女始末人絵夢3(3)追跡者たち

 今年五十歳になる男盛りのカラナザン国元首、事実上の独裁者であるカラナザン三世は、現在進行形で早朝のホテルから部下の手引きで抜け出して来た。

「陛下、ここならば、もう大丈夫です。ではお好きな所に案内しましょう」

 カラナザンに見えないように俯いた部下の顔につい笑みが浮かんでしまう。

 この秘密行の情報を漏らしたのが自分だと知ったらカラナザンはいったいどうするだろう?

 敵が多いだけにカラナザン配下の諜報部隊はそれなりに規模があるし、大勢の拷問官を抱えている。もしバレたら自分は楽には死ねないだろう。

 それでも知らぬこととは云え、カラナザンが自分の妹を弄んで捨てたことを許すつもりはない。


 同行の部下がそんなことを考えているとも知らずに、変装したカラナザン三世はうんと伸びをした。ここはもう駅前だ。周囲は大勢の人間で埋まっている。

 突然、カラナザンは胸を押さえて身体を折り曲げた。

 同時にパンと破裂音がする。

 人の流れの中に立っていた駅員が膨らんだ左の胸に手を入れた。

 ベビーカーを押していた主婦が、買物篭に右手を差し込んだ。

 歩いていたサラリーマンが、全員一斉に身構えた。

 オートバイを止めてお喋りをしていたバイカーたちがヘルメットの中に手を差し込んだ。

 ・・皆、電光石花の素早さである。

 胸ポケットの中から爆竹を取りだしながら、カラナザン三世が笑う。

 全員変装したカラナザン親衛隊のメンバーに違いない。

 何がお忍びだ!

 どこに行っても周囲に監視の目が光っている。最初は頼もしかったが、やがて息苦しくなり、最後には絶対に彼らの目の届かない所で遊んでみせるとの意地になった。

 いきなり彼は脱兎の如く駆け出した。とんでもない早さである。

 道路をひらりと飛び越え、店の中を駆け回り、電車に飛び込み、また飛び降りる。植え込みを葡伏前進し、店員に化け、女性のスカートに潜り込んだ。

 年齢に見合わぬバイタリティである。

 これもすべて袖に隠した覚せい剤のお陰だ。


 結局、最後まで彼についてこれた親衛隊員はわずかに三人であった。

 だがその三人は一斉に目を剥いた。

 カラナザン三世の横にいつのまにか黒づくめの男が立っている。その男は頭に黒頭巾を被っていた。時代劇に詳しい者ならばそれが御高祖頭巾と呼ばれるものであると分かったであろう。

 その被りものが何であれ、不審者には違いがない。それも即時撃ち殺す類のレベルである。

 黒頭巾の男はカラナザンの耳に口を寄せると何かをささやいた。それを見て親衛隊員三人が拳銃を抜こうとした。だが次の瞬間、突然の衝撃を受けて三人はことごとく倒れた。

 誰知ろう。

 すぐ横を通り過ぎた半ズボンに白シャツ五分刈りの太っちょ男がその昏倒の原因だとは。

 恐ろしい早業で、硬貨を指で弾いてそれで三人の頭蓋骨を叩いて通り過ぎたのだ。それを目で捉えることができた人間はここにはいない。

 その間も黒頭巾の男はささやき続ける。

「お待ちしておりました。カラナザン三世さま。見事な逃げっぷりで。お約束のボディガードを引き受ける始末人です」

 背後を見たカラナザンは絶句した。

「ウチの精鋭が・・」

 つぶやいているのは日本語だ。いったいどこで勉強したのだろう?

 当然のこととして黒頭巾の元締めは続ける。部下の腕ならむしろこれぐらいは当然である。なにせ自分たちは江戸時代から続く由緒ある正義の始末人なのだ。

「そのまま、進んで下さい。あの角に立っている女の子が案内役です」

「おう、あの女性が。だいじょぶなのですか?」

「御心配無く。彼女は我々の中でも一番の腕利き。では・・」

 止める暇もあればこそ、元締めはさっさと立ち去った。


「おう、美人さんね。私がカラよ」両手を広げてカラナザン三世が絵夢に近付く。

「よろしく~、あたしが絵夢で~す」にこやかな笑顔で絵夢が答える。

 うふふふふ、お金、お金。

 もはや絵夢にはカラナザンが歩く札束にしか見えていない。今日一日この男に付き合えば、数千万円が転がり込んで来る。

 あたしのお金だ。誰にも渡すもんか~。


 近くのしげみの中で密かについてきていたMとナオが溜め息をついた。

 二匹はこの絵夢の仕事をサポートするつもりであった。

 絵夢にお金が入れば毎日のネコ缶が高級品に変わるはずである。

 やろうと思えば二匹で手近の銀行を襲うのは至極簡単だが、派手な騒ぎを起こせば妖魔専用の殺し屋である刈り屋たちが出張って来る。

 Mもナオもどちらも刈り屋の抹消標的リストに載っているのは間違いないのだ。騒ぎを起こせば起こすほどその優先順位は上がる。

 特に日本の刈り屋の頂点に位置する古都家の連中が出て来るとヤバイ。一番恐ろしい古都総十郎自身は秘密の約束が生きている間は百虎王には手を出さないはずだが、それを抜きにしても十分に脅威だ。

 あくまでも絵夢の影に徹して仕事を成功させる。

 それが二匹の戦略だ。


「おう、宜しく、美人さん」

 どうやら、カラナザン三世は絵夢の名前を『美人さん』に決めたようだ。絵夢はそこまでの美人ではないが、カラナザンが女性に接する態度は一貫して揺るがない。何よりもお世辞はタダだ。

 女性相手は褒めちぎるに限る。それが彼の座右の銘であった。

 カラナザン三世の手がごく自然な動きで絵夢のお尻へと伸びた。生粋の女好きだけにできる流暢で優雅な動きだ。

 ぱし~~~ん。

 絵夢の平手がカラナザン三世の顔に当った。続いて絵夢の怒鳴り声。

「何するんですか! お尻なんか触って!」

 絵夢はかんかんに怒っている。

 茂みの中からナオが形相を変えて飛びだそうとしたが、Mに引き止められた。

 人には聞こえない声で二匹で言い合いをする。

『何するんでやすか、兄貴。あいつを殺す』

『止めろ、絵夢の仕事を台無しにする気か。ナオ。それに殺すときは俺がやる』

 Mの青い左目の中にすさまじい炎が燃える。ナオが思わず怯むほどの。Mも激怒していたので、ナオが兄貴と呼んだのを見過ごしてしまった。

 ふみいい。にゃあにゃあ。

 カラナザンには絵夢が護衛につき、その絵夢にもまた護衛がついている。

 どちらがより恐ろしいかは今の時点はまだはっきりしていない。


 真っ赤に手形のついた頬を左右に振りながら、カラナザン三世が辺りを見回す。誰も懐に手を入れている人間はいない。

 ついにすべての護衛を撒いたのだ。カラナザンの心の中に喜びが沸き起こった。

 何十年という驚くべき努力の末に、自分はいま真の自由を手に入れたのだ。

「おう、すみませ~ん。美人さん。私の悪い癖ね。許してくださ~い」

「いいわ。許したげる」

 絵夢は不機嫌ながらも許した。

 お金の力は偉大だ。それはこの世のすべての問題を解決する。

「では、案内して下さい。私、渋谷を歩いて見たいね」

 お登り旅行が始まった。

 なんと驚くことにここまで、まだ只の一人も死んではいない。

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