女始末人絵夢6(1)猫又の里
絵夢はMを膝の上に抱えて、テレビを睨みながら何かをじっと考えていた。
絵夢の手が小刻みに動いている。猫じゃ踊りの手つきだ。
絵夢は考える時の癖で膝の上のMに猫じゃ踊りをさせたいのだが、幸せそうに寝ている猫のMの顔を見ているとそれもできず、少し苛々しながら考えていた。
これが最悪最強で最恐にして最凶と恐れられた大猫又百虎王の寝姿だとは誰も思わぬであろう。どこからどう見てもただの毛むくじゃらのホワイトペルシャである。
その姿は戦車を踏み潰しビルを体当たりで崩し口から大火炎を吐き出し妖力で空を飛ぶ大怪物からはもっとも遠いところにある。
ただひたすらにゴージャスで可愛いらしいのがMであった。誰かがその尻尾を踏むまでの話ではあるが。
なお~、絵夢の姐御。
黒猫のナオが鳴きながらやってきた。
なお~、いいなあ。兄貴。姐御の膝の上で・・
「あ、ナオ。いいとこに来た。そこのテレビのリモコン取って・・」
絵夢は指さした。Mに膝の上で眠られてしまったために、身動きができないのだ。
ネコあるあるである。
へい。姐御。とナオがリモコンを渡す。
ネコなしなしである。
Mとナオの正体が猫又だとばれても、まったく絵夢は気にしなかった。むしろ、ラッキーとばかりに、Mやナオに用事を言いつけていた。さすがに御近所に猫又を飼っていると蔭口を叩かれたくないので、買物とかには使わなかったが。
絵夢はリモコンの『緊急元締呼出』のボタンを押すと、元締へのチャンネルを開いた。
テレビ画面が切り替わり、男が一人、こちらに背中を向けてテーブルで何やらやっている姿が見える。
「わ~い。元締~」絵夢が大声で叫んだ。
男が後ろ向きのまま飛び上がり、慌てて手で左右をばたばたと探った。
探る手が御高祖頭巾を見つけて、すぐに頭に被る。
それから元締は振り向いた。背後に卓袱台と缶詰に茶碗が見える。
どうやら食事中だったらしい。
「あ! 元締。貧しい食生活。缶詰で御飯食べてる~」絵夢が大声を上げる。
「しょうが無いじゃないか・・独身なんだから」
ぶちぶちと元締が画面の隅でいぢけた。
絵夢の膝の上のMがふと目覚め、前足をテレビに向けて振った。
元締の頭の上に棚の上の箱が落ち、かなり鈍い音がした。念動力ではない。どの猫又でも使う秘技ネコ縛りである。
頭を抑えて床に蹲る元締の姿をしばらく楽しんでから、絵夢は言った。
「元締~。最近、仕事がありません~」
絵夢が手をひらひらと振りながら言った。
「このままじゃあ、猫の缶詰も買えません!」
にゃあにゃああ。なおなおお。Mとナオも一緒になって叫ぶ。
絵夢の稼ぎはそのままこの二匹のネコ缶に直結するのだ。絵夢にはちゃんと貿易会社のOLという立派な本業があるのだが、そのことには触れない。
お金よりももっと良いものは、もっとたくさんのお金なのだ。
ふううううううううう。元締は深い溜め息をついた。
「この間の巨大ロボの事件でね。絵夢。
巷じゃ、始末の依頼どころじゃないらしいんだ。絵夢」
一言一言しっかりと区切りながら元締めが話す。
「そういえば・・」絵夢はある事を思い出した。
「元締? その巨大ロボ・・関係していません?」
「なんのことだい? 絵夢。巨大ロボ? 関係?」元締が怪訝そうに聞き返す。
「あ、いえ、それならいいんです」絵夢が慌てて前言を取り消す。
変ねえ、じゃあ、あのロボットの顔の横に描かれていた文字はあたしの見た幻覚か何かかしら?
絵夢は訝しむが当然ながら答えは出てこない。
「それより、絵夢。温泉は好きかね?」
元締が机の上にからパンフレットを取り上げる。
「ちょうど仕事の無い時期だから、いつもの苦労を労う意味で、始末人温泉巡りの企画があるんだが」
「おんせん? わ~い。いきますうう」絵夢が陽気に答えた。
「勿論、代金は元締持ちね~」
元締が背筋を正した。
「そうだとも、絵夢。お金は勿論、元締たる私が出すのだが・・ひとつだけ問題がある」
「なんですかあ? 元締~」
「他の始末人達の強い要望により、行く予定の温泉は・・その・・」
元締が言い淀んだ。
「・・その・・あの・・」
「その・・なんですか? 元締」絵夢は何かを予感した声で言った。
「・・混浴なんだ・・」
「ええええええ~ええええっ! こんよく~」
絵夢ががばと立ち上がった!
「行きません!」
きっぱりと言い切る絵夢の目の中に怒りの炎が燃えている。その手の中にいつの間にかカンザシが出現している。
「あの、その、じゃあ、悪く思わないでくれ、その 絵夢。私も残念、あううう、いや、そういう意味じゃなくて・・」
ここまで状況をおとなしく見ていたMが前足を振った。
またもやテレビ画面の中の元締の頭の上に棚から物が落ちてきた。
今度はいやに鈍い音がした。
ナオもMの真似をして前足を振って見る。何も起きない。
なお? 兄貴。それ一体どうやるんです?
にゃ? 簡単な技だよ。昔、お師匠さまに教わったんだけど。
二匹がにゃあにゃあなおなおと鳴いている背後でテレビのスイッチが切れた。
「何よ~、元締に他の始末人たら。自分達に都合の良い企画ばかり~」
絵夢は地団駄を踏んだ。両手を握り、悔しそうにする姿が面妖に可愛い。
「M。ナオ。あたし達もどこかに遊びに行きましょ!」
絵夢が決心した。自腹でもよい。もっと良いところに行ってやるとの決意がその瞳に浮かぶ。
にゃあ。それならいいとこがあるよ~。
Mが何かをくわえて来た。またたびの匂いが微かにする。
「何よこれ? M」絵夢は目を丸くした。
にゃ。またたびの蔓を使った猫又専用の郵便。
「そんな物があるの? やっぱり郵便局で配達するの?」
それにはMは答えなかった。
もちろん運んでくるのは妖魔の配達人だ。もしその配達人を目撃でもしようものなら、絵夢は腰を抜かすだろう。その想像を打ち消すかのようにMは手で空中をぱたぱたと叩いた。
にゃ~。お師匠さまが一度遊びに来いって。
「お師匠さま? どこに遊びに?」
絵夢は分からないことだらけだと思った。
にゃ。猫又のお師匠様。場所は・・猫又の里。
「ね・・こ・・ま・・た・・の・・里おおおおお?」
絵夢がまた目を丸くした。
にゃあ。良いところだよ。温泉もあるし。歓迎してくれるし。おまけに料金はタダ。
「行く! M。案内しなさい」
絵夢は即座に返事をした。
無料という言葉より強い言葉はこの世には存在しない。
ドタバタと家の中を走り回った挙げ句に、たちまち絵夢は旅支度を調えて出かけることに相成った。
出発は明日の早朝。
夜が終わった直後で朝が始まる前。誰のものでもない時間。何者も支配していない時間。
魑魅魍魎の刻限。
今夜の間にMは近所の妖魔たちに後を任せると伝言する。お客さんが来たら、一週間ほど待たせるようにと指示も出す。
もちろんナオにも用事はあった。こう見えても忙しい身なのだ。
とくに今は。
*
三日月が水平線近くにかかる深夜の刻限、廃屋の暗闇の中にナオは足を踏み入れた。
崩れかけた居間の中に、それは転がっていた。
両手両足の無い人体である。
恐ろしいことに、それはまだ生きていた。
「よお」ナオが声をかけた。
ガサリと音を立ててその肉塊、いや中年男が顔を上げた。もし明かりがあればその目に絶望が満ちていることが分かっただろう。
それはナオがこの一ヶ月かかって作り上げた自信作なのだ。
以前にナオとMが戦ったときに、負けてボロボロになって這いずり回っていたナオを蹴った男だ。
ネコは執念深い。猫又となればなおさらだ。ましてやナオは言うまでもない。
ナオは匂いを辿って近くの街という街を探し回り、そしてついに見つけ出したのだ。
躊躇わずに攫った。そしてその日以来、その男の体の末端から少しづつ齧り取っていった。
まず両手の指からだ。それが尽きれば手首そして肘。血管の先を焼き潰しながら少しづつ少しづつ齧り取っていった。たまにその矛先は足へと向かった。
やがて腕が一本完全に無くなり、ほどなく他の手足もその後を追った。
ナオは男が死なないように注意深く扱った。妖気の一部を流し込み、腐敗とショック死を防いだ。
その集大成が今目の前にいるこの肉塊だ。
男はもう以前のように喚かなかった。それだけの体力はすでに無かったし、何より泣こうが叫ぼうが外には聞こえないと理解していた。
朝になると通学中の女子学生が笑いさざめきながらこの廃屋の前を通る。だがいかなる叫びも彼女たちには聞こえなかった。
一度だけ、肝試しの大学生たちが廃屋の中に入り込んできた。だが彼らは動けない男の前をさんざん行ったり来たりしながらも、ついに最後まで床に転がる男には気づかなかった。
それがナオの術のせいだとは男には分からなかった。
食事代わりの虫やネズミの死体を口に突っ込まれながらも、男は逃げることも死ぬこともできなかった。
「お願いです。殺してください。ころしてください」
かろうじてそれだけを口にした。
助けてくださいとは言わなかった。もうそんなことを考える段階はとっくの昔に過ぎている。
四股は肩と股関節まで喰い潰されている。性器ももぎ取られた。残っているのは頭だけである。そこだけは無傷で残されている。
目は腐り果てていく己を見ることができるように残された。
耳は己が放つ懇願の言葉が聞けるように残された。
舌は悲鳴が放てるように残された。
猫又は執念深い。
特にナオは。
涅瞋鬼と名付けられていた凶悪無比の猫又なのだ。
「もう、飽きた」ナオは口にした。「だから許す」
え! と驚きの表情が死相が濃く浮き出ている男の顔に浮かぶ。
「しばらく留守にするからな。術は解くから助けでも何でも呼ぶがよい」
それ以上は一片の未練も残さずにナオは消えた。
期待したほど面白くはなかったなと、家に向かいながらナオは反省した。やはりネチネチは自分の性には合わない。次は一撃で片付けよう。そう決心する。
ナオは自分の精神が成長しつつあることに気づいてはいなかった。
しばらく体をくねらせた後に中年男は一歩だけ前進した。それで残った体力を使い果たす。せめて肘までも残っていれば家の外に出ることはできただろうに。
それが悔やまれた。
今のイモムシとなった自分には扉までの距離は永遠に思えた。
誰かが表を歩く音がする。
絶望の闇の中に差す一条の希望の光。
なんとか声を振り絞り、助けを呼ぶ。
足音が止まった。聞いてもらえたのだ。
もう一度渾身の叫びを。かすれた声が喉から出る。
ひい。小さな悲鳴が聞こえ、それに続けて必死で逃げていく足音がした。
次の日にはもう廃屋の幽霊の噂が広まり、誰も廃屋の前を通らなくなった。
一週間が経ち、またもや肝試しの馬鹿者たちが廃屋を訪れた。
最終的に警察が呼ばれ、激しい嘔吐を繰り返しながら涙で顔を濡らした若者たちが状況を説明する。凄惨な現場には慣れているはずの警官までもが最後にはそれにつられて吐き始めた。
直接の死因は自分の舌を噛みちぎり咀嚼した末に喉に詰まらせたことだったが、そうでなくても腐敗が始まったその体では長くは生きられなかったであろうと医学所見がついた。
形は自殺だが他殺であることは間違いない。だが犯人の手がかりはその肉についていた黒くて短い獣の毛だけなのだから捜査のしようがない。
この怪事件は迷宮入りにはなったが鬼門課にはひそかに報告され、刈り屋のファイルに一つポイントが追加される結末に終わった。
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