女始末人絵夢6(5)百虎王

 目の前には聳え立つ荘厳な山の頂きと、それに対比するなだらかな山腹の光景が伸びていた。

 雲が山の頂きを掠め、温かい日差しは緑を一層際だたせている。


「きゃあ。きゃあ。すっごい景色~」絵夢が大猫のままのMの背中ではしゃいだ。

 横には睡羅がこれも大猫になって座っている。

 少し離れた所に小猫の小虎がこちらにお尻を向けて座っている。

「小虎。いつまで拗ねている? こっちへ来い」睡羅が呼びかけた。

 声は聞こえているはずだが小虎はそっぽを向いたままだ。

 その小虎を背後から絵夢ががっきと抱き上げた。

「わあああああ、可愛い~」

 小虎の意志は完全に無視して自分の頬にすりつける。

 にゃっ!? 小虎が逃げようと慌てる。

 すりすり・・ぷにぷに・・ふかふか・・。

 じたばたと暴れていた小虎の動きが小さくなり、やがて静かになった小虎が絵夢の膝の上にちょこなんと座る。

 ふうううううう・・Mと睡羅が同時に溜め息をついた。

 何だかんだと言っても小虎はちょろい。

「そう言えば、奴は見つかったのか?」睡羅がそっと尋ねる。

「まだだ」Mが滅多に見せない押し殺した声で答える。

 Mの左の青い目の中に名状しがたい嫌な光が走った。



 Mがこの里に来たのはずいぶんと前の事じゃ。それまでは巷に最悪最強で最恐にして最凶と言われる白い長い毛をした猫又がいるとは聞いていたが、わしらには関わらなかったのじゃよ。

 猫又の里はなにかの勢力というわけではない。あくまでも流れてきた猫又の集まる場所というに過ぎないからの。

 そうマダラの師匠は説明した。

 

 実際には妖魔界最強の符術師と言われるマダラ。それを補佐するこれも猫又界最強と言われる一番弟子睡羅が治める小さな集落である。

 だがここは刈り屋も手を出さない猫又の聖域だ。これまで何度か刈り屋の襲撃を受けたこともあるが、今では誰も猫又の里を攻めようと思う馬鹿はいなくなっている。刈り屋との間でも約定が結ばれ、一種の不可侵領域となっている。

 いわばマダラの師匠が支配する独立自治領という見方が正しい。


 マダラの師匠は話を続けた。

 ある日のことじゃ。

 わしの一番弟子の睡羅が、百虎王を連れてなあ、この里に来たのじゃ。

 こいつと義兄弟になりましたと睡羅が言ってのう。わしはそれを認めたのじゃ。

 遠からず、あの小虎も百虎王の義兄弟になってのう。

 それまでは、この里で全身白いのは小虎だけじゃったからのう。小虎の名前もその時に小虎が自分でつけたものじゃ。

 なに、百虎王がこの里に来るまでの話はわしも知らんのじゃ。百虎王も自分からは滅多に話さんでな。


 百虎王はしばらくはわしの下で術の修行に励んではいたのじゃが、やはり元々気性の荒い猫又じゃったのでな、こういう静かな生活が性にあわなんだのじゃろう。

 やがてどことも知れず、この里を飛び出して行きおった。

 それ以来、小虎は拗ねたままじゃ。置いて行かれた云うてな。


「へえ」とナオ。

 小虎。真っ白な子猫の猫又。

 化けているのかと思っていたが、あれが本体だとすればあり得ない存在だ。

 猫が歳経て妖怪と化すのが猫又だ。子猫のまま猫又になるというのがそも矛盾している。

 ナオと同じく何か事情があるのだろう。

 珍しくもそうナオは気を回した。

 そんなナオの心の内を見透かすかのようにマダラの師匠が目を細める。


 そうそう、百虎王だけじゃよ。わしとの三本勝負で一本取り返したのは。あのときはお堂ごと吹き飛んで大騒ぎになったものじゃ。

 それからしばらくは、百虎王がどこぞの人里を襲ったとかの話が、ちらりほらりと聞こえておったわい。賢くも、皆殺しにした里を雪崩で全滅したように見せたりのう、尻尾を掴ませないようにしておったが、とうとう・・。


 ここでマダラの師匠は煙草盆にキセルを打ち付けてマタタビの灰を落とした。もちろん演出効果を狙ってのことだ。


 ・・高田の馬場のもんも爺が雇われたのじゃ。


「高田の馬場のもんも爺?」ナオが聞いた。

「お前も名前ぐらいは知っておるじゃろう。この国で古くからやっておる裏刈り屋の総差配よ。あれに狙われて、生き残っている妖怪はおらん」

「確かに名前は聞いたことがありますが・・別に凄い妖術を使うとか、強い妖力があるとは聞いたことが無いですね。妖怪連中の噂じゃあ、今まで退治できたのは幸運だったからだとか」


 ナオが知るところでは古京都家のような表の刈り屋に対して、妖怪退治の隙間的な依頼を受ける仕事が裏刈り屋というところだ。なにぶんナオは売出し中の妖魔なので今まで刈り屋に狙われたことがない。

 だがそれはナオのかっての飼い主が刈り屋に対して恐ろしく神経質に対処していたためであることを、ナオは知らない。


「それがあ奴の恐ろしい所よ。生き残っているのが、常に幸運の仕業に見える所がの。

 たとえば、あの絵夢という娘さん。あの娘の使う技は確かに幸運なのじゃ。わしはそう見ておる」

「へえ、絵夢の姐御の技でやすか?」

「あの娘はでたらめにカンザシを刺しておるのじゃが、それが万に一つの偶然で急所に当るのだ。それも連続してな。一つも外れがない。

 それがわしが見るところのあの娘の力なのじゃ。大当りを無限に出すという。

 状況に少しでも壊れる因果があれば、そのツボを自然と突いてしまう。

 ナオ。お主にも心当りがあるじゃろう」

「へい。確かに。じゃあ、その高田の馬場のもんも爺も絵夢の姐御と同じなんで?」

「いや、あの爺は少し違う。もんも爺は、しかるべき時にしかるべき所に行って、しかるべき事を間違い無くやるだけなのじゃ。

 無為自然。されど的確。

 だからどれほど妖力の強い妖怪も術に長けた妖魔もあ奴には勝てんのじゃ。

 『機』を掴む天才とわしは見ておる」

「妖力も術も無しですかい?」

「先ほども言ったじゃろう。ナオや。力には様々な姿があるのじゃ」

「でも・・」


 マダラの師匠はついと前足を引いた。

 それに引かれて、お堂の表から小石が一個飛んできた。

 また何かを紙に書き付けると斑の師匠はその小石の上に張り付けた。

 ピシリと音がすると、小石が割れた。

「これはわしが考えた符で発気符と言うもんじゃ。この符は張られた物の中の気を一箇所に集める。今のは石の気が一箇所に集まって割れたのじゃ」

「へえ」ナオは感心して見ている。

 ナオも多少の術は使えるが正式に学んだものではない。ただ猫又の性に従い自然と学んだものだ。だからここまで高レベルの技は使えない。

「静かに動かぬことが『気』の本質である石でさえ割れるとすれば、百虎王やお前のような妖力の強い猫又にこれを貼ればどうなるかのう?」

 ナオは無言で理解した。おそらく五体は散り散りに裂け、骨一つ残らないであろう。

「力が強いことは時として逆に致命傷になるのじゃ」

「判りました。師匠。おいらの考え方が間違っていました。それで・・兄貴は・・」

「そこで、わしと睡羅はもんも爺に会いに行ったのじゃ」



 もんも爺は二匹を待っていた。

『先機』を読めばお前達が来ることは判ると、もんも爺はからからと笑った。

 土産に二匹が羽吹屋の羊羹を買ってくることは読んでいたので、濃くて熱いお茶が用意されていた。

「それなら話は早い。実はお主が依頼された百虎王の退治。ちと待ってくれんか?」

 マダラの師匠が切り出した。ここに尋ねてくるのに騒ぎにならないように、マダラの師匠は人間に化けている。

 睡羅はまだ大猫の姿のままだ。隠形の術をかけて師匠の後をついてきている。


「待つ? それは、どうして? わしの方も仕事でなあ」

 もんも爺がのんびりと聞いた。いま眼の前にいるのは稀代の化け猫二匹なのだが、緊張感の欠片もない。

 大猫の姿の睡羅はそっと位置を変えた。

 義兄弟の百虎王を、ただの人間の爺いがどうして倒せると言うのだ?

 見れば大した妖力も無いし・・お師匠様は買い被っているのでは無いか?

 そう疑問が湧いた。

「お主の仕事は判っておる。それじゃから、わしらが百虎王を見張る。二度と好きにはさせん。これならいいじゃろう。お主も手が省けるし」

 マダラの師匠は頼みこんだ。

「ふむ・・」もんも爺はしばらく考えていた。

「よし、判った。わしも楽な方が良い。ただし、条件が一つある」

「なんじゃ?」

「もし、百虎王を抑えることが出来ないその時は、必ずお主達の手で殺して欲しい。抑え損ねて、改めてわしが出るのでは面倒でたまらん」

 くそっ! 俺とお師匠様が百虎王を手にかけるだと。

 睡羅はじわりと、もんも爺に近付いた。気づかれないようにカタツムリの速度での移動だ。

 ここでこいつを殺せば話はそれで終りだ。そっと右の前足の体重を抜いて構える。

 百虎王には劣るが睡羅も一撃で戦車の一台や二台は潰せるぐらいの膂力は持っている。人間の爺の細い首の骨を折るなど割り箸を折るよりも容易い。

 ・・はずであった。


 ころん。

 睡羅の鼻先にまたたびの実が一つ、転がった。

 にゃ?

 睡羅が一瞬気を取られる。

 ついと伸びたもんも爺の手が睡羅の首筋の毛を撫でる。

「ほうほう。友達思いの善い猫よのう」

 睡羅の首を撫でながら、もんも爺が笑う。

「御無礼の段。師匠のわしが謝ります。これ、睡羅。馬鹿な事を考えるでない」

 マダラの師匠が頭を下げた。

 このとき睡羅はと言うと心底ぞっとしていた。


 もんも爺を殺すつもりで身構えていた睡羅を、もんも爺はマタタビ1個で捕まえたのだ。首筋を撫でたのが手では無く、鋭利な刃ならば今ごろ睡羅はあの世を彷徨っていることになっただろう。

 もんも爺の手は格別に速く動いたわけではない。なのに、睡羅には反応ができなかったのだ。

 あらゆる生き物は心の働きを自分の内部で刻んだ時に合わせて動かす。まるでコマ送りの映画のように一つのコマからもう一つのコマへと動きを代える。

 だがもんも爺はそのコマを送る間隙の時間に動いている。睡羅はそう結論づけた。

 これでは誰ももんも爺と互角には戦えない。

 自分と同じ時間にいない相手をどうやって倒せというのだ?


 妖力で皮膚を鋼鉄化すればもんも爺を相手にできるだろうか?

 それも無駄だ。符印を刻んだ刀を使われれば、あっさりと睡羅の首は落ちる。

 睡羅はやっと師匠がもんも爺を恐れるわけが判った。


 『しかるべき時にしかるべき場所でしかるべき事を行う』


 睡羅がマタタビの実に気を取られた瞬間に睡羅の首の上で猫又殺しの術をかけた刃を振る。たったそれだけで長い劫を積んだ猫又が抵抗することもできずに一匹死ぬのだ。

 もし、この警告が判らない猫又だったら、この場でもんも爺は殺していただろう。

 それもまた、しかるべき事の内なのだ。

 妖術はともかく、妖力は遥かに睡羅を凌ぐ百虎王といえども、これでは勝てない。


 睡羅は項垂れた。最悪の場合、師匠と俺で兄弟を殺さねば、猫又の里自体がこの化物爺いに襲われかねない。



「で、どうなったんです。師匠」ナオが身を乗り出して聞いた。

「百虎王はわしらの勧告を無視した。わしと睡羅はしょうが無しに戦ったよ」

「へえ・・さぞかし凄い戦いだったでしょうね」

「その戦いに関してはいつか百虎王に聞いて見るが良い。ただ、わしと睡羅の二匹がかりでも百虎王は殺せなかった。修行を嫌って里を出たとわしらは思っておったが、しっかりと術は覚えていたところを見ると別の原因かも知れんなあ。

 でなければいかに百虎王でもあっさりと死んでおったろうよ。

 まあ、結局、わしと百虎王と睡羅はお互いにボロボロになり、わしらはひとまずこの猫又の里に戻ったのじゃ。一方で百虎王は・・」


 絵夢に拾われたのである。


 マダラの師匠の発気符を二発も食らい、すでにMのダメージは限界に達していた。

 睡羅の援護の下、マダラの師匠の一筋縄ではいかない恐ろしい術にさしもの百虎王もズタボロにされたのである。

 密かに睡羅が手加減してくれていなかったら、百虎王の運命はそこで尽きていただろう。

 しかし、密かに百虎王に味方しているとは言え、睡羅もそうそう手を抜くわけにはいかない。

 手抜きを見破られたら、あの高田の馬場のもんも爺がいつ猫又の里にやってくるかも知れない。

 もんも爺のあの手際を見て以来、睡羅は睡羅で独自に調べて見たのだ。

 そしてもんも爺がたかが人間などという言葉で表されるものではないことに気づいた。


 年齢不詳。

 あの妖怪退治屋は恐ろしく昔から生きている。人間の寿命を遥かに凌駕しているのだ。

 しかも奴に殺された妖魔の数は千匹を優に越えていた。どれも一癖も二癖もある手強い妖魔揃いだった。

 殺し屋の王。

 それが高田の馬場のもんも爺の正体だった。

 裏刈り屋の差配をやっているのは伊達ではない。

 睡羅は猫にあるまじき冷汗をかいた。


 激しい戦いでMは妖力をほとんど使い尽くした。

 ここで、妖気エクトプラズムをいわゆる『消化』して妖力に換えることは可能だが、それをやってしまえば折角積んだ年劫が減ってしまう。何百年も後退してしまうのだ。

 そこで百虎王はもう一つの道を選んだ。

 崩れた身体を立て直すために、Mは最低限の妖気エクトプラズムのみを現界に残し、ほとんどの妖気を冥界へと送り込んだ。

 こうすることで、冥界に満ちる弱い幻力を妖気が取り込む。

 元の力を取り戻すのには長い時間がかかるが、少なくとも弱くならなくてすむ。


 残ったわずかな妖気では普通の猫の身体を作るのがせいぜいだった。

 そして道端で無力に倒れている所を通りかかった絵夢に拾われたのだ。

 運命は成就する。破滅と絶望と新生を目指して。

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