幕間劇1 ヴェンデッタ

 追悼ミサはつつがなく進行し今は福音書の朗読が行われている所だ。

 ここは丘の上に立つ大きな教会だ。大勢の参列者が大きな主聖堂を埋めている。

 礼服を着た子供たちがその細い喉から出る美しい高音で賛美歌を奏でる。

 バイプオルガンの荘厳な響きが建物の中を満たしている。


 年に十回行われるヴェンデッタの主要メンバーによる金にものを言わせた豪華な追悼ミサである。

 祭壇の上に配置された大きな写真の中では若い男がほほ笑んでいる。

 その男はヴェンデッタ第二位ジュリアン・ウィアーロ侯爵夫人の死んだ一人息子である。

 死因は麻薬のオーバードーズ、過剰摂取であった。すでに死んでから十数年が過ぎている。

 黒ずくめの十人の魔女たちがそれぞれ抑えきれない涙をハンカチで抑えている。


 今日は善いミサになったわね。ヴェンデッタ序列第一位グラン・アトラスフィアは心の中でそう思った。

 自分の子供たちの死因が交通事故であったことだけが救いだ。少なくとも麻薬はいけない。麻薬ならまだ親が止めることができるから。彼女はそう考えていたが、決してそれを口に出すことはなかった。それを聞けばウィアーロ侯爵夫人は落ち込んでしまうだろう。いまでさえ彼女の精神は危うい境界線上にある。

 自分の子供たちが死んだのは不可抗力だった。グラン夫人はそう思いたかった。

 お金はたくさんあったのに、あの子たちは自動車を盗んで売る方を選んだ。スリルを楽しんでいたというのもあるが、その本当の狙いは厳しい母親に対する反発があったのではないかとも彼女は気づいていた。

 だがそれは認めるわけにはいかない。夫亡き後にグラン財団を運営してきたのはこの自分だ。財産を狙ってくる有象無象からそれを守り、成人したら子供たちに引き渡すことだけが人生の目標だった。

 だがそれは根底から覆され、自分に残されたのは小さな箱に入ったわずかな骨の欠片だけだった。それといまや行く先を失った莫大な虚しき財産。


 また涙が溢れて来てグラン夫人はハンカチでそれを拭きとった。

 お付きの者が代わりのハンカチを差し出し、すばやく濡れたそれと交換する。この絹のハンカチ一枚で自分の半月分の給料になるのにという思いはプロであるだけに決して表情には出さなかった。

 今回のミサはウィアーロ侯爵夫人の息子のためのものだ。

 だがどちらにしろ自分の友人たちが泣いているのだから。こちらも悲しくならないわけがない。


 人の悲しみは伝染する。

 人の絶望は伝染する。

 そして、人の怒りは伝染する。


 ミサは進む。パンと葡萄酒が祭壇に捧げられ、奉納の言葉を司祭が読み上げる。

 取りて食らえ、こは我が肉なり。取りて飲め、こは我が血なり。

 パンはウィアーロ侯爵夫人が手ずから焼いたものだ。


 グラン夫人の子供たちを奪った事故の後に、最終的に誰が悪いのかを彼女は認識した。

 車両窃盗団だ。子供たちを唆し、盗んで来たものをすべて買い取ると宣言したあるマフィアの末端組織だ。

 そして彼女は同じく犯罪で子供を失ったジュリアン・ウィアーロ侯爵夫人に近づき、あるアイデアを口にした。

 それはたちまちにして同じような境遇の女性たちの間に広がり、闇の世界の魔女たちと呼ばれる十人で構成される組織が産み落とされた。

 世界に跨る秘密組織ヴェンデッタ。

 事故や犯罪や悪意により子供たちを失った女性富豪たちが創り上げた違法で秘密で凶悪で情け容赦ない機関。どこの諜報組織にも暗黒組織にも属さない独自の目的を持った地獄の出張所。

 悪を専門に狩る殺害組織。

 その動機は復讐。ただそれだけ。


 グラン夫人のベールの中で小さく柔らかなチャイムが鳴る。

 賛美歌を聞いているフリをしながら、その報告に耳を傾ける。

「アトラス。侵入者だ」

 友人でもある警護長からの緊急報告だ。その報告は早口で続いた。

「車が二台。乗員は八名。恐らくは武装」

「相手は?」グラン夫人は小さく口の中で呟く。喉に埋め込んであるマイクがそれを拾い上げて伝える。

「先日潰したRカルテルの残党だと思う。一人の顔がデータベースと一致した。幸運にもこちらの襲撃から逃れていたメンバーだな」

「そう。殺さないように捕まえなさい。彼らにはゲストになって貰います。できますね?」

「ヤー。イエス、マム」

 通信が切れた。

 司祭の合図で主聖堂に集う全員が立ち上がり、主の祈りを唱え始めた。



 黒塗りのセダンは二台連なり、丘の上の教会を目指していた。

 それに乗る男たちはいずれも膝の上にサブ・マシンガンを載せている。一人はロケット・ランチャーだ。

「狙いはミサに出席している十人のババアだ」

 リーダーと思しき男が緊張を顔に浮かべて話し始める。

「バルがランチャーで正面の扉を吹き飛ばす。残りはそこから中に飛び込み、撃ちまくる。出席者は放っておいていい。ババアたちだけは一人も残さず殺せ。高級そうな喪服を着たババアたちだ。見分けがつかない場合は構わん。全員撃て。その後はすぐに逃げて警察が来る前に高跳びだ」

 実際には警察など来ないことを知らずに、リーダーは念を押す。

 彼らはまだヴェンデッタの真の恐ろしさ、その狂いっぷりを知らなかった。

「さあ行くぞ、用意はいいか?」

 車は教会の大扉の前に止まった。付随する駐車場の中は高級車で一杯だ。周囲に人気はない。みなミサに出席中なのだから当たり前ではあるが。

 男たちはサブ・マシンガンのセーフティを外し、ボルトを引き初弾をチェンバーに送り込む。飛び出そうとドアに手をかける。

 その動作が合図だった。

 セダンの四つのタイヤが一瞬で同時に撃ち抜かれる。後続の車もそれに続く。

 狙撃されたのだと気付くのに一瞬の間が空いた。

 このまま車の中にいれば狙い撃ちにされる。

 男たちが車のドアを蹴り開けてその影に隠れた途端に、そのドアの蝶番の部分が吹き飛ばされる。

 大口径の対物狙撃ライフルだ。衝撃で跳ね飛んだドアにぶつけられて、リーダーは地面に這いつくばった。

 無数のそれも大口径の狙撃銃に狙われていると知る。それも凄腕が操るものだ。

 教会の植え込みの陰からスーツ姿の男たちが飛び出して来ると、アサルトライフルの銃口をピタリと襲撃者たちの頭に向けた。

 鍛え抜かれた軍人の動作だ。一分の隙もない。抵抗するだけ無駄と感じさせるには十分だった。

「お客様。どうかお静かに」

 スーツの男の一人が口に指を当てて言う。

「ミサの邪魔をした方にはこの場で死んでいただきます」

 スーツ男の一人が手早くハイポスプレーを使って襲撃者の首筋に薬を打ち込んでいく。じきに全員が動かなくなった。

 襲撃者のリーダーには最後まで意識があった。

「俺たちをどうする気だ?」

 かろうじてそれだけを言う。

「マダムからの命令で、あなた方はゲストとなります」

 そこで薬に抵抗できすにリーダーの意識は途絶えた。

 警護班は手早く男たちと故障した車を運び去った。


 教会の中ではグラン夫人以外は誰もこの事には気づかない。追悼ミサは最後まで中断されることなく進行した。



 目が覚めると自分が何かの建物の中に居て、両手両足が壁に鎖で繋がれていることが分かった。

 目の前にテーブルが置かれ、ヴェンデッタの魔女たちがその周りに数人座っている。全員まだ喪服を着たままだ。ミサの日は一日が終わるまで喪服で過ごすのが魔女たちのいつもの習慣であった。

 テーブルの上にはお茶とクッキーが置かれている。

 それを前にして魔女たちは楽しそうにお喋りをしている。

 一人がこちらに気づいた。グラン夫人だ

「あら、やっとお目覚めのようね」

「ここはどこだ!」

 ふふっとグラン夫人が小さく笑った。

「最初に訊くのが自分がいる場所のこと?

 もっと先に訊くことがあるでしょうに。いいわ、教えてあげましょう。ここはウィアーロ侯爵夫人の館よ。今日の追悼ミサの施主のね。彼女の息子は麻薬のせいで死んだの」

 それを聞いてテーブルの前にいたもう一人の魔女が俯いた。

「オレをどうするつもりだ?」

「そうそう、それよ」グラン夫人が楽しそうに手を叩いた。

「それを教えるために貴方が目を覚ますのを待っていたのよ。

 ここにいるのは貴方だけじゃなく、襲撃してきた他の方々も来ているの。つまり貴方たちはウィアーロ侯爵夫人のゲストに選ばれたの。

 そしてこれから・・喜びなさい。貴方たちが売りさばいていた麻薬をたっぷりと振舞われることになるの。

 あらあら、どうしたの。顔を蒼くして。

 粗悪品の麻薬がそんなに怖いの?

 でも安心なさい。絶対に安全だから。ここには専門のお医者さんがいるから絶対に安心よ。

 麻薬に中毒したら、お医者様に見せて、今度は強制的に治療もしますし」

 この言葉にリーダーは絶句した。

「そんなことをして何になる?」

「何になる?

 何もならないわよ。

 でもね、失った子供たちの復讐をすることができる。

 それが何よりも大事なの。私たちが失ったものを少しだけ取り戻せるものはそれしかないの。

 これから貴方は何度も何度も麻薬中毒になり、そのたびに地獄の苦しみの中で離脱させられ、また麻薬中毒にされる。それをいつまでも永遠に続けるの。

 それを見る事でしか私たちの心は癒されない。正義が執行されることだけが私たちの心の拠り所なの。

 信じられるかしら?

 ウィアーロ侯爵夫人の牢には十年物の中毒患者がまだ吊るされているのよ。

 後で貴方にも紹介するわね。

 でも残念だけど話はできないと思うわ。その人、もう長い間笑い続けるだけになってしまっているから。

 食事も取らないから流動食を流し込んでいるけどそれでも骨と皮だけなのよ。

 やっぱりもう長くないのかしら。

 ねえ、貴方はどう思う?」

 しばらくの間、言われた言葉をリーダーは頭の中で反芻していた。そして最後に一つだけボソリと呟いた。

「・・狂っている・・」

 グラン夫人は心底おかしそうに笑った。

「狂っている? 当たり前じゃない。子供を失った母親が狂う以外に何ができるというの?」

「俺たちをそんな目に遭わせても・・」

「・・子供が戻ってくるわけがない。もちろんそれぐらいは分かっているわ。でもそれが復讐ってものでしょ。

 でも貴方には特別にチャンスを上げるわ。私の質問に答えたら、ここではなく私のゲストにしてあげてもいい」

 吊るされたままのリーダーの目が細くなった。

「あんたの所はどんな拷問なんだ?」

「とっても単純よ」

 グラン夫人は拷問という言葉を否定しなかった。

「車に乗せて壁にぶつけるの。あたしの子供たちがそうなったように。普通は二三回もぶつけると死んでしまうけど」

 長い沈黙が落ちた。だがとうとうリーダーは口を開いた。

「その質問ってのを言ってみろ」

「ヴェンデッタの事をどこで聞いたの? そう簡単には裏を辿れないはずだけど」

 下部組織のどれかが秘密を洩らしたとしたらお仕置きをしなくちゃねとグラン夫人は呟いた。

「蛇だよ。蛇と名乗る男から聞いた」

 リーダーは吐き捨てた。くそっ。奴がヴェンデッタの組織がどれほど『硬い』か教えてくれさえいたら、こんなことにはならなかったものを。

「蛇?」

「暗黒街の情報屋だ。何でも知っているという話だ。金さえ積めばどんな情報でも教えてくれる」

「そう。蛇ね・・」

 それについては改めて調べればよい。グラン夫人は合図をした。

 部屋の入口が開き、見るからに屈強な男たちが何人も入って来る。

 一人がまたリーダーに何かを注射し、ぐったりとした体を皆で運び出す。


 男たちが出て行き、部屋が静けさを取り戻すと、魔女たちはテーブルの周りに集まり、今日最後の祈りを捧げた。

「私たちの子供の魂に平安あれ。そしてこの世に平和が満ちますように」

 どこか遠くから小さく悲鳴が聞こえてきた。

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