女始末人絵夢6(4)蠱毒の壺

「きゃあ、これってアンティーク!?」

 絵夢が感激していた。囲炉裏を見ては叫び、部屋の古障子を開けては叫んでいるのだ。

 この古民家自体はほぼ五百年前に人間の手で建てられている。それを猫又たちの有志が現界から妖力で攫ってきたものだ。


 ふにい。百虎王。この娘。面白い娘だなあ。

 にゃあ。そうだな。睡羅。ところでお前は変わりは無いか?

 ふに? 平和なもんさ。この里は・・。

 Mと睡羅は座敷に寝転がって会話をしている。


 すでにマダラ勝負は終り、見物していた猫又達はナオの匂いを覚えると、それぞれ昼寝に戻って行った。

 お堂の中にはマダラの師匠とナオの二匹だけが残って話をしている。


「しかし、師匠。Mの兄貴ぐらいの妖力ならば、師匠よりも強いのではありませんか?」

 ナオが打って変わったような丁寧な口の聞き方をする。

「そうでも無いぞ。ナオよ。勝負というものは量より質で決る。

 量というものは十倍溜れば、一つ質が変化するのが原則じゃ。つまり、ナオや。お前でも三つほど新しい術を覚えれば、百虎王並には成れるということじゃ。

 まあ、その三つの術を覚えるのが大変なのだが。

 ナオや。術を覚えたいかの?」

 ナオはしばらく考えたが、マダラの師匠がにやにやして見ているのに気付いてやめた。

「やめときます。本当に大変なんでしょ?」

 このときのナオは自分でも知らずに真実に近づいていた。マダラの師匠は超がつくスパルタ教育なのだ。その修業を最後までやり遂げたのは、睡羅を始めわずかに数匹のみ。

「そのせいかどうかは知らんが、百虎王は修行の途中で逃げ出しおったわ」

 マダラの師匠はカラカラと大笑いした。猫又ともなると、人間流の表現が多くなる。つまり人化けがうまくなる。

「まあ、よかろう。ところで、ナオや。お前は蟲術で作られた蟲猫じゃったの」

「へい。よく御存知で」ナオが恐縮する。

「全国の猫達の見た話は全て地域の猫又に伝えられ、それらの噂話は最後にはここ。猫又の里に集まるのだ。わしはそれを又聞きすれば良いだけでの。

 なに、ナオや。実は蟲猫という奴は、作られ方のせいか、普通の年劫を経て化ける猫又とは違って、気性がひどく荒くなる。そして実にしばしば、人間の村を襲っては人を食ったりするのじゃ。

 そうなれば、人間の方も黙ってはおらん。高田の馬場のもんも爺などから刈り屋が送り込まれてきてのう、その度に大騒ぎになりおる。

 少しでも過去が判れば、そこら辺りの見切りがつくというものじゃ。

 そういうわけで差し支えなければ、お主の過去をこのわしに話してはくれんかの?」

「判りました。この話はいつか誰かにしなくてはならないと俺も思っていました。その代わり、師匠。誰にも話さないでくださいね」ナオは背筋を正した。


 こうして、ナオは話し始めた。

 話の内容次第では猫又の里を追い出すとも取れる話だが、変なところで単純なナオはそこまで考えが至らない。



 ・・おいらが蟲術の壺の中にほうり込まれたのは、まだ目も開かない子猫の頃だったんで。


 御存知でしょうが、蟲術というのは毒の強い生き物を壺の中で食い合いをさせ、最後に残ったものに術をかけて使い魔にするという術でやす。

 もちろん、子猫を使い魔にする道理はありませんや。

 おいらはあくまでも餌として大壺の中に入れられたんで。


 まあ、普通ならそのまま食われていたんでしょうね。ところが一緒に餌として入れられた猫が二匹いましてね。母猫と子猫でした。

 この母猫の方がおいらをえらく気に入ってくれたんです。

 どうやら、残りの子猫達は他の壺に入れられて、毒虫たちに食われてしまったんでしょう。それで母猫は失った子供の代わりにあっしを守ったんでしょうね。


 我が子を思う母の力があれほど強いなんて、いま考えても驚きやす。

 何せ、おいら達を餌にするはずだった、自分の身体よりでかい大毒蜘蛛を逆に殺しちまったんですから。

 でも幸運なんて長くは続きませんや。

 三回目にほうり込まれた大毒蛇にその母猫も殺されちまったんで。


 いや、それは、もう。前の戦いで前足の一本を食いちぎられて、出血と身体に回った毒のために瀕死の呼吸をしている母猫が、それでも、新たに入って来た大毒蛇と戦うために身体を引きずって戦いに出かけるんでやすから。

 母親ってのは悲しいもんでやすね。

 ナオの語尾が震えた。


「泣いているのか? ナオよ。猫は泣かないもんじゃ」マダラの師匠が叱りつける。

「あれだけのことをした母猫です。猫又の一匹ぐらいは泣いてやってもいいでしょう?」

 ナオはしばらく泣いていた。

 涅瞋鬼。黒くて大きな怒れる鬼。そのアダ名を持つ猫又はしばらく泣いていた。

 思い出したくない記憶を久方ぶりに思い出した。

 マダラの師匠はそれ以上咎めずに、ナオが落ち着くのをただ静かに待つ。マタタビの葉っぱの煙がその周囲にぷかりと浮かぶ。

 ようやくナオが落ち着いた。


 まあ、相手の大毒蛇も結局は死にましたよ。

 どうして自分がこんな片手が無いただの猫に負けたのか、理解できなかったようですがね。

 母猫もその戦いで死にやした。

 で、おいらとその兄猫は最初は毒蛇の身体を食って生き延びたんです。やがてそれも尽きるとおいら達の前には母猫の腐りゆく体だけが残りやした。

 兄猫は本当の親だったので食いませんでしたが、おいらはその母猫の死体も食いやした。

 きっと次の敵が来ることが判っていたんで。

 食うたびにおいらたちの身体の中には妖力が満ち、おいらたちの身体は成長していきやした。

 こうなるともう、瓶の中にほうり込まれる敵も恐くはありませんや。


 でも、とうとう最後の敵にあたっちまったんで。


 兄猫でやす。ずいぶんと長い間、次の餌が来ないと思っていたら、結局、生き残るのはただの一匹だけで良かったんですね。

 おいらには判りました。兄猫を殺せばこの地獄もそれで終りだと。

 この暗い、どこに行きようのない空間から出られると。


 でもね、おいらの中に今でも生きている母猫の魂がそれをとどめやした。

 それからも飢えは長く続いたんです。

 そして、ある日。ついに飢えに負けた兄猫がおいらを襲ったんです。


 ・・おいらは兄猫を殺して食いました。


 母猫を食っていた分、おいらの方が力が上だったんです。

 ボロボロになりながらもおいら一人生き残りやした。

 さすがに、おいらはもう厭だと思いましたんで。こんなことを続けるぐらいなら、もう死んだ方がましだと。暗い壺の底で倒れていると、壺の蓋が開いて光が見えやした。

 出して貰いたいならばワシと契約しろと術主の声が聞こえやした。


 そうして、あの蟲術使いの元締はおいらを手に入れたんです。

 元締はおいらに呪法を施すと、その後は自分の血でおいらを育てやした。

 後は毎日毎日、人を殺す訓練です。ときには深夜に通行人を殺すこともさせられましたね。


 おいらは本当に自惚れていましたんで。なにせおいらに対抗できるような奴には遭わなかったんで。

 元締のかけた縛りの呪法がなけりゃあ、とうの昔に殺して逃げ出していたんですがね。

 

 結局、おいらはまだ壺の中にいたんです。見えない壁に囲まれた壺の中に。

 どんなに遠くに行っても、元締が口笛を吹けば、帰らなくちゃならない。

 何度でも新しい敵と戦わされる。

 おいらは自分の運命にうんざりしていました。


 で、あの日。Mの兄貴に出会ったんで・・。


 一本だけ骨折を免れた前足だけでナオは暗闇の中を這っていた。

 Mにボロボロにやられた夕刻である。

 ナオにとっては初めての敗北であった。それも徹底的な。

 ・・恐ろしい戦いだった。それでもMにとってはただの遊びだった。

 ナオの攻撃はMには一切通用せず、一方的に叩きのめされた。

 生きていたのは奇跡というより、なぜかMが見逃してくれたのだと今では理解していた。


 冷たい雨が降り始めた。ナオはそれでも這い続けた。

 誰かの靴がナオを蹴った。

 傘をさした男だ。ナオを見ると、もう一度蹴って近くのゴミ捨て場の上に放り投げた。

「くそっ。野良猫め。靴が汚れちまった」そんな声が聞こえた。

 靴に蹴られて折れた骨が肺に刺さり、ナオは残り少ない血を吐いた・・。


「ひどい人間がおるものじゃのう」

 マダラの師匠が眉をひそめた。無論、猫流にだ。

「へへ、後でその男を見つけ出して、仕返しはしやしたがね」とナオ。

 男に取っては無慈悲な蹴りの一発が高くついたものである。だが自ら地雷を踏んだのだから仕方がない終わりであった。

 マダラの師匠とナオが顔を見合わせて大きく頷く。

「慈悲を持たぬ者に慈悲を施すことは無いからのう」

 またプカリと師匠のキセルから煙が浮かぶ。この話はそこで終わった。


 ・・主人である元締の所に戻らなくてはならない。胸の中の小さな痛みがそれを教えていた。

 逃げれば心臓が破裂するだろう。妖力を操る部分と共に。

 しかし今度Mに見つかれば確実に殺される。ぐずぐずはしていられない。

 どれだけ苦しかろうが進み続けるしかない。

 と、突然。ナオの胸の中で何かが砕けた。

 瞬時にナオは悟った。自分の主である元締が死んだのだ。胸の中の呪の痛みは消え、同時にナオの身体を支えていた妖力自体も消散してしまっていた。

 こうなれば、ナオはただの猫だ。それも全身に傷を負って、出血で死にかけている。

 ナオはもう動けなかった。


 夜になり、暗いゴミ捨て場で死にかけている黒猫のナオには誰も気付かなかった。

 雨はあいも変わらず、しとしとと降り続いている。

 すでに視力も無くなりかけているナオの前に光が一つ近付いて来た。

 ・・安達四郎。暗殺組織黒虎宅配便の元締だった・・。

 さあ、涅瞋鬼。おいで。わしと一緒に地獄に行こう。お前と一緒なら、あちらでも楽しくやれるぞ。

 元締は虚ろな声でナオを誘った。降りしきる雨よりも冷たい手をナオに差し出してくる。

 ナオは弱々しく首を横に振った。

 もう使われるのは厭。自由にさせて。

 しばらくの間、元締の亡霊はそこにいたが、やがて消え去った。


 夜はますます深まり、ナオはまだ死ねなかった。ある意味、それが涅瞋鬼としての矜持であった。

 ひたすらナオは寂しかった。こんなことなら元締と一緒に行くんだったと後悔もした。

 だがそれでも死ねない。

 暗い蠱毒の壺の中で、腐った母猫の肉に齧りつかせた涅瞋鬼としての生への意志。今やたった一つだけ残されたそれがナオの諦めを拒絶している。


 ナオ~。

 ナオは小さく泣いた。元締~やっぱり連れていって。

 再び、光が近付いてきた。

 ナオは泣きながら、まだ動く前足を差し出した。

 温かい手が、その前足を握った。

 絵夢だった。

 そして再び出会ったMは、ナオを殺す代わりに新しい猫又としての命を与えた。


「ふむ・・・」マダラの師匠は言った。「百虎がそこまで優しくなるとは、やっぱりあの娘の影響なのかのう」

「絵夢の姐御の事ですかい?」ナオが尋ねる。

「百虎も昔は荒れた猫又でのう」と師匠。「聞きたいかの?」

 ナオはぶんぶんと音速で頷く。

 今度はマダラの師匠が話始めた。

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