女始末人絵夢2(5)家に帰るまでが始末行

 なめくじと思ったのはMの毛だった。

 変ねえ。あたしって本当にどうしたんだろう?

 絵夢は不思議に思った。でもまあいいや。何とか逃げられたんだし。

 元締は怒るかも知れないけど、今度の仕事は降ろして貰うことにしよっと。

 そう自分に言い聞かせて、諦めのいい絵夢は家に帰ることに決めた。

 どこか遠くで何かが崩れる音がしているが絵夢はもう関わらない。

 そして関わる必要もない。

 災いの種はすでに蒔かれてしまったのだ。



 がらがら。崩壊した家の残骸の中から奇跡的に助かった黒虎宅配便のボスである安達四郎が這い出てくる。

 許さんぞ、あの小娘。地獄の果てまで追ってやる!

 殺す。殺す。絶対に殺す。拷問して殺す。辱めて殺す。殺してと喚くまで殺し続ける。

 怒りの形相で周囲を睥睨する。

 しかし何故この家は崩れたのか。

 それが謎だった。


 にゃああ。背後で猫の鳴き声がした。


 この役立たずめ、今頃戻ってきおった。

「おお、涅瞋鬼。帰ったか。あの娘を殺せ。いや、生かして連れて来い」

 そう言って振り返った老人の目の前にいたのは黒ではなく真っ白の塊だった。

 どきりとした。どうしてここにいるのが涅瞋鬼でないのか、その事実がどうしても飲み込めなかった。

「どうしてお前が?」

 白猫が顔を上げた。可愛らしく頭を傾げて見せる。その口が開いた

「わかっていると思うけど、説明するべきなの?」

 その後にわざわざ『にゃあ』とつけてみせる。

 猫又。それもこちらの涅瞋鬼よりも強い。ここに白猫だけ来ているのがその証だ。

 あり得ぬ。老人はぎりぎりと奥歯を噛みしめた。拳銃はまだ持っている。だが猫又相手に人間の武器がどれだけ役に立つというのか。

 だが・・老人は袖に手を入れた。

 涅瞋鬼が逆らったときのために用意してあった猫又封じの札ならばまた別だ。

 前向きに考えれば、涅瞋鬼は死んだにしても、それよりも強い猫又が手に入るのだ。だからこれはむしろチャンスだ。

「名は何という?」

「M」

 迂闊にもそいつは即答した。老人の顔に笑みが浮かんだ。

「Mよ。我に仕えよ」

 それと同時に袖から霊符を振り出す。

 手で素早く印を組み、霊符を起動する。

 空中で霊符の文字が燃え上がり、それは妖力の鎖へと変じてMへと巻き付いた。

 たちまちにしてMの全身を術の鎖が覆う。

「ふはははは。これでお前は儂のモノだ」

 老人が高笑いした。

 だがそれも鎖の塊が膨らみ始めるまでだった。

 びいいいんとまるで本物の鎖でもあるかのような振動音を立てながら、術の鎖が弾け始める。


 馬鹿な。

 馬鹿な。

 馬鹿な。


 猫又縛りの術を圧倒できるなど、猫又の最上位のものにしかできないはずだ。

 猫又の位階の中で第一位は猫又の里の長であるマダラだ。そして第二位はその弟子のスイラ。三位に付くのが新参の百虎王。

 百虎王はさんざん世界各地で虐殺を欲しいままにしてきた最悪最強で最恐にして最凶の猫又だ。その姿は真っ白な大猫だと言われている。

 真っ白な大猫。

 まさか!

 すうっと老人の顔から血の気が引いた。

 もしそれが本当だとすれば自分がどれだけ背伸びしても抗う術はない。それは眼前遥かに聳え立つ大山脈なのだ。

 万の街を滅ぼし、千の城を落とした。それが過ぎ去った後には残骸と荒野しか残りはしない。伝説の化け物。

 百虎の王。

 震える膝に活を入れ、後ずさりを始める。こいつが術の鎖を抜けるまでに後どれだけの時間があるだろうか。

 老人が踵を返して走り始めたとき何かが空中を通り過ぎた。自らの頭を失ったことも知らぬ体はしばらくの間ただひたすらに走り続けた。



「これは・・・ひどい。」男の一人が言った。

「この血の跡じゃあ。ボスは死んだわね」女も混じっている。


 ここはふたたび崩れ去ったボスの家の跡である。警察の現場検証が終った後だが、さすがに飛び散った大量の血は洗い流せなかったものと見えて、まだ残っている。

 今は人通りも絶えた深夜だ。暗闇の中に組織の連中が持つ灯の輪が点在している。

 あまり長くは活動できない。

 都会には深夜でも起きている人間がかならずいる。自分たちが持つ灯は遠目には人魂が集まっているように見えるかもしれない。SNSにでも挙げられて話題にでもなったらコトだ。

「しかし、ボスご自慢の化け猫はどうしたんだろう? あいつが付いていながら」

「おい、ここに猫の缶詰があるぞ。ボスの買い置きだな」

「そうだ、それを開ければ化け猫も帰って来るかも。とにかく、今は一人、いや、一匹でも戦力が欲しい」

「良し。開けてみよう」

 ぷしっ。

 缶詰の中に入っていたのは期待していたような猫エサでは無かった。

 代わりにニキビ男が丹精込めて作ったプラスチック爆弾が一杯に詰まっていた。

 ・・爆発は連続して起き、辺り一帯に焼けた肉が大量に飛び散った。



 その黒猫は必死で道端を這っていた。

 腹には大穴が開き、左前足以外はすべて折れている。たった一本の足だけを再生することができたが、その時点で妖力は尽きた。これ以上はもう何もできない。

 その左前足の爪を地面に打ち込みながらじわりじわりと地面を這い進む。

 普通の猫ならば当の昔に死んでいただろう。だが猫又はしぶとい。

 なんとか猫又遣いの下に帰るのだ。傷が癒えるには長くかかるだろうが、きっと回復できる。

 涅瞋鬼はそう信じていた。

 使った妖力の回復が見られない。恐らくはあの白猫又の爪が原因だ。強力な猫又は妖力を使って様々な術を使うことができる。それには相手の妖力を阻害する術もある。

 術を使う猫又はすでに妖怪ではなく半神の領域に達している。

 アレは自分が敵う相手では無かったのだと今更ながらに思う。

 最初から最後までただひたすらに遊ばれていたのだ。

 だがいつかは。

 そうだ、いつかは。

 自分もあの強さの域に達してみせる。

 涅瞋鬼はまだ諦めていなかった。

 脇を通りかかったサラリーマンが、ちっ黒猫か、そう言いながら傷ついた涅瞋鬼を蹴り飛ばす。

 無力にも壁際に転がされながら、その相手の顔と匂いを記憶にしっかりと刻み付ける。

 次にこいつに出会うとき、この借りは返す。

 殺す。心の中で怒りの炎が燃え上がる。

 それを力として、もう一歩だけ這う。

 絶対に殺す。

 もう一歩。

 必ず殺す。

 もう一歩。


 そのときだ。何かが黒猫の体を打った。

 その衝撃は外ではなく内から来た。

 ああ、四郎の爺が死んだのだと、本能的に分かった。

 涅瞋鬼は蟲毒の術で作られた蟲猫なのだ。

 反乱を防ぐために、その命は術主に深く握られている。

 その生存の基礎が今崩れたのだ。

 最後の力が体から抜けて、黒猫は動かなくなった。



 Mは一足先に家に飛び込んだ。すぐに絵夢が家のドアの鍵を開けて入って来る。


「ただいま~。M。良い子にしてた~」

 にゃ~。Mが部屋の奥から出てくる。

「ああああああっ!」絵夢が叫ぶ。

 ビクリとMが身をすくませる。

 何? 何かドジを踏んだか? 俺は?

「缶詰忘れて来ちゃった~」

 Mはほっとした。

「あたしって本当にドジなんだから」

 パチリと電灯を付けながら絵夢が自分の頭を叩く。それから、Mに目を止めた。

「ああああ~。M!」

 にゃっつ? 今度は何だ?

「泥だらけじゃない! どこで遊んで来たの!?」

 にゃにゃっつ?

「お風呂に入れなくちゃ~」

 うにゃあああああ!

 暴れるMを捕まえて、絵夢は風呂場に飛び込んだ・・。


 ブーン。ぱちり。TVのスイッチが入って元締の顔が映った。

「やあ、絵夢。今日はご苦労だったね」

 ドタドタ。こら! M! まだ、耳が洗えていない!

 にゃあああ~~

「たった一人で敵の始末人をほとんど片付けるとは・・・」

 逃げるなあ。M。洗剤だらけじゃない!

 なああおおお。ふにふに。なあああおおお。

「あの。絵夢。聞いているのか? おい。絵夢」

 まだまだ。M。じっとして。もう一度洗うからね!

 なおおおお。にゃああにゃああ~

 TVがふたたび切れた。


 ・・Mの受難はまだまだ続きそうである。

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