女始末人絵夢3(6)孤独な闘い
「美人さん、今日は楽しかったね。次は東京タワー登って見たいです」
「は~い。カラちゃ~ん。でもどうして東京タワーなの? スカイツリーとかもっと高いのもあるけど」
「おう、美人さん。分かっていませんね。大事なのは高さではありません。
1962年の『ゴジラ対キングコング』のときはゴジラとキングコングが東京タワーを襲っています。
1965年の『怪獣大戦争』のときはゴジラとキングギドラが同じく東京タワーを襲っています。
このように東京タワーはゴジラやガメラそれに敵役も含めてあらゆる怪獣の憧れの的なので~す。スカイツリーなど足下にも及びません。だから私も一度は登ってみたいのです」
日本昭和文化オタクのカラナザンの嗜好が遠慮なく爆発する。
それを聞いた同じ電車の中の乗客が一斉にメモを取り、襟元のマイクにささやく。
異様な光景だが、会話に夢中の二人はそれに気づいていない。
そのときだ。彫りの深い顔立ちをした英国人が隣の車両から入って来た。電車の中の乗客達がその顔を見て血相を変える。中には慌てて隣の車両に逃げ出す者もいる。
男は懐からサイレンサー付きのピストルをそっと抜き出すと、絵夢の脇の間からカラナザン三世に狙いをつけた。
最悪なことにサイレンサーの先端がそれほど豊かとはいえない絵夢の胸に触れてしまった。
「きゃあああああ、おまわりさ~ん。この人、痴漢ですううううう」
とんでもない大声が電車内に響き渡った。
「あ、逃げるかあ。えい、渾身のキックを食らえ!」
絵夢のハイキックが逃げかけた男の後頭部に炸裂する。
素人丸出しのキックだった。だが避けようとした英国人の体はなぜか他の乗客にぶつかりうまく避けることができなかった。腕利きの諜報員に有り得ざる失敗である。
頭に痛みが走った瞬間、首筋に嫌な感じがした。いきなり英国人の体が麻痺して足がもつれて倒れる。
その弾みに懐から免許証が飛び出した。
それを拾いあげてから、絵夢はじろりと男を睨んだ。Mやナオが手を出すまでも無く男は完全に気絶している。それを見て、周りの乗客が妙にうるさい。
「警察に突き出そうかな。もう、脇の下から手を伸ばして胸を触るなんて・・」
「絵夢・・」聞き慣れた声がした。
その声の出どころが吊革につかまって立っている男なのだと初めて気づいた。
元締めである。
御高祖頭巾を被っているのに目立ちもせずに今の今までそこに居たのだ。
この人物もどこかその存在の根本から何かが狂っている。決して見た目通りの変なおじさんというだけではない。
Mやナオにすらその正体が分からないのが一番奇妙なところだ。
元締めは続けた。
「スカートでハイキックを出すのは止めなさい」
そこまで言うと男は向こうを向いたまま、そそくさと立ち去った。いったい何のためにここにいたのやら謎である。
「はい、あ、その声は・・元締~」
絵夢は一瞬、後を追おうかと思ったが止めた。
今は仕事が大事。途中で止めたらお金が貰えない。
足元で倒れている男の名前を確認しようと拾った免許証を確かめる。
【License to Kill(殺人許可証)】
そう、免許証には書いてあった。絵夢は呆れた。
「ふ~ん。いい大人がこんな玩具を持って」
絵夢はその許可証をばりりと破いた。ラミネート加工だったが恐ろしく容易く裂けた。
どおおおおお。
周囲で乗客の騒ぎが大きくなる。皆、一斉に衿元やスマホにささやいている。
今日の人達はどこか変ねえ。そう思う絵夢の袖をカラナザン三世が引っ張った。
「美人さん。降りますよ」
「は~い」
乗客の騒ぎをよそにさっさと降りてしまう絵夢とカラナザン三世。結局、ほとんどの乗客は降り遅れた。
にゃ~。
『ナオ。なんだそれ?』
『へへ、兄貴。電車のブレーキです』
『ふううんん』
しばらくMはそれを手の平で転がせて遊んでいたが、すぐ飽きた。
原因がみんな降りた後も、電車は驀進する。
*
・・来た。狙撃者の感覚が彼にそれを伝えた。
目標は上空三百メートル。狙撃銃で届く距離だが、それでも重力に逆らうので弾丸の威力に難が出る。ただの強化ガラスが相手とは言え、入射角を考えるとやや心もとない。
そこで持ちだしたのがこの最新の狙撃銃だ。超強装弾を使うのでAI補正付で無いと扱えないというのがその根底にある。
男はゆっくりと銃を構える。銃のAIが辺りの状況を赤外線レーザーで計測して、微調整を始める。持主の射撃特性はすでに試射室での射撃で銃AIは覚えていた。理想的な反動、トルク吸収係数だった。
これならば三キロメートル向こうの標的でもはずさないぜ。プライドに満ちた邪悪な銃AIは密かにほくそ笑んだ。
「なるほど、これは良く見えま~す。私の宮殿にも、こんな塔が欲しいです」
「ええええ。建てて、建てて」と絵夢が無責任な相槌を打つ。
まさにお上りさん剥き出しである。
びしっ!
東京タワーの窓ガラスに穴が開く。
にゃっ!
蝿だ!
Mは反射的に飛んできたそれを捕まえた。
ころん。小さな金属の塊が転がる。
『兄貴、それは?』
『ライフル弾だ。ナオ。絵夢を守れ。』
男は無言だった。百発百中のはずの己の腕が・・外した。
しかし、そこはプロ。精神的な動揺を面に出すことなく、次の弾を修正した軌道に送り込む。
ずきゅ~~ん。長銃身特有の長く伸びる発射音が響く。
ずきゅ~~~ん。
ずきゅずきゅずきゅ~ん。
銃身の熱による膨張も計算に入れて、銃AIのアシストの下で次々と弾を撃ち出す。反動は持主に見事に吸収されて、寸分の狂いも無く、元のポイントに銃身が戻る。銃AIは幸せだった。
にゃっにゃにゃにゃにゃつ。
音速を遥かに越えて飛来する弾丸を、これも音速を遥かに凌駕するMの前足が捕捉する。たくさんの獲物を捉えて、Mは満足だった。
男は最後まで無言を貫いた。
全弾を撃ち尽くした銃をケースにしまう手が微かに震えている以外は、男の内面を知るすべは無い。
当たるはずだ。
当たったはずだ。
当たらないわけがない。
なのになぜ?
なお~。
そのとき背後で猫の鳴き声がした。
こんなビルの屋上にまで登って来るとは、どこの猫だ?
男はちらりと背後に視線を走らせ、顔を洗っている黒猫を一匹確認した。
その黒猫がはるか上空から舞い降りたなどとは想像もしなかった。
それから男は東京タワーに視線を戻した。
・・今度の仕事は失敗だ。これで狙撃の成功率は98%ぐらいに落ちたか。
男の胸の中で苦い思いがこみ上げた。帰ったら何が悪かったのかを調べなくてはいけない。
自分はプロなんだ。
自嘲する男の背後で音もなくナオが跳躍した。
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