女始末人絵夢4(5)真打登場
「可愛いお嬢さん。あなたが今日のゲストです。さあステージへどうぞ。素敵なプレゼントが貴女を待っています」
わああい。やったあ。元締ったら気がきくじゃない。
冴えない中年のおじさんだと思っていたけど、けっこう粋なところがあるじゃない。
きっと、この会場のどこかにいるんだわ。元締。
デートしたいならしたいと素直に言えばいいのにい。
そう思いながらも、言えば言ったでもちろん断るつもりの絵夢であった。
絵夢はクリスマスツリーの下のお立ち台に立った。
いったいどんなプレゼントかしら?
胸がドキドキした。
燕尾服の男が手にしたマイクを振りながら宣言する。
「さあ、皆さん。素敵なプレゼントを貰おうじゃないですか。この娘さんから」
ええ? 元締~これは何の冗談?
「さあさあ、ビンゴゲームの始まりだ」
いつの間にか出現した抽選機が数字の描かれた球を吐き出す。
「まずは十三番」
人々がざわざわと手元の紙に何かを書込む。
「ビンゴ!」
一人が叫び、前に出てくると言った。
「俺は右の目玉を貰おう」
はっと絵夢は気付いた。ここには殺人事件の件で来たのだ。見つかった死体は食いちぎられていた、と思い出したのだ。
変質者、いや、喰人愛好家のパーティ?
もしや・・ここにいる全員が犯人?
女性の勘だけで、根本的に間違ってはいるが正解でもあることを導き出したのはさすがというべきか。
にやにやと笑いを浮かべて当たりを引いた男が絵夢に近付く。
絵夢が恐怖で動けなくなっていると見て、そっと絵夢の顎を手で押さえ、右の目玉へ唇を近付けた。端から見ているとまるでキスをしようとしているように見える。
すちゃ・・ぐさっ!
男のこめかみに絵夢のかんざしが刺さった!
急所を突かれて、男に化けていた妖鼠が即死する。
一瞬の内に現実からすべての幻影が剥がれ落ちる。
クリスマスツリーは天井から吊り下げられた食べかけの死体へ、倉庫の中にいる人々は邪悪な鼠へと変化した。今まで気づきもしなかった腐臭が辺りを支配する。
絵夢の動きが凍りつく。まだ、背後のクリスマスツリーが吊り下げられた死体へと変じたことには気付いていない。
絵夢の手に握られたかんざしの先には絶命した妖鼠が一匹刺さっている。
ざわ・・ざわ・・元の暗い倉庫に戻った光景の中で、妖鼠達がざわめく。
「きゃああ、ネズミいいい」
絵夢がかんざしを振り、死んだネズミを放り出す。
「たかが、旨そうな小娘と思っていたが」
「どうしてどうして大した物ではないか」
ネズミたちに動揺は見られない。一匹の死など何の痛痒にもならない。
一にして全。全にして一。それが自分たち彷徨える鼠の王たちだ。
全員がキキと笑うと、床に振り落とされたネズミがむっくりと起き上がった。絵夢に秘孔を突かれて死んだはずなのに。
「仮にも我らを殺せるとはな」
「人間にしてはやるな。こいつも刈り屋か?」
「だが・・」
げっげっげっげっと揃って笑った。
「我ら妖鼠を殺せるものなどおらんわ」
「何度でも生き返るのだからな」
「さて、この娘をどうしてやろう」
「こんなひどい目に遭ったのだから俺は両方の目玉を貰うぞ」生き返った妖鼠が叫んだ。
夢よ、こんなの。ネズミが話すなんて。そうよ。これは夢よ。
一匹を刺し殺し、反動でイキリモードが解けてしまった絵夢は自分の頬をつねった。
痛い・・とっても。
「え~んん」
絵夢は泣き真似を始めた。じゃあ、これは催眠術よ~。きっと足をかんざしで刺したら目が覚めるってパターンね。
絵夢は自分の足をかんざしで軽く突いて見た。
・・凄く痛い・・。
「え~~ん」
できないよお。ぐっさりと突き刺すなんてえ。いくら夢の中だと言っても。
でもそうしないとこの悪夢は覚めない。
絵夢は自分に言い聞かせた。
さあ、ぐっさりいくのよ。絵夢。頑張れ。
*
ナオには微かに絵夢の泣き声が聞こえたが、どうしようも無かった。次から次へと襲ってくるネズミたちを幻影とも知らずに殺し続ける。
ナオは猫又の中でも上位に位置する強力な存在だ。だが蟲猫の術で強制的に作られた妖魔なので、猫又としての経験が余りにも少ない。猫又は本来生き延びる過程でいくつかの術を覚えるものなのだが、ナオにはそれがない。
つまりナオは術者を相手にするための術を知らないのだ。
倉庫の窓に垂直に張り付いてMは鉄格子ごしに中をのぞき込んだ。
無数のネズミに囲まれている絵夢が見えた。思いに突き動かされてここまで来たものの、Mはまだまだ拗ねていた。猫は一度拗ねるとなかなか機嫌は直らない。
これから眼下で始まるに違いない地獄のショーをじっと見ている。
助ける気ではあったが、それは妖魔に片足ぐらい齧られた後でも良いのではないか。
そう考えていた。
「さあ、じゃあ、ご馳走を頂くとしよう」
妖鼠の一匹がちょこちょこと前に出た。
「え~ん。ネズミ~。こっち来ないでえ」
ぶんぶんとかんざしを振り回す絵夢。
ついに絵夢の理性が切れた。今度は泣き真似ではない。
「え~~~んえん。ナ~~オ~~た~す~け~て~」
それを聞き、Mの小さな額に怒りの皺が寄る。
このまま絵夢ごと倉庫を炎に沈めるか。ちらりとそう思った。
名にしおう百虎王なのだ。やろうと思えばそのぐらいは簡単にできる。
そしてまた一匹で旅に出るのだ。
・・一匹で。
遠い街に。遠い国に。砂漠を越え。海を越え。風と共に。いつものように。
たった一匹で。
そのときMの胸の中にある感情が沸き起こった。何千年もの間忘れていた感情だ。それはMを困惑させた。
そこに次の言葉が飛び込んで来た。
「え~ん、エ~ム~。たすけて~」
瞬時にMの胸に暖かな炎が灯った。
にゃ!?
にゃにゃ!
Mががばっと屋根から跳ね起きる。
待ってましたあ!
Mの猫の顔一杯に喜色満面の色が浮かんでいる。
前足の一振りで鉄格子を切り飛ばすと、残ったガラスを猫キックで吹き飛ばし、Mは工場の高窓から飛び降りた。高所からの落下などものともせずに、ばっと絵夢の前に降り立つ。
絵夢がMを見つけて、目を丸くする。
「M、どこ行ってたのよお。こんなとこにいたの?」
周囲の状況は完全に忘れてMを抱いて絵夢は頬ずりした。
にゃあ。
Mがその感触に目を細める。
これこれ。これが欲しかった。
最初に我に返ったのは絵夢だった。
「ネズミよ! ネズミ! Mっ! 出番よ!」
はっ。こんなことをしている時じゃない。
自身も我に返ったMは、ばっと絵夢の胸から飛び出すと、倉庫の出口の方へ視線を飛ばした。その視線に沿って、地獄の河とも見紛う妖気の奔流が走る。
人間の目には見えないが、妖魔なら分かる。それに呑まれれば確実に死ぬと。
慌ててその流れから妖鼠達が逃げ出す。
その後にできた脱出への道を絵夢は見逃さなかった。
「後は任せたわよ。やっぱりネズミには猫ね!」
絵夢がそそくさと倉庫から逃げ出す。Mのことは心配していない。
そう、まったく心配していない。
一瞬だけMの気迫に押されたものの、ネズミ達ははっと我に返り、Mを取り囲んだ。
「女は後で捕まえればよい。まずはこちらが先だ」
「お前もあいつと同じ化け猫かあ。猫は生かしてはおかない」
「例えどれほどの妖力を持っていようと我らを倒せる道理は無いぞ」
「我らは一つの腹から生まれた百匹の兄弟。我らは平安の時代から生き抜いてきた最強の妖怪よ」
ぞわぞわと妖鼠たちがMを取り囲む。何体かは合体して巨大なネズミへと変じた。
Mはちょこんと座って澄ました顔でそれを見ている。
「お前のような白猫を見ているとあいつを思い出すぞ」
ネズミたちがお喋りを始めた。声の中にわずかに呪力がこめられているのにMは気づいた。声を聴いている内に幻術がかかる仕組みだ。
「まさかまさか。あいつはもっと大きかったぞ」
「大熊のように大きかったな」
「いやいや、納屋のように大きかったぞ」
「まるで丘が動くようであったの」
妖鼠たちが話をしている間にMの体が少しづつ大きくなっていく。
「これはどうしたことか。こいつ大きくなったぞ」
「だがアレは口が耳まで裂けていたぞ」
「そうだそうだ、大きな口をしていた」
「ずらりと牙が並んでおったな」
わざとらしく百虎王が大あくびをした。
口が耳まで裂けて、猫のものではあり得ないずらりと並んだ長い牙が顕わになる。
「で・・」
初めてMが口を開いた。
「俺が何だって?」
Mはさらに身体が膨らんだ。それにつれてふわふわのはずの白い毛が鋼鉄の硬さへと変化する。押さえ切れない妖気が身体の周りにぶわっと吹き出す。
いつの間にかその体は大熊のサイズにまで達している。
やがて倉庫のど真ん中に猫又百虎王の巨躯がずうと聳え立つことになった。
「外でナオをからかっているのが一匹。ここにいるのが九十九匹。さて・・」
言いながらもMは右の前足を振った。それに合わせて倉庫のドアがガラガラと音を立てて閉まる。
「・・皆殺しにするか」
Mはにいいっと笑った。猫らしい残虐さを秘めて。
ざわざわ・・妖鼠達が騒いだ。まさか・・。
「この国に来たのはもう遠い昔の話だ。あのときは白虎王と呼ばれていた」
Mの両手の先からしらりと長い爪が飛び出た。それはまるでむき身の刀身を連想させた。
「おまえたちと前に遭ったのはこの国の都を焼いたときか。それとも鬼どもの住処で踊り食いしたときか。まあ俺も昔のことはよく覚えていない」
今でも心の中に微かに残る記憶は炎の中の姫の姿。それだけだ。
Mの巨体から一瞬だけ力が抜けた。そのまま遠くに思いを馳せる。それからまた力を引き戻した。
過去も未来も捨てた。いまの自分にあるのは現在だけなのだ。
それを最後にMは目の前の敵に躍りかかった。
悲鳴を上げて倉庫の扉に殺到した妖鼠達はMが張った結界にはじかれる。青白い火花が闇の中に飛び散った。
Mは力づくの戦いが好きだ。だが術が使えないわけではない。有名でこそないが、あのマダラ師匠の弟子の一匹でもある。
「馬鹿。皆、力を合わせろ。我らはあの時の我らじゃない。先祖のかたきを打つんだ」
ボスネズミが声をかけると妖鼠達がたちまちに立て直す。
集まったネズミたちの赤い瞳が無数に並ぶと、周囲の風景がぐにゃりと歪む。
幻術だ。
「あの時の我らじゃない?」
Mはカカカと笑った。もちろん猫がしてよい笑い方ではない。
「お前たち、数百年経ってもちっとも進歩していないぞ」
Mは幻影の中を睨んだ。Mは黄色い右目と青い左目を持つオッドアイと呼ばれる猫だ。
遺伝子のミスにより生まれるオッドアイの宿命で、Mの青い左目は色素欠乏によりほとんど視力が無い。
が・・しかし、化け猫としてはそれは貴有の資質だ。
Mの青い左目には現実界に対する視力は無いが、代わりに裏の世界を見通すことができる。
Mの左目に現実の背後に潜む真の世界が映る。
暗い闇の中にぼうと淡い小さな炎が無数に映る。その数九十九個。妖鼠達の命の炎だ!
ぼわっとMの口からも炎が噴き出す。ナオの炎よりも熱く殺意に満ちた炎が。
優美にそしてなめらかに、Mの攻撃は正確に鼠たちの急所を捉えていった。
鋼鉄の爪に引き裂かれ、今や鉄球よりも硬くなった肉球に踏みつぶされ、口から噴き出した炎に焼かれて鼠の死骸が積み上がる。
妖鼠たちがざわざわと蘇生の呪文を唱える。
だが何も起きない。
「馬鹿な蘇らない!?」
そこで初めて真の恐怖が妖鼠達を襲った。
「お前達の力は知っている。妖力があれば何度でも生き返る。だから俺は殺した者たちから全ての妖力を吸いとってるのさ」
Mがわざわざ説明する。ネズミ達を絶望させるために。
Mは周囲の死体から見境なしに妖力を吸い上げる。それこそが猫又の本当の食事だ。
「一つ教えてやる。お前達は凄く旨いぞ」
猫の残虐さを丸出しにしてMが跳ねる、躍る。喜悦の中での地獄の猫踊りだ。
あまりに楽しい虐殺に、拗ねていたことなど、すっかりとMは忘れてしまった。
それこそが猫の本性。
*
その一匹は疲れ果て動きの鈍くなったナオの背後に周り、尻尾からご馳走の一かけらをかじり取ろうとしていた。
その頭の上から落ちて来た肉球は鋼鉄よりも硬い。自分が死んだことに気づく暇さえなく、ナオを捉えていた妖鼠は絶命した。
「これで最後の一匹か」
Mが呟くと、元のサイズに戻った。
千と数百年を生き抜いて来た人喰いの妖鼠はここに滅んだ。
幻術が解けて、ナオが囚われた精神の檻から解放される。
目の前に座っているのは白猫のMだ。
ナオはほっと安堵した。
『ナオ。この未熟者。こんな、チャチな術にかかりおって』
『あにい。あにきい。どこ行ってたんだよおお』ナオが泣く。
『疲れ果ててお前が動けなくなったら、こいつらに食われるとこだぞ』
『兄貴にはかなわねえよ。おいらがこんなに苦労しても片付けられなかった奴をこんなに簡単に。もう、猫缶も兄貴に譲ります』
『まったく、大の猫又一匹が人間の女一人を守り切れんのか』
そう言いながらもMは得意の絶頂である。
手元の妖鼠の死体をナオに向けてポンと投げる。
『それを食ったら、さあ、家に帰るぞ』
*
にゃあ。ただいま~。
Mが家に飛び込むと、今度こそは返事が返って来た。
「おかえり。M。・・あら、ナオも」
絵夢はさっきのことなどもう忘れたかのようだ。
エプロンをかけて、夕食の支度をしている。
なお。にゃあにゃあ。妖魔から妖力を吸い取ってもやっぱり腹は減る。
猫又は実体のある餌を食わなくてもさしたる問題はないが、それでも腹が減るのは食欲というものがなせる業である。
二匹は鳴いた。
「さっきはありがとうね。M。元締ったら相手が催眠術を使うって教えてくれればいいのにい」
自分を守るためにそう思いこみ、また仕事しくじっちゃたあ、と絵夢は反省する。
そんな絵夢を見て、Mは自分の懐を探った。
ふみい。にゃあ。これ、お土産。
・・ぽと・・。
床に落とされたのは死んだ妖鼠の一匹である。
Mに妖力を吸いとられて死んでいるにしても、千年を過ぎた妖力の残滓だけでも効果は凄い。この肉を食べれば不老長寿はもとより、如何なる病気も寄せ付けない健康な体になる。
「ね・・ず・・み!」絵夢の眉がゆっくりと上がった。
「M! ナオ! 捨・て・て・来・な・さ・い!」
こうして二匹は家を追い出された。
絵夢家の主人の名は理不尽と云う。
*
そいつが本当に最後の一匹だった。
戦いが始まったとき、その一匹だけは予め決めておいた通りに戦場を離れて、遠くに逃げていたのだ。
群れが必ず生き抜くための戦略の一つである。
下水道の暗闇の中をひたひたと走る。
兄弟がすべて死んだことは直感で判っていた。
こうして最後に残った自分が蘇生の術を行うのだ。そうすればまた百匹に戻ることができる。
それだけが救いであった。
そして今度こそ、あの白い悪魔を殺すのだ。
前方でガタンと音がした。暗闇の中に光が降り注ぐ。誰かがマンホールの蓋を開けたのだ。
降り注ぐ光の柱の中で何かがきらりと光った。
それは驚きに固まったネズミ目掛けて一直線に飛んできた。
一瞬、本能的に危機を感じて妖鼠は術を使った。今まで自分がいた場合に幻術の姿を作り、自分は隠形術をかけて横に飛び退く。
無駄であった。
真っすぐ飛んで来た針はいきなり方向を変えると、正確に妖鼠の体の中心を打ち抜く。
「く・・」
しまったという思いが妖鼠の心を占める。
針を使う術師。
こいつはもしや。
知る人ぞ知る裏刈り屋の殺し屋。一度狙われた者は決して助からない。
全身に走る激痛の中で理解が訪れた。これは妖魔を殺す特別な毒だ。こうなればもう助かる術は無い。
「キミが避けることは読んでいたよ。残念だったね」
どこかから古都総十郎の声がした。
「さて、これで仕事は終わりか。今日の夕飯は何を食うかな」
その言葉と共にマンホールの蓋が元に戻される。
総てはふたたび闇の中に埋もれて消えた。
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