女始末人絵夢3(4)火祭り血祭り地獄絵図

 休日の渋谷はさすがに凄い人出であった。

 人、人、人、人。人の渦である。

 大勢の人間が大交差点の中で、でたらめに歩きながらもぶつかりもせずにお互いの間をすり抜ける。外国人から見たら謎のこの光景が繰り広げられている。

 ハチ公前は待ち合わせの人間たちで大混雑だ。

 その人ゴミの中をカラナザンと一緒に絵夢は歩いていた。隠形の術をかけたままのMとナオは人間の頭から頭へと飛び移ってついて来る。体重は妖力で相殺している。でなければ頭の上への着地の衝撃だけで人間たちの首の骨は折れてしまっていただろう。二匹は見た目は普通の猫だが、その実本来の体重は大型のヒグマよりも重い。


「おう、美人さん。私、なんだか、楽しくなって来ました」

「名前は絵夢よ。まあ、いいか。カラちゃん」

「カラちゃん!?」

 カラナザン三世が脱力していた隙に一人の若者が絵夢に声をかけた。

「ねえねえ。そこのお姉ちゃん。一人なら俺と・・」

 ・・ナンパである。だが相手が悪い。

 相手を見て声をかけるべきであった。もっとも隠形中の二匹の猫又を見破れる人間は数少ない。

 声をかけた男の身体がいきなりビクンと引きつった。目がそのまま焦点を失い、腰掛けていたガードレールから離れてふらりふらりと歩き始める。

 もちろんMの仕業である。見える者が見れば真っ白な毛の長い、尻尾がふさふさとした猫が男の肩の上に乗っているのが見えたことであろう。

「最近は、もう、変な男が増えたわね~。さ、カラちゃん。行きましょ」

 絵夢はカラナザン三世の腕を掴むと歩き始めた。その後をナオがついて行く。


 警官の制止を振り切って交通整理をしている特設ステージの上に男は登った。

 そして警官からマイクを取り上げる。文字通りの、あの世の底から聞こえてくるような声がスピーカーから流れ出た。


【れええええっつ! ぼんんんんばあああああ】


 どん!

 重い破裂音を響かせて、男の首が吹き飛び、首にくっついたままの胃と腸が宙に長々と伸び上がる。

 ぼぼんぼん!

 男の身体のあちらこちらが爆発し、満員の歩行者の中に遠慮なく撒き散らされる。濃密な血の臭いと、吐き気を催す生臭さが満ち溢れる。

 頭の上に千切れた腸を載せた女性が悲鳴を上げる。飛んで来た指が口に入った老人が咽る。親子がつないだ手の上に、手首から先だけの手がそっと重ねられる。

 平和な雑踏の中にいきなり地獄絵図が生じた。

 もちろんただのMの八つ当りである。

 この光景を見て、気がふれた者五名、気分が悪くなったもの二十三名、食欲を覚えたもの約一名。

 一瞬で通行人たちはパニックになった。人々が押し合いへし合いして逃げ惑う。重なり合って倒れた者の上を逃げる人波が容赦なく呑み込んでいく。

 結果としてさらに重軽傷約四百名、死者二十名の大惨事になった。

 しかし、これも今から始まることに比べれば序の口であったことをこの時誰が予想したであろうか?



 無言で男はビルの上に登った。

 銃の照準器を使って辺りを見回す。狙撃の瞬間が撃つ側には隙ができてしまうので一番危ない。そして男には無数の敵が存在した。

 自分を狙っている者がいないことを確かめると、男は狙撃銃を手にしたまま静かに時を待った。

 必ず現れる。この標的は、きっとあの場所に現れるはずだ。

 仕事の前にはターゲットの行動を予測できるように綿密に調査する。

 カラナザンがそこに現れる理由は実に呆れかえったものだったが、それでいて人間の行動としては極めて真っ当なものであった。

 人間は自分の嗜好を無視できないものなのだ。克己が身についている人間は滅多にいない。

 どれだけかかろうが、ターゲットのカラナザンは必ずそこに現れる。

 人は己の好きなことを行うために、この世に産まれ出る。そしてそのことが原因で死に至る。

 自分の直感には間違いはない。そう確信していた。

 待つことには慣れていた。

 スコープを覗いたまま、一瞬たりとも男が緊張を緩めることはない。



「美人さん。私、次は原宿に行きたいです」

「は~い」明るく電車の中で答える絵夢であった。

「カラナザンさん。原宿を御存知なんですか~」

「美人さん。声が大きいです。私、これ、お忍びね」

「はい、カラちゃん」

 小声で言い直す絵夢であった。こういう所だけは女性らしいところがある。



 平和な光景の裏で密かに進行していた罠の口が閉じる。

 無線が飛んだ。

『標的発見、原宿に向う模様です』

『よし、出動しろ。標的は原宿。年齢50歳、だが識別する必要はない。その辺りにいる人間は手辺り次第に殺せ』

 前日より自衛隊総出で探していた行方不明になったネオコブラ2030。ドローンの出現により一度はその存在意義を失いながらも不死鳥の如くに蘇った戦闘ヘリの最新バージョンである。

 盗まれた攻撃ヘリ三機はなんと、建築中のビルの中に隠してあった。夜にスニークモードで飛んできてそのまま工事現場の中に着陸してブルーシートをかけて偽装していたのだ。

 出力五千馬力のガスタービンエンジンにジェット推進器をつけ、対戦車ミサイルに対人機関砲、対空ミサイル、分散型ロケットポッド、全範囲レーザー、そしてミサイルやドローンに対抗するための自動対空機関砲を装備し、高度な火器管制システムを搭載した最新型戦闘襲撃ヘリ、ネオコブラ2030。

 試験配備してすぐのこの戦闘ヘリの実戦での力は未知数なれど、今世紀最強の兵器との呼び名は高かった。

 宙に浮かび上がって10秒後には高速モードに移行すると、ヘリのローターを止めて固定し、そのままジェット推進に移った。原宿までにはわずかに五分。

 そして到着後二十秒で全兵装を使い切る予定であった。


「おう、原宿、女の子が一杯ね。美人さん。私、幸せね」

 カラナザン三世は上機嫌であった。

 路上ライブをやっているエセパンク男には冷たい視線を、そして周囲を歩く華やかに着飾った女の子たちには限りなく暖かい視線を振りまきながら、カラナザン三世は楽しそうに練り歩く。

 まるで絵に描いたような危ない外国人のおじさんである。

「カラちゃんて、危ない趣味ね」絵夢が呆れる。背後でMとナオが頷く。

「おう、私、危ない趣味無いね。若い子も年増もみんな好きね。国に戻れば私、二十人の奥さんいるよ」

「えええええ。二十人も奥さん。いるんですか~」

 そのほぼすべてが政略結婚の結果であった。無数の婚姻の糸がカラナザン共和国の独立を保障する命綱でもある。その糸を通じて共和国の巨額の富は出たり入ったりする。

 パタパタ・・。

「そうね。五十三歳から十五歳まで、私、どの奥さんも心から愛しているね」

 パタパタパタ・・。

「お子さんもたくさんいるんですか~」

 ババババババババババババ・・。

 カラナザン三世は何か言ったが絵夢には聞き取れなかった。そのときネオコブラ2030が空から舞降りたためである。


『標的発見。これより攻撃に移る。ガンシステムオープン』

 アイカメラの照準に従い、ガトリング砲が絵夢達に狙いを定める。戦闘管制AIが細かい調整を行う。三十ミリ砲弾が一分間に三百三十発。発射速度こそ遅いが、装甲された戦車でさえもたった一発で二つに引きちぎるほどの威力がある怪物機関砲だ。

『けけけけ、革命の理念も持たぬ、愚かなる大衆どもめえ。食らえ~』

 わざと自動照準を解除してガトリング砲を撃ちまくる・・心底暗い奴である。

 ゴゴゴゴゴゴゴオオオオオ!

 重い音を立てて砲弾がアスファルトをえぐる。道路と戦闘ヘリの間にはさまった人間は障害物にすらならない。

 たった一発の弾丸が近くを通っただけで、衝撃波で人間の骨は砕ける。掘り起こされたアスファルトのかけらが当っただけでも人の首が折れる。体のどこかにでも触れれば挽肉になる。

 それがこの死の天使の砲弾だ。

 先頭ヘリはこの射撃の凄まじい反動を後方ジェット噴射で相殺する。それでも機体は後ずさる。

 二十秒間だけ射撃した。

 たったそれだけでヘリの自動姿勢制御システムが補正できないほど機首が上がり、一端射撃を中止することになった。わざと照準を外したので絵夢達は無事だが、周囲には破壊された道路と人体の吐き気を催すミンチが出来上がっている。

『おい、遊ぶな』後部席のパイロットから叱責が飛んだ。

『焦るなって。これから面白くなるんだから』

 ヘリはぐいっと姿勢を建て直して、再びガトリング砲を絵夢達に向ける。

 同時にロケット砲も連動させる。広範囲のキルゾーンの中に標的はすっぽりと入っている。

『今度こそ、死んでもらうぞお』

 パイロットが舌なめずりをした。見えない股間が盛り上がっている。これは完全な変態野郎だ。

「いやあああああ」

 泣き顔になった絵夢がかんざしをヘリ目指して投げる。

 それは驚くほど真っすぐに飛んだ。まるでミサイルか何かのようにだ。

 重力を無視してヘリのローターの基部へと当たった。

 キン!

 情けない音を立ててかんざしはあっさりと跳ね返った。

「美人さん。いけない。逃げるね。早く」

 対戦車ライフルの徹甲弾も弾き返す特殊強化防弾ガラスの中で、パイロットがにやりと笑う。

 逃げられるものか。ビルごと撃ち抜いてやる。かんざしだと、笑止。

 トリガーを引く指に力が入った。


 笑うべきでは無かった。

 誰も知らないが、絵夢のかんざしは決して笑ってよい代物では無い。

 笑われたことに怒るだけの自我があるわけではない。

 だがそれは滅びの運命が結晶化した何か。

 恐れ、畏怖し、敬い、そして遠ざけるべき何か。

 触れてはならぬ禁じられた何か。


 パイロットは息を止めると操縦グローブの中のトリガーを引いた。ぐにゃりとした感触と共に発射ボタンが砕ける。

 あ・・?

 驚く間も無く、窓の外を分解していくローターからばら撒かれたビスが飛び交う。

 機体の外縁についているロケットポッドが外れて落ちる。続いて防弾ガラスがジグゾーパズルのようなひび割れを見せて砕け散る。

 いったい何が?

 自分の周囲で戦闘ヘリがなぜだか分解していく。

 落下中のロケットポッドから誤動作したロケットが無数に撃ち出された。

 それは狙い過たず、ヘリを真下から存分に打ち抜いた。

 爆散。

 高性能ヘリがただのくず鉄に変わり、眼下でパニックを起こしている歩行者の上に降り注ぐ。

 分断されたローターだけはしばらく空中に留まり、やがて降下を始めるとそこにいたパイロットの首を奇麗に切り離してから止まった。


『一号機がやられたぞ。いったい何が?』

『対空ミサイルか! 爆発が見えたぞ』

『地上部隊。聞こえるか? 獲物を追い詰めてくれ。こちら二号機は地上に近付けない』

 ・・にゃああ。

『近付けない? どういうことだ。ヘリ部隊。説明しろ』

 ・・にゃああああ。

『一号機が撃墜された。ここからでは敵の姿が視認できない』

 ナオはビルの上からひらりと舞い降りると、突き出したヘリの後部にちょこんと乗った。今日の獲物はちと堅いが我慢しよう。

 うん、と背を伸ばす。そのまま爪を伸ばしてヘリの機体を引っ掻く。

 ・・凄く気持ちが良い。黒い尻尾がぴんと立つ。

 かりかりっ・・かりかりかり・・。

 ナオが爪を研ぐたびに、対空ミサイルの直撃にも大丈夫と折り紙付きの格子欠陥除去式強化装甲鋼板がズタボロになって捲れていく。

 かり・・かりかりかり・・ぼきん!

 ヘリの後部があっさりと折れて脱落した。テイルローターを失った機体を必死に姿勢制御AIが操作するが、もう真っすぐには飛べない。

 ヘリの前に回ったナオが操縦席を覗き込む。そこではパニックになったヘリのパイロットが必死に操縦桿にしがみついている。

 呆気に取られているパイロットの目が真正面からナオと向き合った。

『うわあ、黒猫だ。どうして・・』

『猫? 猫がどうしたって?』

 パニックになったパイロットの叫びで無線が満ちる。

 猫パンチ!

 ナオの黒い手が放つ猫パンチがヘリの前面を粉砕する。まるで脆いウェハースでもあるかのように防弾ガラスもチタンの枠も肉球に殴られてまとめて砕け散る。

 猫キック!

 ナオのキックは操縦席ごと、ヘリを二つに引きちぎった。

 反動で宙に放り出されたナオは手近の建物の垂直の壁面にトンと飛び降りると毛づくろいを始めた。

 人の海の中に落ちたヘリが炎を上げ始め、爆竹の爆ぜるような音がし始めた。弾薬への誘爆である。

 精一杯着飾ってデートに臨んでいた男女が次々に飛んできた弾丸に当たり挽肉に変わる。

 ミサイルがぶしゅぶしゅと飛び交う。やがて辺りは火炎地獄へと変貌した。

 それを見ているとほんの少しだけ、ナオは幸せな気分になった。もちろん、スリスリするほどでは無いが。

 兄貴に蘇らせて貰って以来、自分が極端に強くなったことをナオは自覚していた。

 真の強さとはこういうことなのかと改めて認識している最中であった。


 二号機の惨状をしかし三号機は知るよしも無かった。パイロットの瞳には、操縦席の前のフロントガラスに張り付いている白猫しか見えていない。

 白い長毛の美しい猫。

 そしてその白の中に浮かぶMの青い左目だけがパイロットに取ってのこの世のすべてだ。

「はい、はい。ご主人様。ただちにおおせの通りに・・」

 パイロットはつぶやくと、『黎明の大地』の地上部隊のいる辺りにヘリを向けた。


 ・・この日を境に、『黎明の大地』は主力メンバーの大半を失い壊滅に追い込まれることになる。



 この惨劇を一人遠巻きに見ながら、古都総十郎は考えていた。

 自分が未来を読んだ通りに、ここでは災厄が起きている。

 刈り屋は本来妖魔だけを狩りの対象とする。だが裏の刈り屋は別だ。暗殺対象には人間も入っている。一応は凶悪犯だけという但し書きはついてはいるが実際はそれは建前である。

 金のためならどんなことでもやるのが人間というものである。

 依頼は『黎明の大地』のトップを潰すこと。依頼主の名は伏せられていたが、またぞろ魔女たちの一人ではないかと総十郎は当たりをつけていた。

 『頭脳』と呼ばれる人物を消さねば、この組織は何度でも蘇る。だから特別に総十郎の下へと依頼が来たのだ。

 足下には一人の男が倒れていた。

 男は麻痺毒を打たれて、身動きはできない。

 総十郎が顔を近づける。

「お前たちに命令を出しているのは誰だ?」

「い・・う・・もんか」

 動かぬ舌を呪いながら、男は答える。

「言わなくていい。そう、そう、そうやって考えるだけでいい」

 総十郎は一本の針を男に刺した。その体が一瞬びくりと動き、そして力なく横たわる。

「秘術魂移し」

 総十郎が呟くと、その針はひとりでに宙に浮きあがった。

「さあ案内してくれ」

 その言葉を受けて、針は飛び始めた。

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