女始末人絵夢3(2)砂漠の国より
カラナザン共和国は事実上、元首カラナザン三世私有の独裁国家である。
地図で探しても判らないほどのこの小国はそれにも関わらずウラニウムやレアメタル等の希少金属や石油を始めとする地下資源の知られざる宝庫なのである。近年の資源探査衛星による調査でそのことが判明したものの、この国を支配するカラナザン一族はそう簡単に先進諸国に利権を渡さなかった。
結果としてカラナザン共和国は非常に豊かで、しかも激しい政治論争の中心点となった。この国は第三次世界大戦さえ引き起こし兼ねない騒動の隠れた火種と言われている。
多くの国が水面下で共和国に軍事援助を行い自分たちを売り込もうとした。それらすべてを手玉に取り、見事な手腕でカラナザン一族は自分たちの国の独立性を保っていた。
そのトップを担うカラナザン三世はこれも一族の例にもれず非常なやり手であった。そしてまた非常にお祭好きの女好きでもあった。
周囲の護衛に取っては胃が痛くなるほどの悩みの種である。
彼は訪問先の国で必ずと言って良いほど、お忍びの遊びに出かける。もちろんお忍びとは言っても、主人に似てやり手のカラナザン秘密情報局が護衛も付けずにこれほどの重要人物を出歩かせる訳がない。
彼の行く『お忍びの場末のバー』は全て秘密情報員で固められ、『危ないお店』はボーイからバニーガールまで全て忠誠を誓った王室警護隊員の変装である。
賢いカラナザン三世がこの裏の仕組みに気付かないわけがない。バニーガールのお姉ちゃんの腕に隠しようもない筋肉が盛り上がっていたり、バーテンの服の左脇がすべて膨らんでいては、バレない道理がない。
そういうわけで、今度の来日を機会に彼はお付きの者たちを撒いて本物のお忍び遊びを行うつもりであった。
だが・・彼は限りの無いスケベではあったが、馬鹿では無い。
密かに買収した配下の者に命じて、民間から腕の立つ護衛を雇って自分に付けさせたのだ。
民間の護衛の猛者とは言えど、各国の情報機関や暗殺機関には歯が立たないことは予想していた。
だがそれでも少なくとも噂に聞くジャパニーズ・ヤクザからの護衛にはなる。
一人遊びをするという秘密が洩れない限りはテロの対象になることは無いとの計算の下での計画であった。
事態に気づいて暗殺者が集まる前に、本物の遊びをさっとやって、さっと逃げるのだ。
なんと素敵な計画だろう。
この計画の誤算は一つだけある。
それは買収したはずの部下の一人がその実裏切りを行っていたことである。
秘密はもはや秘密では無く、今や世界中の危険な団体がこのボーナスステージに群がることになった。
どこにでもある暗殺騒ぎ。だがたった一つだけ普通と違うところがある。
それは日本文化大好きのカラナザン三世が選んだ護衛が『始末人』と名乗る謎の組織だったこと・・。
*
空港のチェックイン・カウンターの向こうで、その目の細い男は黙って立っていた。背は高いし、胸に厚みがある。柔和なところが一片もない厳しい顔つきをしている。
これほど殺気に満ちた男を見るのは初めてだ。まるでいつ爆発するか分からない時限爆弾を見ているようだ。
税関員は恐るおそる、彼のパスポートを調べた。
頼むから不振な点は見つかって欲しくはない。ここでトラブルが起きれば自分の命が危ないことを税関員は理解していた。
そのことに何か理由があるわけではないが、そう感じさせる男だった。
「ミスター・・、あ~、ミスター・ジョージ・東条?」
「・・そうだ・・」男はぼそりとつぶやいた。
そこに微動だにせずに立ったまま、じろりと税関員を睨む。その目の中の光がとても厳しい。
「お荷物の中に何か申告洩れは・・」
税関員がそこまで言ったときだ。
突然、男が後ろを振り向き、手刀を放った。男の後ろに立っていた老婆がひえと叫んで転ぶ。
「・・俺の後ろに立つんじゃない・・」冷たく男は言い放った。
いやいやいやいや。これだけ混雑している空港でその言葉は無理があるだろう。そう思いながらも税関員は余計な口を挟まない。
俺はただの雇われ人だ。正義の味方じゃない。見知らぬお婆さんの危難にさえ目を瞑れば、すべては平和に過ぎ去る。
「ミスター・東条。結構です。どうぞ」
あわてて税関員がパスポートを返して男を送り出す。
その後ろ姿を見ていると自分の背中にどっと汗が噴き出すのを感じた。
今日俺は生き延びた。安堵が胸の内に灯る。帰宅時間になったら一人で飲みに行ってビールで祝杯を挙げよう。
そう決心した。
だがその思いは果たせなかった。
この日の入国者の内、目付きの悪い者約三百二十人。いずれも殺気を身にまとっている。
全員の検査が終ったときには、税関員の髪は真っ白になっていた。
*
『黎明の大地』は鍛えられた戦闘員のみで構成されるカルト・テロ集団である。彼らの特徴は恐ろしく辛抱強いこと。大学で洗脳教育を受けたメンバーの中には二十年に渡って一般人の中に潜伏してみせた者もいる。もちろん学生運動をやって名前がブラックリストに載るような幼稚な事は一切しない。
ある日いきなり出現し、人々の度肝を抜くような事件を起こすと、またどこかに潜り込んで雌伏のときを過ごす。それが彼らだ。
その目的や行動は何もかも不明ながら、その行動の影響は計り知れない。
彼らが起こしたどの事件もドミノ倒しのように周囲に波及し、深い爪痕を残していく。
国家そのものにとっても非常に危険な正体不明の謎の集団なのである。
構成員のかなりのメンバーが軍隊に潜り込んだり傭兵学校に通うなどして戦闘経験を積んでいるのも厄介な点だ。迂闊に手を出すと、出した手が食いちぎられることになる。
今ここにいるのはその内の数人だ。
場所は自衛隊の官舎の中である。
悪だくみ効果に包まれて顔も姿も闇に包まれて見えない。
「『神経』から指令が来た。訪日中のある人物を暗殺、いや、派手に殺害しろとのことだ」
「俺達に指令が来るとは・・例のやつを使うのか?」
「そうだ。何を使ってもよい。こちらの潜伏がバレてもよい。ただし失敗だけは許されない。『頭脳』の計算によると、日本でこの人物を殺害することで、世界各地の軍事・経済バランスが大きく変動するそうだ。できるならなるべく派手に殺せとのことだ」
「ついに革命のチャンスが来るわけだ」
「そういうことだ。ローテーションに注意しろ。決行は三日後だ」
*
「お客さま。コートを」
ホテルのクローク係が手を差し出した。
相手は金髪の白人の偉丈夫だ。ぴしりと決めた高価そうなスーツが印象的だ。
「ああ、ありがとう。これはチップだ」
両替したばかりのお札が渡される。
「ありがとうございます。これはコートの預かり札です」
その客はちらりと預かり札を見た。そこにはさり気なく秘密のマークが刻印されている。
「うむ・・これは・・君が連絡員か?」
「はい。標的の行動パターン分析はここに。K様からお預かりした道具はお部屋のベッドの下です」
「ご苦労。道具の分のチップはベッドの上に置いておく」
「お気を付けて。ボイド様。そして女王陛下に栄光あれ」
この世界に九枚存在する殺人許可証の内の一枚を持つ男はさり気なくその場を離れる。
左右に目を配りながら、エレベータで部屋に向かう。ありがたいことに胸のホルスターに納めたベレッタは使わずに済んだ。
*
「ハイル!」
「こら、大きな声を出すな」それから少し間を置いて小声で「ハイル」
またもや悪だくみ効果である。ここに集まっている人物の姿はぼやけてはっきりしない。
「すでに準備は出来ています。メンバーも、武器も」
「アレの準備は出来ているか?」
『あれ』の部分だけ小声になった。
アレとは切り札中の切り札だ。
極秘の研究所から極秘の予備パーツを極秘で一つずつ持ちだした。すべてのパーツを揃えるのには大変な時間がかかった。本来あるべき予備パーツが納まるべき格納場所には巧妙にコピーした偽のパーツが置かれている。
最後には盗みがバレて、これに関わった人間は毒を飲んで死んだ。
運び出したパーツは物凄い苦労をしながら日本に密輸して、借りた倉庫の中で慎重に組み立てた。
重量十三トン。動く重い金属の塊。特殊装甲鉄板とハイテクの混合物。
主砲である高出力エキシマレーザーだけはどうしても手に入らなかった。その代わりに二番兵装であるガトリング砲が代わりにつけてある。
それはこの瞬間、この重量に耐えられるように特殊改造された大型トレーラーに搭載されて出撃を待っていた。
極秘中の極秘兵器。
だが、それを使わざるを得ないほど、今度の獲物の殺害は重要だった。
莫大な金とそれ以上に重要な権力闘争が関わっているのだから。
「準備はすべて完了しています。しかし、それほどの相手なのですか」
手にチェックリストを持った技術者が悪だくみ効果の闇の中で緊張を声に載せて喋る。
「ターゲット自体はたいしたことは無い。だが、万に一つも失敗が許されない事案なのだ。第三帝国復興のためには」
「おお、マイン・フューラー!」
「大声を出すな」
冷たい声だった。
命令の実行が終わったら、これに関わるすべての人員資料痕跡を消し去れとの絶対命令がついてきている。
すべては闇の中より産まれ、見つかる前にまた闇の中へと戻るのだ。
この仕事が終わったら自分は殺されるのかも知れないなと、顔の見えない男はふと思った。
*
「絵夢。君は彼の案内役に立ってくれ」
「は~い。元締~。でもあたしでいいんですか?」
「君以外の始末人は断られた。一国の元首ともなるとさすが見る目があるものだな」
元締めは絵夢をエムという名の凄腕諜報員と誤解している。
「判りました。元締。でも、それってあたしが女の子だからじゃ無いんですか?」
・・ぎくり・・。
もちろんカラナザン三世の女好きはファイルにもしっかりと書かれている。
始末人リストをちらりと見てカラナザン三世は躊躇わずに唯一の女性である絵夢を選んだのだ。
「あ! 元締。今、ぎくりとした」
「あはあはあは。え、絵夢。そんな事があるはずないじゃないか。まあ、なんだ、君の仕事が一番大事だから少し仕事料に色をつけてあげよう」
「わあい、ありがとうございま~す。元締。でも、始末人の顔がバレていいんですか」
「絵夢。この仕事が終ったら、君は良い人を見つけてお嫁に行きなさい。若い女の子がいつまでも始末人なんてやっていてはいけない」
「厭です」きっぱりと絵夢は言った。
「世の為、人のためです。あたしは始末人は止めません」
「そのことについては後ほどゆっくりと話会おう。今はとにかく、この仕事だ」
このあたり、最初の頃の絵夢の態度とはすでに真逆である。つまり絵夢はこの仕事に味を占めてしまったのだ。
殺人には抵抗があったが、ひとたび蓋を開けて見れば、絵夢は毎回ドタバタしているだけで、なぜか仕事はできたことになり、お金が貰えるのだ。
こんな美味しい仕事を捨てるわけにはいかない。
それがいかに愚かな決断なのかを絵夢はまだ知らない。
*
「コードG、暗唱番号はGRG13だ」
「はい、お荷物は届いています。組み立てと調整も終っています」
「・・・」
「AI照準器搭載超遠距離ライフル、SPS1313。私も話には聞いていましたが、見るのは初めてです。」
「・・・」
「ニューグロッグ7に、消音SDP55はこちらに。随分高価な銃ですね」
「・・・」
「後、何か入り用な物があれば、ただちにご用意して差し上げます」
「それならば試射室を貸して貰いたい」
「判りました。右奥の通路を進んでください」
廊下の中を足音が遠ざかっていく。
通路の先の扉のロックを遠隔で外しながら、これほどの大物がやる仕事はいったい何だろうと、係の者は思いを馳せた。
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