第6話 城下にて
アーネムランド王国は200年もの間、幾度かの内乱――それとて殆ど民衆暴動に毛の生えた程度のごく小規模なものであった――が起きた程度で、対外戦争というものはまるで経験した事の無い平和で幸福な国である。
そんな事情なので軍事技術も200年前から冷凍保存……とまではいかぬものの(必要性が無かったからか)近隣諸国に対してかなりの遅れを取っていた。
一方、経済的・文化的にはかなり発展していた。君主国だが専制政治ではないし、国民議会もあった。民衆の間には民主的・人道主義的な空気があり、この国に亡命して来る人物も少なくなかった。それに各国のスパイも……。
その日も王都城下のカフェには多くの文人・紳士達が集まり、様々な議論を交わしていた。
「……ではステングロス教授、貴方はこのアーネムランド王国が軍事大国となるべきである……と、そう申されるのですか?」
「ええ、それで間違いありません……ですが『軍事大国』という語には注意が必要です。何となれば、武力でもって他国・他民族の領土を侵略し、拡大していく『帝国主義』と混同されがちであるから……」
この日、話題の中心に居たのはステングロスと呼ばれる壮年の紳士であった。年齢は30代半ば位であろうか。その肩書きの示す如く、どことなく知性的で温和そうな印象を与える男だが、その主張の内容はなかなか物騒(?)である。彼は続けた。
「……私が言いたいのはそうではなく、確かに軍備の近代化と増強は進めていくべきですが、それでもって他国に対して軍事行動や強圧的な外交姿勢を取るなどはいけない。あくまで自国防衛と国権維持のための軍であり兵力であるべきなのです。つまり、何と言うべきか……」
「武装中立ですか」
「あぁ、そうそう、それです、それです」
「それは理想論ですよ」
「その通り、軍備増強すれば必ず近隣諸国との間に衝突が生じざるを得ないでしょう」
「いえいえ、実際やってみれば意外と理性とバランスを保ってやっていけるものなんです。信じがたいかも知れませんがね……」
「……あなたは、一体何を根拠にそう申されるのですか?」
「それは……ええと……」
ステングロス教授が答えに窮している所へ、今まで黙って皆のやり取りを見ていた一人の紳士が口を開いた。
「……どうやら教授殿は『違う世界のお話』でもなされているようですな」
「シュトラ……あぁ、いや……シトロイツ卿、ご冗談を言われては困ります」
シトロイツ卿と呼ばれたその男は、年齢は恐らくステングロス教授と同世代くらいであろう。身なりや雰囲気は貴族のようであった。彼は言う。
「……戦争すなわち悲惨で極力避けるべき事態……この意識がこの世界には未だ無い訳です。もちろん諸手を上げて歓迎すべき事態とまでは言わぬものの、外交の延長上の一手段……程度の認識だ。……いや、これは世界規模の大戦を二回ぐらい経験した世界にあって、ようやく生まれる感情とでもいうべきかな……」
「はあ……」
「そういうものですか……」
どこかこの世界の常識とはズレたような話しぶりに、他の紳士達は半ば呆気に取られたような様子である。だが彼らがシトロイツ卿やステングロス教授を見る視線は、頭のおかしな類いの人間に向けるそれではなかった。むしろ自分達には無い新しい視点を与えてくれるものと敬意すら抱いている様である。
「……いや、相変わらずシトロイツ卿とステングロス教授のお話は面白い」
「左様、お二方まるで未来の世界から来られたようなお話をなさる」
「あるいは未来というより別の世界から来られたようですな」
「ふむ……」
その言葉にシトロイツ卿は少し考えて言った。
「……案外そうかも知れませんよ」
「シトロイツ卿」
ステングロス教授が口を挟む。
「……先程からご冗談が過ぎます」
別の紳士が尋ねた。
「ところでステングロス教授は確か、以前はさる国の大公殿下にお仕えしていた事もあったとお聞きしておりますが……」
「……ええ、ヴァンデュボン大公国……現在はチャケットランド民主共和国ヴァンデュボン県ですが……あの地域がまだ大公国として一独立国家だった頃、当時の大公で今は亡きシュトライス殿下の下で、国の立て直しと近代化の仕事をさせていただいておりました」
「それはそれは……何ともやりがいのあるお仕事だったでしょう」
「ええ、結局大公国は無くなってしまいましたが、良い思い出ですよ」
「ああ、今や何もかも懐かしい……」
関係無いはずのシトロイツ卿がしみじみと言った。
「……解りまさぁ……」
……と、それまで黙っていた一人の男がつぶやくように言った。
「……
それは不思議な男だった。年齢は30代後半~40代といった所か、身なりはきちんとしているが、あまり紳士らしくない(と言っても別に悪い意味ではない)。その肌は日に焼けており体格は筋骨たくましい。軍人かとも思われた。更にもっとも特徴的な点として、隻眼であった。ステングロス教授は尋ねる。
「失礼ですが、ただのお人ではないとお見受けいたしますが、アナタは……?」
「ああ、失礼……私はシエルの者でして……」
「ほう、シエル地方の……ではひょっとして、反帝国レジスタンスのお方ですか?」
「ええ、そうなんです。私はあのデイビス・グロンケットと共に帝国と闘っておりました……実はデイビスとはヤツが反帝国の英雄なんて言われるようになる以前からの古い馴染みでして……そのデイビスも味方の裏切りによって討たれ、レジスタンスもほとんど壊滅……私も追われる身となり、今はこのアーネムランドに身を寄せております」
別の紳士が言った。
「それはそれは……すると亡命中という訳ですな」
「そうなりますな」
「失礼ですが、よろしいんですか? こんな目立つ所をウロウロなさって……この王都には帝国のスパイも多い。危なくないですか?」
「いや、それが……」
……と、そこでこのレジスタンスの男は、少し困惑したような表情を浮かべて言うのだった。
「……私も普段は目立たないよう田舎に引っ込んでるんだが、先日この国の仲間から連絡がありまして……大事な用があるから王都に出てこいと言うんですわ。それで……」
「なるほど……」
「……そろそろ仲間と落ち合う時間だ……では、もう行きます。これにて失礼……」
男は去って行った。残された一同は話し合う。
「……本当でしょうか?」
「あの面構え……あれは確かに歴戦の戦士って感じだね」
「しかし危なっかしい人だ……そんな重要な事を行きずりの我々にベラベラ喋っちゃって……」
「我々の中に帝国のスパイが居たら大変ですな」
一同はどっと笑った。
「どうだい? あの人の後をそっと付けてみるか……」
「やめておけ。ヘタに首を突っ込まない方が良い。巻き込まれるぞ。うっかり見てはならない物を見てしまって、口封じに殺されたりしたら詰まらん」
「そりゃあそうだ……けど、彼が言ってた『大事な用』っての、何か気になるなぁ……」
「うむ、我が国に潜伏中のレジスタンス達に召集がかかった……こりゃあ何かあるな」
「ひょっとして今度訪問予定の帝国の第二王子と何か関係あるんじゃあ……」
「まさか……暗殺とか……? おい、これ当局に知らせといた方が良いんじゃないですか?」
「いや、でもそうと決まった訳でもないし……それにヘタに邪魔してレジスタンス側に恨まれても詰まらんぞ」
「結局、我々民間人は静観を決め込むのが一番賢い選択だよ。ねえ、教授もそう思うでしょ……?」
そう言って一人の紳士はステングロス教授の方を見た……ところが、その教授が居ない。いつの間にか居なくなっている。
「……あれぇ? どこ行っちゃったんだろう?」
「シトロイツ卿も居なくなったぞ」
「まさかあの二人……」
「うむ、人が良いのか、好奇心なのか……世の中には、事件に自ら首を突っ込んでいく人間というのが一定数いるもんだ」
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