女始末人絵夢6(2)猫の道
ちらりと辺りを見回してから、絵夢は三メートルに巨大化したMの背中に馬乗りになった。
よし。良し。元締は見てないわね。やっぱり、この乗り方が一番よ。Mが独りごちる。
それに~Mの方がナオより、乗り心地いいよね~。毛も長くてふさふさしているし・・。
絵夢がMの長毛をさわさわと撫でる。Mの毛皮って豪華よね。
Mの毛がひとりでに伸びると絵夢の周りに巻ついて固定する。
小さいままのナオがひょいと絵夢の前に座る。そのまま絵夢の膝の上でぬくぬくと丸まる。そうしているとまるでただの黒猫にしか見えない。ナオは昨夜の自分の仕業を完全に忘れている。
にゃあ。出発進行!
Mが風のごとく走り始めた。。
隠形の術をかけたまま、日が上る直前の街の中を駆け抜ける。
「ねえ。ナオ。『猫又の里』ってどこにあるの?」
絵夢が自分の膝に座っているナオに聞いた。
なお~。良くは知らない。兄貴が場所は教えてくれたけど。
なお~。猫街猫通り三丁目を右に曲って跳躍三百回、ぶちの通りを奥。辛い匂いの風を追って、山の中へ。
「なによ、それ。ナオ。全然判らないじゃない」絵夢には本当に判らなかった。
なお~。猫だけに判る道。猫の道。
「ねこのみちいぃぃ!?」絵夢が素っ頓狂な声を上げた。ふと、辺りを見てみると・・。
Mが角を曲った。塀の角を曲ったのに、絵夢が振り返ると、塀の影も形も無い。一行は荒野のただ中を走っていた。続いて古びた木の標識が立っている十字路にさしかかる。
そこで世界がブリンクした。
光景がすり替わり、見知らぬ街をM達は走っていた。
周りを歩く住人は何だか奇妙に見えた。それが住人全てに耳が無いせいであることに絵夢は気付いてぞっとした。
なお~。これが猫の道。精霊の道。幾つもの世界を貫く魔法の道にゃ。ナオが説明する。
人間が迂闊に足を踏み入れれば帰ってこれないことは敢えて黙っていた。
「でも、これって一体」絵夢はまだ戸惑っていた。
今周囲に人がっているのは怪奇の世界だ。科学の世界で生きてきた人間にはなかなか理解できない。
と、突然、前方に大きな人影が立ち上がった。
でかい。十メートルはある巨人だ。ざっと見て三階建てのビルの大きさがある。
Mの左目が光ると、巨人が自分の目を押さえてバランスを崩した。
Mの幻術だ。巨人には世界がいきなり渦を巻いたように見えただろう。
地面についた巨人の片膝の横を摺り抜けながら、Mは前足を振った。
Mの鋭利で強靭な爪に切り裂かれて巨人の膝が血を吹き出す。巨人の丈夫な腱も頑丈な筋肉も、Mの爪の鋭さには敵わない。戦車の装甲鉄板ですら、Mの爪の前にはスポンジの硬さでしかない。
巨人が怒りの声を上げて振り返った時には、すでにM達は次の世界への道へと飛び込んだ後だった。
なお。あいつ悪い奴。いつもここで精霊の道を通る初心者を待ち伏せしてる。
なお。Mの兄貴に会ったのが運の尽き。
なぜかナオが自慢げに解説する。
これが悪鬼と呼ばれた大猫又の涅瞋鬼とは誰が知ろう。ナオはすっかりと丸くなった。
いや、これまでのナオがグレていたのだ。ナオにしては自分が殺した兄猫がMとなって生き返ってきたような気分であった。
絵夢はこの奇妙な旅を理解しようとするのを諦めて、辺りの景色を見ることに決めた。
大白猫の乗り心地は上々、天気も良い。
少なくとも、次の道に入るまでは。
*
風が変わり、景色は山の中の草原へと変化した。
白い花を付けた草原の中を曲りくねった道が一本、続いている。
なお。たくさんの猫の匂いがする。ここが猫又の里にゃ。
Mが走りながら、ナオの説明に微かに頷く。懐かしい光景だ。少しだけそう思った。
「わあああああ。ここって最高~」絵夢が叫び声を上げる。
その声に触発されたかのように、道がM達の前方でぐわっと盛り上がった。
今度は巨人ではない。土で出来た巨大な手がM達の前に立ちはだかった。
にゃあ。Mが一声高く鳴くと、その手に正面からぶつかった!
絵夢とナオの前にMの毛が盛り上り、衝撃からガードする。
突進するMの身体は土の手をばらばらに吹き飛ばした。
ナオが慌てて周囲を見回す。
「兄貴い。今のは・・敵ですかい? 兄貴い」
「敵じゃない。心配するな。ナオ。まったくもう、睡羅の奴め」
Mはぶつぶつとつぶやいた。
とんでもない速度で長い間走っているが、Mは息一つ切らせてはいない。
Mの体は生身の肉体では無いのだから当然と言えば当然であるが。
今度は前方に森が見えて来た。森の中へと通じている道の真中に大きな石が一つ置いてある。
その石は上が真っ平らで何かが乗っているのが見えた。
Mはその前で急停止した。絵夢を固定していたMの毛がしゅるしゅると音を立てて解ける。
絵夢はMの背中から降りて、乱れたスカートを直した。
石の上には斑の模様の猫が一匹寝ていた。
「あら。ぶち猫」
絵夢がそう言うと、斑猫をひょいと抱き上げると撫で始めた。それを後ろで見てMが目を剥く。
相当の歳を感じさせる大きなぶち猫だ。体の毛のあちらこちらが擦り切れている。
日に温められた石の上で寝ていただけあって、とても温かい。
斑猫は絵夢の手に撫でられると目を細めて、にゃあと小さく鳴いた。
「ねえ。M。ここが猫又の里なら、この猫も猫又なの?」
絵夢が撫で続けながら聞いた。本当にこれが猫又だったら自分の行為はものすごく危険たということにはまったく気づいてはいない。
ナオは内心羨ましく思い、その猫を睨んでいる。
にゃあ。お師匠様。いつまで猫を被っているんです?
いつもの大きさに戻ったMが、絵夢の抱いている猫に訊いた。
「いやいや。この娘の手。真にもって気持ちが良い。ついつい楽しんでしもうたわい」
絵夢の胸の辺りにすりすりしていた斑猫が喋った。
「きゃあ~」絵夢が斑猫をほうり出した。
Mやナオみたいに、先に猫の鳴き声を出してから人の言葉を話すならともかく、いきなり人語を話されると・・絵夢でさえ驚く。
ストンと再び大石の上に着地すると斑猫はMに言った。
「久しぶりじゃのう。百虎王。おっと、今はMか。それにそちらの黒いのは話に聞いたナオじゃのう」
「お師匠さまも元気そうで何よりです」
Mが居住まいを正して答える。まさに猫を被るだ。
「兄貴いい。このくそジジイが師匠ですかい?」ナオが横から小さな声で訊く。
Mがポカリとナオの頭を殴る。
「こら、お師匠様にぞんざいな口の聞き方は止めろ。それとお師匠さまには聞こえているぞ」
「だってえ、兄貴がこんなにペコペコしてるなんてえ」ナオが頭を押さえながら言う。
「すみません。お師匠さま。こいつはまだ若すぎて・・」Mが謝る。
その傍らでナオの耳に術を通して囁く。
『お師匠さまは妖魔界随一の符術師だぞ。見た目はこんなだが一度怒れば四海津々浦々尽く滅び尽くせる御方だ。ちったあ敬意を示せ』
『でもちっとも強そうに見えないし』
『こないだのあのでっかい黒ロボット。あれよりは確実に強いといえば分かるか』
『へ?』
それ以上はナオの相手はせずにMは斑猫へと向き直った。
楽しそうに斑猫は笑った。猫と人の中間ぐらいの笑いだ。
「ほっほっほ。善い、善い。このぐらいの歳の時はそうで無くてはのう。まあ、後でたっぷりと躾をしてやろう」斑猫がにこにこと言う。
「やい、こらジジイ。おいらを躾るだとう。出来るものなら・・」とナオ。
そこでまたMがナオの頭をポカリとやる。
そのとき森の中から2匹の猫が駆け寄ってきた。一匹は大人のこれも斑猫だ。
師匠猫よりは随分と若い。更にその後ろについて来ているのは真っ白な短毛の小さな猫だ。
不満気な顔のナオを放っておいて、Mが先頭の斑猫に声をかける。
「おい。睡羅。ずいぶんな御挨拶だな」
「すいら・・って、その猫の名前?」絵夢がぼそりとつぶやく。
Mったら一体いつ、この猫達と知り合ったのかしら?
子猫の時分からずっとあたしが育てたはずなのに?
にゃ~。睡眠の『睡』に、羅紗の『羅』って書くの。
絵夢へ話す時は猫を被るMであった。
「こら。M。あたしより漢字を良く知ってるんじゃあない!」絵夢が怒る。
そのセリフを聞いて、横でナオが溜め息をついている。
実はナオもその程度の漢字はかけることは黙っておいた。だが飼い主のプライドを傷つければ夕食の猫カンのグレードが一段階落ちることは今までの経験から分かっている。
近くまで来ると、斑猫はMの前に座った。白の小猫はその後ろに座る。
前足を振りながら睡羅が話す。
「おお、いてえ。噂に聞いた通り、凄い人間のメスだなあ」
「言葉使いに気をつけてくれ。レディがいるんだぞ。睡羅」
Mが慌ててフォローに入る。続けて「どうした? その前足?」と訊く。
「どうもこうもねえ、さっきの『手』をお前が突破する時に、そこの人間、いや、娘さんがカンザシを打ち込んだだろう。
見事に『手』の妖力のツボにはまってなあ。いや、もう、痛いのなんのって」
そこまで言うと、睡羅は絵夢に痺れていない方の前足を差し出した。
「大したもんだね。娘さん。猫又の里に来るには十分な資格だ。歓迎するよ」
絵夢は睡羅の前足を無視して抱き上げると撫で始めた。
ふにゃん。睡羅が絵夢に抱かれて、とろける。
「ねえ、兄貴。兄貴。さっきの『手』はこいつの仕業?」ナオがひそひそと訊いた。
「そうだ。睡羅は妖術の達人なんだ。特にあの技は睡羅の得意技でな、睡羅が眠ると魂の一部を辺りに潜り込ませて、自由に操ることができるんだ。眠り鬼睡羅の通り名もそれから付けられたのさ」
「へえ。大した技でやすね」
「何を感心している。さっきからお前が挑発している斑の師匠の技に比べたら、天と地ほどの差があるんだぞ。態度を少し改めろ」
「へえ、あのジジイがねえ」
もちろんナオは基本的に馬鹿である。相手を舐める癖はなかなか抜けない。
Mは白の小猫の方へ向き直った。
「小虎。久しぶりだな」
小猫は返事をせずにプイとあさっての方を向いた。
「お前を置いて里を出たのは謝る。機嫌を直せ、小虎」
Mが近付いて小虎の鼻を嘗めた。
「へん。どうせ兄貴は俺の事なんか、どうでもよかったんだろ」
小猫はすねた声で言うと、またもや森の中へと走っていった。
「やれやれ。あやつはのう。百虎王が大好きな癖に」
マダラの師匠が猫の流儀で肩をすくめる。
「兄貴。あいつは?」ナオが尋ねる。
「百虎王。いや、Mの義兄弟じゃよ」マダラの師匠がMの代わりに答える。
「ついでに言うなら睡羅もMの義兄弟じゃ」
それを聞いて、ナオはわずかに嫉妬した。兄貴は俺の兄貴だい。言葉にはしなかったが態度が物語っている。
トンと音を立てて、斑の師匠が座っていた石から降りた。
「どれ、感激の御対面も終ったようじゃから、里へ帰るとしようかの」
一行は猫又の里へと入った。
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