第3話

「お父さん、お母さん。スミ、巫女さまのとこ行かなきゃだめ?」

巫女に仕えさせるため、スミの両親は滞りなく準備をすませていた。神託の日はもう明日に迫っている。

スミは幾度も家に残りたいと、甘えたり、泣き喚いたり、拗ねたり、大人としての羞恥心をかなぐり捨てた行為を繰り広げたが、望みは叶わなかった。

「スミ、巫女さまに仕えられるなんて、そりゃあありがたいことなんだよ。喜びこそすれ、嫌がるなんていけないよ」

「でも、お父さん……」

「ねえスミ。この歌、覚えている? 『朝のクモはきらきら光ってきれい 夜のクモはぐらぐら怒ってこわい』」

スミの母親は頭を撫でながら、しみ込ませるようにゆっくり歌う。

「うん」

蓮水の意識が目覚める前から、子守唄として歌われてきたものだ。

「この歌を忘れてはだめよ。巫女さまに逆らってもだめ。巫女さまは、この一族の中で一番えらいお方なの。知っているでしょう?」

「でも、どうしてぼくなの……」

「神様がお告げでお決めになったこと。スミも修行して、神様のお声が聞こえるようになったら、わかるかもしれないよ」

彼らなりの励ましの言葉は、スミの強張った表情には響かなかった。ひとつため息をつくと、明日で6歳になるとは思えない大人びた表情を見せた。

「どうしても行かなきゃなんだね。わかった」


次の日、6歳になったスミは、両親に送られて巫女の住む家『祈りの家』までやってきた。ここは巫女の住まいであると同時に、神に祈りを捧げる場所でもある。だから、避けがちではあったが両親につれられ、訪れたことはあった。

蜘蛛族の住居は、大抵木の上に造る。しかし『祈りの家』だけは、神が降りたと言われるご神木を囲むように、地上に構えられていた。

ひときわ太く、立派なご神木の枝に結ばれたいくつもの白い絹が、半球状の絹糸と竹を撚りあわせた格子に垂らされ、覆われている。外壁となる絹は住民が寄進しており、どの家も最高級の絹糸を使うため、朝の光を受ける『祈りの家』は神々しく輝いていた。

『祈りの家』は常に開かれている。けれど、絹がすべて下ろされているときは何人たりとも足を踏み入れてはならないことになっていた。訪れた人々の正面の絹布が上がっていれば、入っていい合図だ。

いつもなら絹布は下がっている時刻であったが、この日はすでに上がっており、巫女が表で待っていた。

「巫女さま! お待たせして申し訳ありません」

スミの両親は、巫女を見つけると走っていき、足元に蹲った。

「いいのです。私が待ちきれなくて待っていただけなのですから」

スミはその様子を無言で見ている。

大人である両親が、せいぜい12になるかならないかの子どもに跪く光景は、蓮水の目にどう映っただろう。

「今日からよろしくお願いします。スミです」

スミは立ったまま、巫女を見据えた。

「スミ。来てくれて嬉しい。こちらこそ、今日からよろしくね」

笑顔を向けられても、スミの表情は強張ったままだ。

挨拶をした息子にほっとしたのも束の間、両親は慌てて巫女の機嫌を損ねないように取り繕う。

「躾が行き届いておらず、申し訳ございません。まだ子どもですので、どうかご容赦を」

「構わないよ。可愛い一人息子を手放すのはお前たちも辛いだろう。祝いの席を設けている。今日はせめてもの労いをさせておくれ」

「巫女さま! 勿体無いお言葉」

両親を先導して、巫女は中へ入っていった。


スミは震えていた。
スミ、蓮水にとって、これから仕えなければならない人物は己の臓腑を容赦なくえぐった殺人鬼だ。様々な感情で動けなくなるのも無理はなかった。

それでも、深呼吸を何度もすると、震える手を握りしめ、スミは室内に足を踏み入れた。

踏み入れる直前、小さく呟いた。

「考えようによっては、好都合だしな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私を殺した蜘蛛びとの忌み子を愛そうと思う クラウド安見子 @amiko_cloud

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ