女始末人絵夢3(1)居候が増えた

 ふかふか~ふかふか~。絵夢はご機嫌であった・・。

 すりすり~すりすり~。猫のMは不機嫌であった・・。


 なぜか?

 なぜ、すりすりしているのにMは不機嫌なのか?

 それはすりすりしているのがMでは無いためである。


 では誰がすりすりしているのか?

 そう、すりすりしているのはナオなのである。


 覚えているだろうか?

 前回、敵の始末人のボスに飼われていた化け猫の涅瞋鬼。Mにズタボロにやられて姿を隠した猫又涅瞋鬼は何と絵夢に拾われてそのまま居候を決め込んだのである。

 偶然に見える必然の恐ろしさ。絵夢は自覚の無い巨大な災害の竜巻であり、周囲の災厄はどうしてもそれに引き寄せられる。

 絵夢は拾った黒猫に『ナオ』と名付けた。それが凶悪な猫又だとはもちろん気づいてはいない。

 そして今その絵夢はナオを猫可愛がりしている。その背後でMは静かに拗ねている。

 絵夢がナオを撫でるたびに、Mの瞳の中で炎が燃え上がる。

 地獄の炎だ。

 激怒の炎だ。

 破滅の炎だ。

 絵夢のひと撫で毎にナオの命は死へと近づいていく。Mがその気になればMの暴挙を止めることができる存在はここにはいない。

 絵夢とナオを羨ましがっていることを悟られないように、Mは平静を装い背中を向けて尻尾をぱたりぱたりと左右に振っている。だがそれでも全身全霊をかけてナオの様子を窺っているのが分かる。Mのヒゲの先が神経質にピクピクしているからだ。

 己が今嫉妬という感情の渦の中にあることを、当事者であるMは不思議に思っていた。

 最悪最強で最恐にして最凶の猫又と呼ばれた百虎王。その自分がなぜこんな青臭い人間の小娘に心が囚われているのか。それがまったく理解できなかった。

 Mが普通の猫であった時期はほんのわずかだったのだ。後の猫人生はずっと猫又として生きて来た。それなのに・・だ。

 いっそここで絵夢とナオを惨殺して別の所に行くのもいいかとも考えたが、結局のところは止めた。

 家出しようかなとも思ったが、そんなことをすれば後はナオの天下である。

 あらゆる、『ふかふか』や『すりすり』をナオに奪われるわけには行かない。

 となれば、後はナオが家出したことにしてこっそりと消すしかない。死体はあまさず食べて証拠隠滅すればよい。

 絵夢は寂しがるかもしれないが、なに、一カ月もすればきれいに忘れ去るだろう。人間なんてそんなものだ。

 もちろんナオも決してバカではないので、Mの殺気はびんびんに感じている。絵夢のひと撫でひと撫でが自分の命を削るようで実は全然楽しめていない。


 パチン。TVのスイッチが勝手に入った。元締からの指令の開始だ。

 TV画面に【晴らせぬあなたの怨みを晴らす。明るい明日を作る始末人】のテロップが流れる。

 その後に黒い覆面で顔を隠した人物が映る。被っているのは時代劇に出て来る御高祖頭巾だ。

「やあ、絵夢。新しい仕事の依頼が来たのだが」

「はあ~い。元締~。待ってました~」

 絵夢が膝の上のナオを放り出す。

 ほっとしたナオが逃げるよりも早く、待ってましたとばかりにMがナオの耳を掴んで、絵夢の視界の外に引きずりだす。

 死の翼が自分の上に舞い降りて来るのをナオは感じた。かろうじて小便を漏らすのだけは我慢できた。


「今回の仕事はちょっと毛色が違うのだが」元締が話し始める。

「は~い。今度は誰を殺すんですか?」とても明るい口調で絵夢が尋ねる。

 何か変だ。

 いつもの絵夢なら何とかこの仕事から抜け出そうとするはずだが、ここ二回の仕事は何もしていないのに何故かうまく行っている。そのたびに万札の束が貰えるので絵夢はたちまちにして味を占めてしまった。

 つまるところ絵夢は始末人という仕事を完全に舐めていたのだ。


 部屋の隅で目を吊り上げてMがナオに怒る。

『にゃああにゃああ(こら、ナオ。いい加減にしないと)』

『なおなおなお(すみません。兄貴。つい)』

『ふなああおお(ふかふかにすりすりしていいのは俺だけだ)』

『ふみい。なお。なお(だって、絵夢の姉御が放してくれないんで)』

 Mの猫パンチがナオに飛ぶ。その一撃で家が崩れなかったのはMが本気でない証拠だ。

 どたばたどたばた。二匹で大騒ぎをした。

 半ば遊び、半ば本気だ。ときたまナオがMの攻撃を避け損ねて首の骨が折れるが、その場でMが妖力でナオの傷を治してまた続ける。無間地獄ならぬ無限地獄の始まりだ。

 正直な話、ナオも驚いていた。首の骨が折れたぐらいでは猫又はなかなか死なない。だがそれでも即剤に致命傷にはならない程度の話でしかない。

 だが今の自分はそれがせいぜい軽傷程度の扱いでしかない。それぐらいMから受け取った力のレベルは以前のものとは桁違いであった。

 あのMとの激突も、M本猫に取ってはちょっとしたじゃれ合いでしかなかったのだと、今更ながらにしてナオは思う。

 絵夢は背後で行われている地獄絵図にまったく気づいていない。

「猫がうるさいようだね。絵夢?」

「こら、あなた達。止めなさい。M! あなた、怪我したナオに何しているの!」

「ふみいいいいいい」絵夢に叱られてMが泣く。

 本当に家出しようかな?

 Mが拗ねる。その姿はどうみてもただの長毛の白猫だ。

 かって世界を放浪していた時代に幾つもの街を炎の中に沈めた魔獣の面影はそこには無い。

「ええと、今回の仕事は・・始末人の本領からは外れるのだが、護衛の依頼が入っている」

 元締が説明を始める。

「護衛?」絵夢が聞き返す。

「うむ、さるアラビアの石油成金が来日しているのだが、お忍びで遊びに行くのが好きらしくてな、それで目立たない護衛を付けて欲しいとのことなんだ」

「ええ、元締! それは始末人の仕事じゃありません!」

 がばりと絵夢が立ち上がった。風圧に負けて、絵夢のスカートがめくれ、それを見た元締の顔が頭巾の下で真っ赤になった。

 正義感に貫かれて絵夢が元締に説教をする。

「そんな仕事はボディガードに任せればいいんです! 始末人というものは無念の涙を流しながら晴らせぬ怨みを抱えて死んだ人達の苦しみを救うのが仕事であって、金儲けに走るなんてもってのほか。私は元締を見損ないました!」

 絵夢の言葉は限りなく厳しく、元締はうなだれた。

 あれほど始末人という職業を嫌っていたのにこの変わりようだ。今では逆に熱く正義を語るとは。

 女は怖い。

 元締めは心の片隅でそう思った。賢明にも口にはしなかった。

「大体、元締は商売に走り過ぎです! そんなことじゃあ、この間の殺し屋の組織を笑えません! 元締っ! しっかりしてください!」

 元締が顔を上げた。目がうるうると光っている。

 秘技偽涙。手の中に隠した眼薬を使った小技である。

「負うた子に教えられるとはこの事だ。判った。絵夢。私が間違っていた。今度の仕事はキャンセルしよう」

「それでこそ、あたし達の元締です!」

 とは言うものの実は絵夢は他の仲間の顔を知らない。連絡は元締からのみ行われる。

「うん。では、今度の仕事はキャンセルしよう。

 そうだとも。高々、十億の仕事がなんだって言うんだ」

 元締がこぶしを握り締める。

「そうよ、たかが十億の仕事なんて・・」と絵夢。

 沈黙。

 雰囲気の変化を知り、Mとナオが殴り合いを止めて顔を上げる。

「ええええええ~っ!」絵夢の大声はあやうくTV電話のマイクを破壊しかけた。

「十億って、あの、元締。十億?」

「そう、絵夢。十億だ」

「十億って、十億円ですよね? ルーブルじゃなく」

「セントでもないよ。十億円だ。一万円様が十万枚。勿論、税抜きでだ」

「そのうち、あたしの取り分は~。元締?」

「今回は十人で護衛をするから、7%。七千万円だな」

 本当は十人も使わないが元締めは嘘をついた。そもそも元締めの組織には十人も人はいない。

「やる!」絵夢がガッツポーズを取った。

「え!? だって、絵夢、さっき・・」

「やるったらやる。こんなの濡れ手に泡じゃない」

「粟の字が間違っている気がするが、絵夢。さっきのセリフはどこに行ったのだね?」

「どのセリフ!?」

 絵夢がじろりと元締を睨んだ。

 ・・恐い・・。目が逝ってしまっている。

 元締がゴクリと唾を飲んだ。背筋を何か冷たいものが走った。

 世の中には決して触れてはならないものがある。

「あ、あはははは。やるなら、いいんだよ。絵夢。あはあは。では、細かいことは後日連絡する」

 プツン。TV電話が切られた。


「きゃあ、M。ナオ。聞いた~。お金、お金」

 絵夢がMとナオを両手に抱えてごろごろと床を転げ回った。

「あなた達の缶詰代も馬鹿にならないんですからね。稼がなくっちゃ~」

 絵夢は逃げようとするMとナオをがっきと捕まえて、喜びの猫じゃ猫じゃを踊らせ始めた。

 誰にも見せられない姿である。

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