第二話 中編 魔獣 襲来
「これは酷いな……」
幹久の酒に焼けた声が静かに木々に吸い込まれる。
桃達が周囲を警戒しつつ朝露で濡れる植物を分け入って山林の奥に入ると、程なくして異常を見つけた。
兎に山鳥、熊に鹿、猪……。あそこにあるのは猿の腕だろうか。
一定の個所に集まっているわけではなく唯々通りすがったところを殺されたようで、あちこちに血の跡と犠牲になった動物たちの残骸があった。
そしてそのどれもが無残に食い荒らされている。
角や皮などから辛うじて元の動物が判別できるかどうかというところだ。
緑の濃い匂いの中に、
弱肉強食が常の山の中であっても、その光景は常軌を逸している。
生きるための捕食というよりも殺す事に重きを置いているようで、
「足跡が続いておる」
告げられた言葉に湿った地面をよく見てみれば、大きな蹄の跡。
傍の木には泥によるマーキングが施されていたが、これも比較的体格のいい
「おっかねぇなこりゃあ……」
「まったくだ……
具体的な相手の大きさが示されたような気がして、思わず二人は想像して身震いする。
背中に僅かな寒気を感じながら、マーキングや足跡を見逃さないように森の中を警戒しつつ進む。
既に縄張りの中に入っているなら、いつ遭遇してもおかしくない。
わずかな草木の動く音を、土を踏みしめる音を、木々の影の違和感を見逃さないように。
息を潜めて五感を研ぎ澄ませながら、
そうして、とりわけ大きな木がそびえたつ場所に歩みを進めた時だった。
「二人とも……」
一層緊張を含んだ幹久のその声に振り返る。
幹久は立ち止まったまま木漏れ日の届かない藪の暗闇を見つめながら、振り返りもせずに弓を構えていた。
「来たぞ!!」
幹久が声を張り上げた次の瞬間、3つの大きな影が藪からこちらに向かって突進してきた。
(デカい……!!)
姿を確認した桃の頭に真っ先に出た印象がそれだった。
大きさは軽乗用車程もある。
三匹ともとてつもない速さと力で周囲の木々をなぎ倒し、まるで通り道に障害など存在しないかのような振舞いだ。
大きく横に避けていたのが幸いだった。
軽自動車程もあろうその猪は、真横に大きく飛びのいた桃たちを追い切れずに走り抜けて数本の木をなぎ倒したところでようやく止まった。
何本もの丸太が猪たちの上に降り注いだはずだが、当の三匹は降り注いだ丸太を軽々と放り投げて意に介した様子もない。
「「おっかねぇ……」」
図らずも桃と
興奮冷めやらぬ様子の三匹は鼻息荒くこちらを見つめ、再び突進しようと蹄でしきりに地面をかく。
中でも特に気が立っているのが一匹。
背中に矢が何本か刺さっているのを見るに集落の狩人がやり合った相手だろう。
すでに矢は中ほどで折れてしまっているものの、これまで抜けずに刺さったままでいるあたり相当深く刺さっているはずだ。
三匹の中でも特にこいつの気が立っているのは、間違いなくこの矢のせいに違いない。
そう考えながら、桃はいつ突進してきてもおかしくない三匹に注意を払いつつ、ゆっくりと武器を構える。
手には山中でも取り回しやすい160㎝程の短槍。
腰には剣鉈、左手の人差し指には御館様からもらった指輪。
桃はどちらかというと剣の方が得意なので剣を持ってきたかったが、最初は間合いを取れる槍にしておけと言われて槍にしていた。
互いに攻撃が干渉しないよう間合いを注意を払いながら穂先を猪に向ける。
それを敵意とみなしたのだろう。
遂にそのうちの一匹が勢いよく地面を蹴った。
「来た!」
突撃してきたのはやはり一番興奮していた手負いの一匹。
先ほどの勢いを考えれば正面から受け止めることは考えられない。
「ふたりとも退けぃ!!」
幹久が叫ぶのと本能的に二手に分かれて飛び退いたのはほぼ同時だった。
次の瞬間二人の間を割るように一本の矢が飛び込む。
直後に猪の短い悲鳴。
体制を直す最中に、更に続けて間を置かず二本目と三本目が飛んでいくのが見える。
今度は一際大きな悲鳴が上がって、手負いの一体が崩れ落ちる姿が桃の視界の端に写った。
だがまだ終わりではない。
残りの二体も仲間がやられた腹いせなのか牙を向けて突撃してくる。
だが不幸中の幸いか、最初の突進程の勢いがない。
手負いの一匹があっさりやられたのを見て躊躇したようだった。
「このぉ!!」
その機会を逃さず、身を躱して真横を捉えるた桃が横っ腹に槍を叩き込んだ。
思ったよりも固い、ほんの少しの感触と抵抗があって化け猪の腹に槍の穂先が突きこまれる。
命を奪う事への
今度こそその
大きな悲鳴を上げた化け猪はそれでも牙を振りかざして暴れまわるが、桃は頭を持ち上げた瞬間無防備になった首へ再び槍を突き込んだ。
それでも猪はまだ息絶えない。
返り血を浴びながら再度槍を引き抜き、再び振りかざされる牙から逃れるように回り込みもう一度槍を突き込む。
ここでようやく致命傷になったのか、化け猪は動かなくなった。
眼前の脅威が去ったことで、先ほどの感覚が蘇ってくる。
獣の息遣いと槍の重さ、生暖かい血の感触と匂い。
しかしこの世界で生きていれば、猪どころか人の命を奪う事だって十分有り得る。
慣れなければ、と思った。
命を奪うという一戦は越えた。
人命を奪う一線を越えなければならない時も近いはずだ。
それを思うと桃は心臓にヒヤリと氷を当てられたような感覚がしたが、成り代わった以上ちゃんと生き抜く責任がある。
何よりまだ終わっていないと無理やり思考を振り払って、
(これで三匹……襲って来た猪は仕留めた。ひと段落着いたか……)
桃は猪の身体から槍を抜き去ると、
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