女始末人絵夢6(3)マダラ・チャレンジ
古い草葺き屋根に年代を感じさせる重々しい大黒柱。まるで江戸時代の時代劇に出てくる農村の風景だ。
「すっご~い。これって、まるで時代劇のセットね」絵夢が感激して叫ぶ。
きゃいきゃいと家の中を覗き込んだり、あっちの通り、こっちの通りと跳ね回る。
「きゃあきゃあ。面白い~」
Mとナオとマダラの師匠が同時に溜め息をついた。
「じゃあ、睡羅。Mと娘さんを今日の宿へ案内しておくれ。ナオはわしと一緒に来なさい。里の者達に紹介するから」マダラの師匠が言った。
「さあおいで。もっとも今更逃げようといっても逃さないがな」
「兄貴~」
不穏な空気にナオが情けなさそうな顔になった。
「心配するな。ナオ。お師匠さまにたっぷりと躾て貰え」
Mが含み笑いをしながら言った。睡羅も、ああ、という訳知り顔で頷いた。
「ええい。こうなりゃあ、どこなりとも行ってやらああ。おいジジイ案内しろ」
よせばいいのにナオがべらんめえ調で言う。
これから始まるのは猫又の里に新たに来た者が全員受ける通過儀礼。つまりマダラの師匠との勝負なのだ。
*
ナオと斑の師匠が行った先は里の外れにあるお堂だった。すでにお堂の中は暇を持て余した里の猫又たちで一杯だった。
マダラの師匠は奥の上座にちょこんと座り、お堂の周りを猫又たちが囲む。皆、何かを期待している。
ちらりと見ただけでナオには分かった。Mほどではないが、ナオよりも強い妖気を振りまく猫又が数匹混ざっている。きっとどれも二つ名持ちの古株の連中だ。ナオは特殊な出自の蠱猫なのでどの猫又とも面識はない。
Mはいつも妖力は見事に隠している。漏れ出る妖気だけではMが怪物であることはまったく分からない。それは絶え間なく襲い来る敵との戦いの中で生き残るために身につけた技術である。
それに対してここにいる猫又たちは己の妖気をわざと撒き散らしている。吹き上がる妖気だけで今にも家が吹き飛んでしまいそうだ。
そしてこの嵐とでも形容すべき妖気の渦の中で、マダラの師匠の周りだけが台風の目のようにぽっかりと穴が開いている。ありえないことに一切の妖気が静まっているのだ。
それを知ってようやくマダラの師匠がどれだけの力を持っているのかが分かる。これら荒れ狂う妖気すべてを鎮めてしまうほどの妖力が師匠にはあるということだ。
そしてまたマダラの師匠がどれだけの地位にあるのかも分かった。ここにいる気性の荒い猫又たちすべてがマダラの師匠に頭が上がらないのだ。
ナオの想像上の背中に冷たい汗が流れた。師匠に対する自分のぞんざいな言葉つかいが今更ながらに悔やまれる。
ヤブの中の蛇に喧嘩を売ってみたら、虎だったようなものだ。
ええい、もう、どうにでもなれ。ナオは開き直った。
四周これ敵という状況の中で、その中央にナオはどっかと猫にあるまじき姿であぐらをかいた。内心、小便を漏らしそうな気分であったが意地でもそれは認めない。
「さあ、煮るなと焼くなと好きにしやがれ」
どうもナオは時代劇の見過ぎの様だ。最近は絵夢に正体がばれてしまったこともあって、夜中にどうどうと時代劇を見ている。寝惚け眼の絵夢もナオの横でそれを見ている。
「これこれ、そんなにイキがらずに。わしはお前を皆に紹介するために連れて来たのじゃぞ」
マダラの師匠が宥める。どこからか出した長いキセルに草を詰めて火をつける。
煙を吸い込み、ぷうっと吐き出すとマタタビの匂いが漂った。
貫禄の違いに負けまいとナオは身構える。
「へっ。はばかりながら、このナオ様は皆と楽しくやろうなんざ、これっぽっちも思っちゃいねえんだい。おいらは自分より弱い奴の言うことは聞いたことがねえんでい」
・・あまりいばれるセリフでは無い・・。
見物している猫又たちの内でツワモノに属する連中がニヤリと笑う。猫又は実力主義だ。ここにマダラの師匠がいなかったら即座にナオを皆で袋叩きにするのが猫又としての流儀だ。
「ほほほほ。若い内はそんなもんじゃ。だからこの猫又の里に新たに来た者はワシとある勝負をすることになっておる」
マダラの師匠が猫流に笑いながら言った。そうするとマダラの師匠の口は耳まで裂ける。
「勝負!? やっぱりそうきたか」ナオが身体をぐっと膨らませた。
「いつでもいいぜ」斑の師匠を睨みながら、そう言う。
ナオの体が妖気を溜め込むとぐうっと膨らみ始める。
それに応じるかのように、マダラの師匠はどこからか紙を束ねた物を取りだし、これもどこから出したのか墨のたっぷりと付いた筆を取り出すと、さらさらと何かを書き付けた。
続けて、書いた紙を破ると、ひょいとナオ目がけて放った。
反射的にナオは避けたが、紙はナオの後を素早く追うとペタリとその身体に貼りついた。
「!?」ナオは驚愕した。
身体の膨張が止まったからだ。あるはずの妖力が一瞬で散じてしまった。
ナオは爪を伸ばしてその紙を破ろうとしたが、どうしても破れなかった。鋼鉄でさえ引き裂くナオの爪がただの紙にまったく歯が立たない。
「どうじゃ。符を張られた気分は。その符はお前の妖力の流れを止めるし、吸収した妖力で自分を強化するので、取ることも破ることもできなくなるのじゃ」
マダラの師匠が笑った。
「妖力の強さだけが力では無い。力には様々な物があるし、強さにも様々な形があるのじゃ。力の意味も知らずに力のみを求め、驕る者は遠からず滅びる。
判ったかの? お若いの」
「やかましいや。べらんめえ。今は不意を突かれたから貼られたが、本気でやればおいらは負けねえやい」ナオが去勢を張る。
「ほう」
マダラの師匠がとことこと二本足で歩いてくると、ナオの身体から符を剥した。
「では、もう一度勝負と行こう。あの扉のずっと向こう。里への道の中央にある大岩が見えるな?」
マダラの師匠は外を指さした。
まわりの猫又達が全員にやにやと笑っている。これから何が始まるかを知っているのだ。
「ああ、あの岩がどうしたっていうんだい」ナオが喧嘩腰で言う。
「あれは昼寝岩と言ってな、わしらが昼寝に使う岩じゃ。実に寝心地がいいのでな。
これから、お堂を出てあの岩まで競走をしよう。
あの岩に着くまでに、わしに符を貼られたらお主の負けじゃ。
貼れなかったらわしの負けじゃ」
「へ、そんなことかい。油断しなきゃあ、おいらが負けるわけが無いんだ。
よおし、その勝負受けた。へっ。師匠。あんたが負けた時はどうする?」
「このわしをお前の好きなようにするがいいさ。お前が負けたときはどうする?」
「この俺を煮るなと焼くなとするがいいさ」
マダラの師匠はナオが言い直す暇を与えず宣言した。
「良し。では始め! じゃ」
ばっと身を翻してナオがお堂を飛び出す。
それよりも早く、にゅうっと、マダラの師匠の手が驚くほど伸びて、ナオの背中に符を貼り付ける。それにも気付かずにナオが昼寝岩に向けて走る。
ほどなく、到着したナオの所にちょこちょことマダラの師匠が歩いて来る。
「これこれ、若い者はせっかちでいかん」とマダラの師匠。
「へっ。口ほどでも無え。俺の勝ちだな」ナオが言う「どうしてくれよう、このジジイ」
ナオの剣幕とは真逆にマダラの師匠はニコニコ顔だ。
「その前にお主の背中を見てごらん」
マダラの師匠の言葉に怪訝な顔をして、背中を探ったナオはお札が貼られているのを見つけた。
「げえ。いったいいつの間に!」
「お主が走るために背中を向けた一瞬じゃ」
「きったねえぞ。ジジイ」ナオが言い放つ。
「どこがじゃ。それがもっと物騒な符ならば、お主はお堂を出る間もなく死んでおったぞ。戦いの相手が、これから行くぞ、とでも言ってくれるというのか?」
ぐっと言葉に詰まったナオの前でマダラの師匠はキセルを吸って、ぷうと煙を吐いて見せた。
「だが、まあ、善い。では、もう一度勝負して上げよう。今度はお堂までじゃ」
ジリジリと師匠から離れると、ナオは今度は背中に符を貼られることなく、いきなり駆け出した。
妖力も加えて凄まじい速さで駆けたのであやうく音速を破りそうになる。
最初にやられなければ、おいらに追いつけるもんかい。ナオはそう思っていた。
背後に何かが迫っている気がする。ナオの猫又としての感覚に、背後に迫っている気の塊が感知できた。それに追い付かれまいとナオは一層速さを上げる。
背後の気配もナオに合わせて速度を上げた。
この俺について来るとはとナオは舌を巻いた。
だが、お堂の入口はすぐだ。
ナオはお堂の入口目掛けて大きく最後の跳躍をした。
「ほい」
お堂の入口の上に逆さにぶら下がっていたマダラの師匠が、飛んできたナオの額にペタリとお札を貼った。
お堂の中に呆気に取られたナオが突っ込む。
集まっていた猫又たちが妖術で障壁を作り、ナオを受け止めた。
どの顔にもニヤニヤ笑いが貼り付いているのがナオには悔しかった。
「じじい? じゃあ・・じゃあ、後ろにいたのは?」
ナオが自分の身体を改めると、尻尾に一枚、何かの字がかかれた木の葉がくっついていた。
「ほほっほほ。どうじゃな?ナオ」
マダラの師匠が笑いながら言う。それに合わせて周りの猫達が一斉に笑う。
「こん畜生。きたねえぞ。こんなごまかしをやりやがってえ」ナオが喚く。
「勘違いしたのはお主じゃぞ。敵が正々堂々と前に立ってくれるとは、お主、よほど楽な戦いばかりして来たのじゃのう。だが、まあ、善い。
もう一度だけ勝負してあげよう。もう一度、あの昼寝岩までじゃ」
ナオは今度は師匠を睨みながらゆっくりとお堂を出ると、そっと昼寝岩に向けて歩きだした。妖力を前足に集中して爪を長く伸ばす。もし師匠がお札を貼りに近付いて来たら殺すつもりだった。
・・師匠は襲って来なかった。
ようやく昼寝岩に到着するとナオは辺りを警戒した。
変だな?
どうして来ないんだ?
ナオは昼寝岩へと前足を伸ばした。まあ、いい。これで俺の勝ちだ。
昼寝岩の幻影が消え、そこに立っていたマダラの師匠がナオの差し出した前足へお札をペタリと貼り付けた。
「ほい。これで三度ともわしの勝ち」
マダラの師匠が宣言する。
幻影が解けると本物の昼寝岩はもう少し向こうにあることが分かった。
「ジジイ・・」絶句するナオ。
「まだやるかのう?」にこにことマダラの師匠が尋ねる。
ナオはぱったりと倒れて大の字になった。
「俺の負けだい。どうとでもしやがれ」
「それでいいのじゃ。何事にもとんがらずに穏やかに生きるのじゃよ」
師匠はナオの鼻面を嘗めた。
「猫又の里にようこそ。ナオ。ここがお主の故郷じゃ」
お堂の周りで猫又達が笑い転げていた。誰もがこの師匠の洗礼を一度は受けているのだ。
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