女始末人絵夢4(4)衝突

「噂の猫化けはどうだった?」

 闇の中で二つの小さな赤い光点が尋ねた。

「たいした事は無かった。幻術に容易くかかったよ。今ごろは木の葉を前に不思議がっているだろう」

「それなら、一思いに殺すかあ」

「いや、この間来たやつらの仲間らしい。行かなくても向こうからやってくる」

「果報は寝て待てか」

「それに旨そうな若い女が一人いた。あれも来るとしたら随分と楽しめるぞ」

「そんなに美味しそうか?」

「極上の味と見た」

「俺は足を貰うぞ」

「俺は鼻だ」

「肝は俺が食おう」

「腸は当然俺の物だな」

 ざわざわ、闇の中がおぞましい期待で揺れる。その数は百匹。それ以上には増えない。

 妖魔なのだ。その存在は妖力に深く関わっている。百匹という制限も生物学というよりは魔術の分野から生じるものだ。

 長い時間を生きて来た。人間には生きられない時間をだ。

 一匹が死ねば、残りが妖力でその一匹を再生する。それをただひたすらに繰り返す。

 そうやって、この群れ全体は不死となる。

 その群れでさえ、今までには全滅の危機を迎えたことがある。

 ひょんなことで大妖魔と衝突してしまったのだ。その相手は大災害とも言える存在だった。

 群れは壊滅したが、からくも一匹だけが逃げ出すことができた。

 大妖魔は通りすがりの戯れに群れを潰しただけだったので、しつこく追われなかったのは幸運であった。

 群れはそれ以来、その存在を白い悪魔とだけ記憶した。

 仇と付け狙うわけではない。だがいつの日にか雌雄を決する時が来るのだとは理解していた。



 例によって、あらゆる偶然の災厄を引き起こしながら絵夢は問題の倉庫に近付いていた。護衛はナオが一匹。ナオは最後には木の葉に化けてしまったネズミのことを不思議に思いながらの同行だ。

 彼女の背後をさらに一人の男がつけていた。

 お馴染みの古都総十郎である。地味な目立たないコートに身を隠すと、誰にも見つけることはできない。

 鋭敏な気配察知ができるナオですら、その存在を知ることはできなかった。

 総十郎が裏刈り屋名簿のトップに載っていることは、その名簿の持ち主である高田の馬場のもんも爺以外には知らない事実だ。裏刈り屋同士でさえ、お互いの事情は何も知らされていない。

 いや、それどころか総十郎自身も自分がトップであることすら知らない。裏刈り屋名簿はそれほどの秘密である。

 秘密が漏れれば裏刈り屋同士がトップの座を巡って殺し合いを始めるというのがその理由の一つだ。

 もんも爺を脅してその情報を得ようとした者は、例外無く死んで終わった。

 総十郎自身は今回の依頼がひどく面倒なものであることは知っていた。

 だが一種の未来予知法の一つである気読み術を使って総十郎はこれから自分がやるべきことを正しく予想していた。

 この先、この場所の先で何か大きな騒ぎが起きる。だがそれには自分は加わらない。加わってはならない。

 自分の出番はその後だ。

 いつものように自分は主人公にはなり得ない。

 騒ぎを遠くで見ていて、すべてが終わった最後に介入する。そして問題の深い根を断つのが自分の役目なのだ。

 究極の脇役。ショーが終わった後に舞台を片付ける清掃人。それが古都総十郎の本当の仕事。

 化け物揃いの歴代古都家の面々の中でも、最弱と歌われた自分。

 弱い弱い念動力。動かせるのは自分が愛用している針が一本だけ。

 それに工夫に工夫を重ねて、ついには裏刈り屋の名簿に載るまでになったのだ。


 総十郎は誇りに満たされながらも、目立たない通行人として絵夢の後をつけている。

 総十郎の感覚は捉えていた。彼女の周囲に張り付く、禍々しい何かを。



 Mは懐かしい我が家についた。絵夢のふかふかすりすりを目指して家に飛び込む。

 しゅたっ!

 床に立って鳴く。にゃああああ。帰ったよ!

 絵夢は・・飛び出して来ない。Mの当てははずれた。

 なんだ。留守かあ。Mはがっかりした。

 また、仕事かなあ。かんざしが無いや。

 ナオが付いてるから大丈夫とは思うがにゃ~。

 ちょっと残念だった。

 八つ当たりに隣の一家でも皆殺しにしようかなと思案しているところに奇妙な臭いが鼻についた。

 くんくん、変だな、この匂いは。

 Mはコタツのそばに落ちていた木の葉をかいだ。

 ネズミだ。ネズミの匂いだ、それも・・この妖気は・・妖鼠だ!

 それもかなり歳老いた、厄介な妖力を持った奴だ。昔、ちらりとどこかで嗅いだことのある臭い。

 Mの頭の中に嫌な想像が涌いた。

 いかん、ナオではこいつらに歯が立たん!

 Mは必死の形相で絵夢の足跡を追い始めた。



 がらがらと、とんでもない音を立てて倉庫の扉は開いた。

「あの~」絵夢が中をのぞき込む。

「招待客の方ですね」

 黒い燕尾服を来た男が絵夢を迎えた。

 倉庫の中はパーティの真っ最中だった。中央に大きな樅の木が飾ってある。その上に大きな字で【メリークリスマス! 秘密パーティにようこそ】と描いてある。


 楽隊が派手な曲を演奏し、着飾った人々が笑いさんざめいている。

 グラスを手にあちらこちらで乾杯が行われている。

 よほど防音設備が良いのか、倉庫の外からでは中でこんな乱痴気騒ぎが繰り広げられているとは全然分からなかった。

「あ・・あたし・・間違いました・・すいません」

 その場で踵を返して帰ろうとする絵夢。『正義の行い』というキーワードでイケイケモードになっているが、それでも一部だが常識が残っている。

 

 さすがにこのシチュエーションは予想していなかった。

 これ、絶対にヤバイ秘密パーティだ。薬物とか乱交とかお巡りさんには絶対に見せられない類のものだ。人気のない倉庫の中で行われるあぶない遊び。

 さすがの暢気な絵夢も逃げねばと思う。


 どうなってるのよ~。元締ったらあ、間違えているじゃない。絵夢が嘆く。

 全部元締めが悪い。

 そうよ元締めが悪い。

 元締め、死すべし。

 絵夢は心の中でかんざしを構えた。


「いえいえ。ご予約の絵夢様ですね。お待ちしておりました」

 燕尾服が慇懃に唱えた。

「どうぞ、こちらへ」


 あれえ?

 どうしてあたしの名前知っているの?

 そうか!

 絵夢は合点した。

 これ、元締めのサプライズだ。仕事と騙して慰労会か何かをやるつもりだ。

 となればこれは乗るしかない。ここで怒って帰るのは無粋というもの。

 おまけに山のように用意されたご馳走も食べ放題だ。

 全部元締めの仕掛けだ。

 そうよ元締めがやったことよ。

 元締め、偉い。誉めてつかわす。

 とまどいながらも、絵夢は燕尾服たちに両腕を抱き抱えられるようにして倉庫の中へと連れ戻された。

 彼らには本日の主菜を逃がすつもりはなかった。



 隠れて見ていたナオは人型をした何かの黒い塊が絵夢を倉庫へと引きずり込むのを見た。

 目も鼻もない盛り上がった黒い塊。もぞもぞとその表面が動いている。

 ネズミだ!

 ネズミが集まって人間の姿を構成しているのだ。

 色々と呼び名はついているが日本の妖怪では鉄鼠に当たる。だが名は体を現わさない。

 それがどのような能力を持つのか分からないうちには戦わないのが妖魔の世界での戦いの鉄則だ。

 だがこれまで怖いもの知らずだったナオにはそれほどの慎重さはない。

 ナオは絵夢を救いに飛び出した。

 なお~。

 鏖(みなごろし)。心の中にはそれだけがあった。学の無いナオには難しい漢字だったので、もちろん平仮名だけで考えている。

 どん!

 ナオの鼻面がコンクリートの壁にぶつかった。

 ふに?

 気づくとナオはドアも窓も無い部屋に閉じ込められていた。灯もなく真っ暗だ。それでもナオの化け猫としての視覚でかろうじて部屋の中が見える。部屋の中は空っぽだ。

 なお?

 一体どうして・・いや、今はそんなことを考えている閑は無い。

 ナオは妖力を解放して壁を殴った。

 装甲された重戦車でさえ一撃で潰すナオの打撃に、しかし、壁は傷一つ付かずに耐えた。

 なおおお?

 訳が分からぬままに本気モードに変化する。

 その体が膨れ上がる。黒い毛が硬化し、鋼鉄の硬さになる。口が開くと、そこから地獄の業火が噴き出した。

 風を巻き込みながら前腕が壁に叩きつけられる。激突の衝撃で建物が揺れた。

 それでも壁はびくともしない。

 今や三メートル近い黒い巨体に変身したナオが首を傾げた。

 なぜ?

 なぜ、この壁は壊れない?


 きき、と何かが足元で笑った。

 鼠だ。一匹の鼠がちょこんと二本足で立っている。そいつは人間の言葉で話した。

「おまえ、ごときに、われらの、じゅつが、やぶれるものか」

 ばしーん、床を震わせるナオの猫パンチが飛んだ。

 だがそれよりも早く鼠は消えていた。

 ききききき、ナオの周りで無数の鼠が鳴くと、ナオの猫踊りが始まった。


 広場の真中で何もない場所を叩きまくるナオを見ながら、他のネズミたちは退散した。

 倉庫の中でこれから始まる宴会に間に合うようにだ。遅れた者には足の小指の骨しか与えられない。

 くじに負けた不運な一匹がそこに残ってナオに術を掛け続ける。あたりの地面はナオの打撃で穴だらけであった。

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