽しそうだな」
「蓮水もぼくの立場になってみればわかるよ。本当に退屈なんだから」
「……楽しみを奪うようで悪いが、このまま死ぬことにするよ。特に悔いが残っているわけじゃないし、世界が違うのは億劫だしな」
「そうなの?」
驚いた様子の男を見て、蓮水は少し溜飲が下がったようだった。
「ああ、申し訳ないが」
「(……ここまで生の執着がないなんて、弟の世界はどうなってるんだ? 思ったより衰退は早いのか?)」
「え? なんて言ったんだ?」
あまりに小声で早口だったため、蓮水は聞き取れなかった。
「蓮水がいいならいいいけど……殺害された理由は知らなくていいの?」
「生き直したからってわかるもんでもないだろ……」
「わかるよ」
「食い気味だな……」
「蓮水を殺したのは、ぼくの巫女だ。あんな小さな子にめった刺しにされるほど憎まれるなんて、自分がなにをしたか気にならない?」
「まあ……だが初対面だし、通り魔に遭ったと自分を納得させて……」
突然一つの記憶が蘇り、蓮水の背中が粟だった。
『見つけた……』
(そうだ、確かにあの子どもは憎しみに満ちた目で私を睨み、そう言った)
それが呼び水になったか、次々と記憶が追いかけてくる。
『死ねっ、死ねっ、死ねっ』
入り込んでは出て行く容赦ない刃物と共に、血が体から流れ出ていく。手足から冷えていく体は、子どもが馬乗りになっていた腹だけが温かかった。
「寒い……」
蓮水はもう感じていないはずの寒さに震え、体を抱き込んだ。
「どうしてだ、私がなにをした」
「さあ?」
昏い怒りがじわじわと蓮水の体に満ちる。それと同時に体の輪郭が濃くなったようだった。
男はその様子を閉じた目で感じとり、にんまりと楽しそうに笑う。
「あんたの巫女と言ったが、私が復讐しないとも限らないぞ。それでもいいのか?」
「もちろんだ。蓮水は自由意志を持つ生き物だろう?」
男は変わらず、楽しそうだ。蓮水はしばらく無言で男を見つめていた。
「わかった。あんたの暇つぶしに付き合おう」
「やった! そうこなくてはね。じゃあ仰向けになってくれる?」
仰向けになった蓮水に、男は両手をかざした。
「せっかく生き直すのにすぐ死んではつまらないからね。蓮水に言祝ぎを送ろう」
「言祝ぎ?」
「ぼくからのプレゼント。体は魂に依存するところがあるけど、ぼくの世界は今までの世界と比べて毒性が高いんだ。人間の魂のままだと即死だよー」
「へえ。……あんたとはこれきりか?」
「蓮水の信心次第かなぁ」
「じゃあこれきりだな」
軽口の応酬をすると、二人は互いに笑い合った。
蓮水は目を閉じ、そのまま待った。心臓辺りからじんわりと光りだし、全身に広がっていく。
「ぼくはツクヨミ。巫女を頼むね」
光り輝き溶けていく体と一緒に、蓮水の意識は溶けていった。
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