女始末人絵夢1(4)不始末御免 

 電車から降りるときに絵夢は靴底が消えているのに気が付いた。靴底が丸ごと剥がれ落ちている。電車の中で誰かに踏まれて剥げ落ちたのだ。

 あ~ん、折角、新しく買った靴なのに、と絵夢は嘆く。

 あまり高いとは言えないお給料をやりくりして買ったお気に入りの靴だった。

 ぶつぶつ言いながら立ち去る絵夢の靴底は・・と云うと。


 その男は電車から降りようとして足を滑らせた。何かに革靴が滑べったのだ。あ、と倒れながら男は見た。誰かの靴から剥がれ落ちた靴底だ。俺はこれに滑べったのだ。

 ごつん。

 いい音がした。

 列車の最後尾から、頭を打って気を失った男が線路に滑べり落ちる。近くにいた駅員が慌てて助けようと線路に降りた。もう次の快速列車が反対側のホームに滑り込んで来る。緊急停止ボタンを押す暇はなかった。

 向かい合うホームからこの光景は良く見えた。何をやっているのかと、皆がこれから起きる惨劇の予感に身を乗り出した拍子に、列車を待っていた人々のバランスが崩れた。

 でででででん。

 バラバラと人が線路に落ちた。何人かはそのまま気を失う。起き上がった人達の上を反対側から滑べり込んで来た列車が通り過ぎた。

 肉と骨が車輪の下で砕ける感触を知り、その列車に乗っていた全員が吐いた。



 遠くでサイレンが鳴っている。救急車が何台も連なって道路を疾走している。

 遠くでガス爆発の煙が上がっている。宙に噴き上げられたマンホールの蓋が落下と共に次の犠牲者を作り出している。消防車が何台も連なって周辺の叫びをかき消している。

 すぐ近くで警官の怒号が聞こえる。ショットガンの発射音。逃げ惑う通行人の悲鳴。パトカーがサイレンを鳴らしながら次々と集まって来る。


 それらの騒ぎを一切気にせずに、崩壊したビルの残骸の中を古都総十郎は歩いていた。

 大勢の警官や消防官が走り回っている中、止められることもなく黒づくめの総十郎はその中を静かに歩いている。

 誰も彼のことは気にしない。彼はいま隠形の術の中にあるのだ。

 瓦礫に触れ、まだ土煙が混ざる空気の臭いを嗅ぎ、総十郎は目を瞑って考えていた。

 百虎の臭いが混ざっている。空気が微かに妖力を含んでいる。

 最初はついに百虎が禁を破って大量虐殺を再開したのかとも思った。そうなればマダラ条約は破棄され、百虎は即時殺処分の対象となる。

 それは容易ではないだろうが、それでも裏刈屋名簿第一位の総十郎にできないことではない。彼は妖魔暗殺のプロなのだ。

 だが、ここに残った因果の臭いはそれを否定していた。百虎は確かに関わっているがあくまでも手段としてだ。原因ではない。

 そして驚くべきことに百虎が関わっているあの娘も手段であり原因ではなかった。

 総十郎は汚れ仕事を専門とする。今までにも色々な惨劇の現場に立ち会ったがこんなケースに出会ったことは初めてだった。

 つまりこれらの事故事件災害災厄はなるべくしてなったものであり、誰かの悪意が作り出してものではないということになる。

 あくまでも偶然なのだ。それがどれだけあり得ない確率であろうとも。

 偶然の事象ならばどれだけの死者が出ようが、少なくとも刈り屋の仕事の範疇ではない。

 古都総十郎は手にしたビルのかけらを捨てて立ち上がった。

 現場を後にしながら、もしかしたら・・とも思った。

 あの女性は例の蛇を殺す手段になるかもしれない。

 しかとは判らないが因果の理をわずかにでも越えられるならば、千年の因果万年の因果に守られた蛇を殺すことができるかも知れない。

 百虎はそれを分かってあの女性にくっついているのか?

 日本の刈り屋の支配者である古都家の末っ子。家系の歴史の中でも最弱と蔑視される男にして、同時に極秘の裏刈り屋名簿第一位に載る暗殺者総十郎にしてもこれを理解できないのだ。

 いったい誰がこの理由を知ろう?

 疑問は深まるばかりであった。


 総十郎の足下の瓦礫の隙間から目が覗いた。

「ちくしょう。あの女。あいつぁ。あいつが」

 若頭である。体半分が瓦礫に押しつぶされていたがまだかろうじて生きていた。

 総十郎とその目があった。

「あんた・・助けてくれ」

 総十郎はじっとその顔を見つめる。その人間に纏わる因果を推し量る。

 若頭の体には地の底から伸びた無数の手が絡みついている。今の状況もなるべくしてなったものだ。

 遅かれ早かれ。そういうことだ。

「何している。早く助けてくれ。ひどく痛いんだ」

 ふっと総十郎の顔に笑みが浮かんだ。

 どこか遠くの夕焼けを眺めているかのような、この世のすべてを離れて見ていて、それでいて深く愛しているかのような表情であった。

「助けることはできない。だが慈悲を施してやろう」

 総十郎はそう言うと、袖から一本の針を振り落とした。

 それは真っすぐに若頭の首に落ちると、正確に脊椎の隙間に突き刺さった。

 若頭の体が痙攣し、一瞬で絶命する。

 その首を貫いた針はつうと空中に浮かび上がると、ふたたび総十郎の袖に戻る。

 その場を立ち去るまで総十郎は振り返りもしなかった。



 家に帰ると早速にテレビが点いて黒い頭巾を被った元締めが映った。

 このおかしなテレビ、買い替えようかなとぼんやりと絵夢は思う。

「ご苦労だった。絵夢」

「あの」

 絵夢は口ごもった。失敗を報告したら何が起こるか。まず怒られるのは間違いない。

「実に見事な殺しだった」

 元締めは絵夢のことは無視して話を進めた。

「あの・・その・・」

「だが。ビルごと爆破はちょっとやり過ぎではないか?」

 何がどうなってんのよ?

 絵夢は慌てた。

 爆破って何のこと?

「いや、仕事の結果に文句をつけるつもりはないんだ。ターゲットの死も確認した。だが次からはもう少し穏やかなやり方をして欲しいものだ。あまり派手にやるとヴェンデッタの消去リストに今度はうちが載りかねない」

 元締めは深いため息をついた。

「それでもう何組も下位組織が潰されているんだ。悲しいのは宮仕えかな。いや、済まない。くだらないことを言った」

「あの。元締め」

「報酬はまた冷蔵庫に入れてある」

 何だか、絵夢がきちんと仕事をやり遂げたことになっているので、絵夢は口を挟むのは止めた。

「では次の仕事が決まったらまた連絡する」

 映像が途絶えた。

 向こうの部屋から出て来たMを抱きあげながら絵夢は独り言をした。

「いったい何だったのかしら? M、あなた何か知っている?」

 うにゃんと体をくねらせながら、Mはとぼけて見せた。

 この後冷蔵庫を開けてそこにあった札束を見て絵夢は驚くことになる。



 どこにでもある猫と飼い主の幸せな光景。

 だがそこにはただ二つだけ違いがある。

 飼い主は始末屋の一員であり、飼い猫は猫又なのである。


 そしてこの物語は、最強の一匹の蛇と最狂の一匹の猫と最凶の一人の姫による実にはた迷惑な復讐劇を綴ったものなのである。

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