第5話 シルヴィアの奮闘記②
「少年よ! 今日は散歩に行こう!」
やがて、顔色も常人と変わらなくなってきた頃。
シルヴィアがそう提案する。
「……」
「そうですね、暖かないい天気ですし」
少年は相変わらず無反応。
その代わりにセーラが返事をする。
「そうであろう! こんないい日には訓練……じゃなかった、体を動かすのがいい!」
「……」
「今日は私のお気に入りの場所へと案内するぞ! さぁ!」
「……」
そう言って少年の手を取り、玄関へと向かうシルヴィア。
「ふふ、待ってください。今からお弁当と水筒とハンカチとティッシュと帽子と動きやすい服装と色々準備しますから」
突然の提案にも文句を言わず準備を始めるセーラ。
彼女がこの生活を送る中で真っ先に学んだこと。
それは、シルヴィアを止めることはできないと言う事だった。
◆
「ここが! 私のお気に入りの場所だ!」
館を挟んで反対側、そこは騎士団が訓練する場所だった。
「……予想通りでしたが、外れて欲しかったです」
「? セーラの言うことはよくわからんな! ここに来れば! 大概の悩み事はなくなるぞ!」
「……」
それは脳味噌の筋肉が活性化するからでしょうね、とは言わないセーラ。
あれ、ならばいいことなのかも……?
良くわからなくなってしまったセーラは自身を奮い起こして言う。
「ほら、もうちょっと落ち着ける場所とかがいいのでは……とお坊ちゃまも言っていますよ」
「む? そうか、ならばしょうがない! では次に行くとしよう!」
◆
「ここならどうだ!」
次に訪れたのは騎士団の室内訓練場。
「ここにはな! 筋肉を向上させるための道具が揃っているのだ!」
「……落ち着ける、とは……?」
「? 道具を見ていると落ち着くだろう! 特にこのダンベル! 父に無理を言って特注で作って貰った物なのだが、この左右で全くズレのない曲線美――」
「……」
その後しばらく特注のダンベルがいかに良いものであるかを語るシルヴィア。
本人は落ち着くと言っているが、どう見ても興奮している。
「……」
「……」
「しかも! 何とこのダンベル! 1セットだけではない――」
「おっ! シルヴィア嬢じゃないの。今日はここで訓練をするのかい?」
延々と話し続けるシルヴィアを見かね、現在の上司であるキーファが話しかけてくる。
その目には隈ができており、まるで何日も夜通し何かに打ち込んでいる様子が見て取れる。
実は騎士団長から、他の団員と同様の訓練をこなすよう指示が出されているシルヴィア。
その訓練には対人戦闘のものも入っており、キーファとアールが順番でシルヴィアの相手をしていたのだった。
当然、少年が寝た後、そして通常の訓練が終わった後。
副隊長のアールと毎日交代でやっているとは言え、かなり体力的に厳しいものを感じており、団を辞めようか真剣に悩んでいるキーファだった。
「いえ! 今は『私のお気に入りの場所』を散歩しているところです!」
「あー……そうね……」
「はいっ!」
「次はあそこなんてどうだ? ほら、外壁周辺を走るときにある泉とか。あそこなら滅多に魔物も出てこないし」
セーラの表情から何となく状況を察したキーファはそう提案する。
「いいですね! お坊ちゃまもそう言ってますよ!」
「むむ? そうか……? ならばそうしよう!」
そういうとこ! そう言う場所を期待していたの! さすが隊長さん、ありがとう! そんな言葉を視線に込め会釈をするセーラ。
それに気づかないふりをして一行を見送るキーファ。
「まぁ……今は俺の部下だし、な」
◆
「ここが隊長の言っていた泉だ!」
そこは一般の民たちもよく遊びに来る憩いの場と知られている泉だった。
城壁の外ではあるが、周囲は開けており危険も少ない。
水も透き通っており、生き物も豊富にいる場所だった。
「城壁を何周も走った後! この泉に飛び込むのが最高なのだ! 濡れた服が乾くまでさらに走り続け――」
「さぁお坊ちゃま、ここでお弁当を食べましょう」
「……」
再び始まりかねないシルヴィアの訓練の長い長い話。
それを遮り、木陰で休息する準備を始めたセーラだった。
……。
……。
……。
「ふぅ……風が気持ち良いな」
軽食を食べ、どこかぼうっとしながらただ景色を眺める。
風が優しく頬を撫でるのを受け入れる。
「そうですね」
「……ここまでゆっくり過ごすのは初めてだ」
「……」
それは幼少期から続く厳しい鍛錬のことか。
それとも、ここ数日の必死さが空回る自身の状態を皮肉って言っているのか。
セーラには何も言えなかった。
そのまま、しばらく誰も何もしゃべらないまま時が流れた。
不意に――。
「……少年は――」
「……」
「……そうだ! いつまでも少年では呼び辛い! お前に名前を付けてもいいだろうか!」
「……?」
名前を付ける。
元々の名前があるはずなのは当然知っているであろうシルヴィア。
それでも名を付けようとするのは便宜のためか、過去との決別を促すためか……。
「お前は……そうだなぁ……『アンジュ』だ!」
「……?」
「そう『アンジュ』! 少々可愛いらしい名前だが……なぁに、お前も十分可愛らしい顔だ!」
「……」
「意味は……お前が聞いてきたら教えてやる! それじゃあ私は先に帰っているぞ!」
赤くなった顔を必死に見せまいと駆け出すシルヴィア。
「……」
「お嬢様ったら……」
静かに2人を見守っていたセーラが微笑ましくシルヴィアの後姿を見送る。
「……ア……」
「――え?」
気のせいだろうか?
「……ァ……」
「お坊ちゃま……?」
いや、確かに反応した。
今まで何も――最初の食事の時に起こしたパニック以外何も反応をしなかった少年が確かに、絶対に。
「……」
しかしそこで少年はフラっと倒れてしまった。
「お嬢様! お嬢様! 戻ってきて! お坊ちゃまが! アンジュ様が!」
◆◆◆
「様子はどうだ?」
先日、キーファと相対した時よりかは幾分柔らかい眼光で目の前の女性、セーラを見つめるノートン領の領主、ファルシス。
様子と言うのはもちろん、シルヴィアについて。
「はい。精力的に彼のために何かできることはないかと行動しています。日中は散歩に出たり、本を読み聞かせたり……」
「むむむ、やはりそうか……」
本来は少年の世話はセーラに任せ、シルヴィアには騎士団としての仕事や訓練をして欲しかったところ。
しかし自身の娘の性格を考えるとこうなるとは思っていたファルシス。
「それと、彼が眠りについた夜には訓練をしているようです。他の方と同様の内容を……キーファさんとアールさんも毎日来られています」
「……何?」
本来は嬉しい報告。
しかし騎士団の訓練は簡単に終わるものではない。外での活動がない日はずっと訓練していることもある。
であれば……日中は少年と過ごし、夜は訓練と……。
「……娘は、シルヴィアはいつ寝ているのだ?」
「……」
答えはない。
答えられないことが答えなのだ。
「……わかった」
そう言って大剣を携え、出て行こうとする父ファルシス。
「お待ちください」
「待てぬ。このままでは娘が死ぬ! あの少年よりも――!」
例え娘に恨まれようと……。
他の誰でもない、娘の方が大事なのだと震える巨躯が語っていた。
「……少年ではありません。彼の名は――アンジュ」
「何?」
「もう少し、きっともう少しですから……お願いします……もう少しだけ待ってあげてください……」
「……」
泣きながら地に伏せ、頭を地に着けるセーラ。
「その名は……娘が?」
「はい」
「はぁ……」
深く腰を下ろし、溜息をつく父ファルシス。
「天使、か。天使よ、いつまで……」
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