女始末人絵夢2(2)女始末人絵夢の危険な一日

 うにゃああ。

 ホワイトペルシャのMが鳴く。Mは白い長い毛に包まれた大型の猫だ。

 左の目が青色、右の目が黄色のオッドアイと呼ばれるタイプだ。

 そのMは今、寝ている絵夢の頬を肉球でたしたしと叩いている最中だ。

 でも、絵夢は起きない。昨夜というよりは早朝までゲームをしていたせいだ。

 もちろんこうなることを予想していたMはさんざん邪魔をした。ゲーム機のコントローラーの上で寝たり、偶然踏んだフリをして電源をオフにしたり、電源ケーブルを齧り始めて絵夢を慌てさせたりなどである。

 だがすべての妨害を潜り抜けて朝日が昇る直前までゲームをし続けた絵夢はいまこうして夢も見ない眠りに落ちているのである。

 にゃあっ。にゃあっ。ご飯ご飯。Mが猫踊りをして朝ご飯をねだるが、絵夢は眠りから覚めない。

 すでに昼が近い。

 仕方がない。Mは決心した。

 使いたくはなかったが最終秘技を使うしかない。

 その青い方の瞳がキラリと光る。

 誰も見ていないことをいいことにタンスを垂直に歩いて登る。

 最初の獲物はハンドクリームの箱である。前足でそれを転がし、絵夢の布団の上に落とす。

 ぽすっと情けない音を立てて箱が落ちる。

 絵夢は起きない。

 次は止まったままの目覚ましを前足で叩き落す。厚みのある布団に衝撃を吸収されて大したダメージにはならない。

 やはり絵夢は起きない。

 次は熊のヌイグルミだ。それは布団の上で跳ねて畳の上に転がる。

 当然ながら絵夢は起きない。

 いよいよ大物に移る。それは様々な文房具が一杯に放り込んであるお菓子の大箱だ。

 これが落ちれば流石に目が覚めるだろう。それは間違いない。Mはほくそ笑んだ。

 大きな音がして部屋中に文房具が飛び散るのだから、いくら絵夢でもさすがに起きざるを得ない。

 Mは大箱を押した。

 絵夢ががばっと起きて箱を抑えると怒った。

「Mっ!」

 びっくりしたMが飛び上がりタンスから飛び降りると台所に逃げ込んだ。慌てていたので危うくタンスを垂直に駆け降りるところだった。

 自分の本当の正体を絵夢に知られるわけにはいかない。

「もお、Mったらロクなことしない」

 ぶちぶち言いながら絵夢が布団の上に散らばったものを片付ける。

 ふみいい。にゃあにゃあ。Mは精一杯の抗議をしてみせた。

「どうして、日曜の朝ぐらいゆっくり寝かしてくれないのよ。

 まだ、夜も開けていない時間よ。見なさい。M!」

 絵夢が勢い良く厚手のカーテンを開いた。日曜の午後の陽光がさんさんと部屋中に降り注いだ。


 どこにでもあるごく普通の猫と人間が織りなす光景。

 ただ二つ違うところがあるとすればそれは・・絵夢が始末人であり、Mが猫又であるということだけであった。



 ・・ようやく遅い朝御飯にありついたMは安心して絵夢の膝の上で眠っていた。

 絵夢はMを起こさないように、そっとジグゾーパスルを並べている。

 プツン。

 突然、TVの電源が入り。黒い覆面の男がTVに映った。

「こんにちは、絵夢。さて今日の仕事の件だが」

 仕事だ!

 絵夢がばっと立ち上がった。膝の上のMとジグゾーパズルがひっくり返る。

 絵夢のジグゾーパズルがいつまでも完成しないのには、こういう理由がある。


 仕事?

 ・・そう。仕事だ。


 始末人。

 悪に泣きます庶民の花が。苦しみ多き世の中に。

 誰か何とかしておくれ。悪い奴らを殺して頂戴。

 そんな貴方の望みを受けて、晴らして見せましょう、その怨み。

 私が必殺始末人。

 ・・そんなナレーションがどこからとも無く聞こえてくる。


「元締め~。あたし、この仕事辞めます!」

 絵夢が元気良く叫ぶ。この眩しい日曜の午後ならば始末人を抜けさせてくれるかもしれない。なんとなく絵夢はそう思っていた。

「さて、今回の仕事だが、絵夢。ちょっと込み入っている」

 元締と呼ばれる黒覆面の男は絵夢の言葉を完全に無視して話し始めた。

「その前に絵夢。その・・私の頼みを聞いてくれるかね?」

 元締が絵夢から目を逸しながら、言い難そうに言った。

「その。絵夢。なんと言うかだね・・・」あたふた。

「なんですかあ。元締」

 ようやく、意を決して元締は言った。

「パジャマの下が脱げているぞ」

 え!?

 あ!

 きゃああああああああ。元締のスケベ~。

 絵夢の渾身の拳を受けて、あやうくテレビが壊れかける。

 なぜか画面の向こうの元締めまで後ろに倒れて頭をどこかにぶつける。


 大騒ぎを演じる絵夢を横目にMは長々と床に寝そべっていた。

 どうして人間って身体に着ける布の事であんなに大騒ぎするんだろう?

 Mは深い溜め息を付くと、目を閉じた。

 俺はこの毛皮だけでいい。うん、これだけでいい。


【番組放送中に不適切な表現があったことをお詫びします】

 そう画面の下に提示して、元締は気を取り直して話始めた。スケベと言われたことが、相当響いたらしい。


「さて、絵夢。我々は正義の始末人だね」

「は~い。元締」

 あくまでも絵夢はめげていない。元から能天気で元気な女の子である。自分は始末人なんかではないと思っているが、それももう何となく有耶無耶になっている。

「我々の組織が引き受ける仕事はあくまでも悪人の始末だ。ところが最近、我々の縄張りに厄介な組織が入り込んでいるらしい」

「ええええ。ライバル会社ですかあ」

 年末にはボーナスが出るのだろうかと考えながら絵夢が言う。本業の方の会社のボーナスは残念なことに今年はまだ出ない。

「そうだ。しかも彼らの組織はターゲットを選ばない。今までに善良な市民が何人も死んでいる。ありていに言えば、彼らはただの殺し屋組織なのだ。この間から君の住んでいる町に頻発している事故の数々も彼らの仕業と思われる節がある」


 ・・寝たふりをしていたMの耳がピクリと動いた。誰が元凶か実はMは知っている。

 それはずばり絵夢だ。もっとも本人は何も知らないのだが。


「それが我々の上位組織であるヴェンデッタの注意を惹いたらしい。速やかに彼らを排除しろとの命が我々に下った」

「大変ですね。頑張ってください。あたし、応援しています」

 絵夢は必死でごまかす。

「善良な一般市民からも色々と声が上がっている。親を殺され、店を奪われ、奥さんを誘拐され・・まあ、いつものお定まりの悪行だ」

「許せない」

 絵夢が立ち上がった。

「ではあたしはこれで」

 テレビに手を伸ばすとチャネルを切り替えた。

「ではここで話題の韓国料理の紹介です」

 韓国の話題しか流さないテレビ番組が流れ始めた。人前で裸を見せるのだけが唯一の芸である無能芸人がヘラヘラとだらしない笑い顔を見せる。

 プツンと音を立ててテレビはふたたび元締めの画像に切り替わる。

「さて。そこで絵夢。これが君のターゲットだ。住所はここ。敵も殺し屋だから十分注意して始末してくれ。以上」

 ここまで来て絵夢はがっくりとした。

「ああ、元締~」

 ここではっきりと断らないと後がないと知った絵夢が食い下がる。

「正義の行い」

 元締めが例のフレーズを言った。

「正義の行い。正義の行い。正義の行い」

 ガンと何かが絵夢の頭の中を衝撃と共に駆け抜けた。

「そうよ、正義の行い!」

 絵夢が立ち上がった。その手の中にいつの間にか現れた一本カンザシがギラリと光る。

「そうだ。正義の行いだ。絵夢。君には期待している。では、絵夢。健闘を祈る」

 ・・プツン。テレビが切り替わった。画面の中で裸の男がヘラヘラと笑っている。

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