第三話
はっとしてドアのほうを振り返ると、湊本と目が合った。顔からは笑みが消えて、どこか意地悪そうな表情が浮かんでいる。
「もうやめたら」
「は?」
「藻戸原を庇うの、やめたら」
「いや、そげん言われても、いじめをやめさせたかもん」
湊本はつるりとした唇を歪めた。
「馬鹿じゃん」
「はあ?」
「小宮ちゃんがやってるのは、いじめをやめさせることじゃなくて、藻戸原をつけ上がらせることなんだよね。むしろ逆効果。そんなこともわかんない子なの?」
嫌味っぽい言い方に一瞬むっとしたが、図星だった。しかし、だからといって納得はできない。
「いじめは放ってはおけんやろ」
「はあ、正義の味方気取りか。頭痛い」
わざとらしいぐらいの大きな溜息。
「もうやめなよ。藻戸原なんかどうでもいいでしょ」
「……ねえ、湊本はなんでいじめを放置したがると?」
「別に放置したいわけじゃない。いじめをやめさせようと裏で注意したりもしてるよ、これでも」
「え、そうやったと! 湊本もいじめをなくしたいって思ってるわけなんやね」
湊本はちょっと言い方が意地悪な人ではあるようだが、悪人ではないようだ。見た目が遊び人だからと誤解していたかもしれない。
「じゃあ、私と一緒やね」
期待を込めて見つめる私を、湊本は鼻で笑った。
「全然違う。小宮ちゃんはなんでいじめをやめさせたいの?」
「え、だって、いじめは良くないことやし、藻戸原も可哀想やし。それに何より私自身がいじめを見て見ぬ振りする人間になりたくないとよ」
「やっぱり俺とは違うわ。俺はいじめをしているクラスの連中が嫌いだから、いじめをやめさせてやりたい。あいつらの楽しみをなくしてやりたいなって思ってるよ」
湊本はもう話は終わりとばかりに背を向け、鍵を開けてドアの外に出た。室内にぬるい風が入り込んで、汗でおでこに張り付いた私の前髪を巻き上げた。
「小宮ちゃんって偽善者だよね。そういうの反吐が出るよ」
去り際に振り返った瞳には軽蔑と冷笑が浮かんでいた。明確な敵意を向けられて、首の後ろがぞくりとした。
その日の夜、家族で外食することになった。学校でのこともあり、あまり気が乗らなかったが、もんじゃ焼きだと聞いて一気にテンションが上がった。一度食べてみたいと思っていたのだ。
行き先はもちろん月島、もんじゃ焼きの聖地である。私たち家族はもんじゃ焼き未経験者であったため、お店に入ったはいいが何をどうすればいいのかさっぱりわからなかった。熱せられて油がちりちりと音をたてる鉄板を前に固まっていたら、お店の人が「おつくりしましょうか」と声を掛けてくれた。鮮やかな手つきで具材を炒めて土手をつくり、出汁を流し込んで混ぜて、あっという間に食べられる状態にしてくれた。生地の焦げる香ばしいにおいにおなかが鳴った。
人生初のもんじゃ焼きを食べながら、湊本から言われたことを考える。自分の言動やクラスメートの反応を振り返ってみると、確かにいじめをなくす方向には向かっていないことは認めざるを得ない。クラスにおける藻戸原への反感はむしろ高まっているし、藻戸原は藻戸原で私に惚れられていると勘違いしている有様だ。
深く考え込みながらもんじゃを口に運んでいたら、ほとんど一人で食べてしまった。両親から呆れられるやら叱られるやらだ。平身低頭して恥じ入るばかりである。
どうやら、もんじゃ焼きは考えごとをしながら食べると危険であるようだ。無限に食べられる。へらですくっては口に運び、すくっては口に運びを何度も繰り返していると、たまに香ばしく焼けたところが当たって、もっともっとと求めてしまう。そこに考えごとなどしようものなら自分を制することが疎かになり、手がとまらなくなってしまうのだ。
その夜はもんじゃ焼きについては恥ずかしい失敗をしてしまった私だったが、たくさん考えてみた結果、いじめの件については一つの結論を出した。
今までのやり方は失敗だった。だから、次は別の方法でいこう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます