第27話 これからも

 時間が過ぎるのは、長いようであっという間だ。

 花奏と息を合わせてリズムを取って美玲を好きに暴れさせながらも、俺のドラムを思いっきりぶつけていれば、あっという間に終わりが訪れる。


「——『エボニー&アイボリー』でした! ありがとうございましたー!」


 三曲全力で演りきった後、美玲が高らかに叫んだ。

 フロアからの歓声や拍手を浴びながら、ようやく出番が終わったことに安堵し、もう終わってしまったことに一抹の侘しさを覚えた。


 ……ああ、そうか。


 そこでようやく自覚する。


 ——この時間が本当に楽しかったんだ。


 そうでなければ、胸の中に満ち満ちているこの充足感を説明できない。

 普通に生きていたら一生味わうことができなかったであろう、この奇妙で痛快な感覚を。


 そう、これはまるで麻薬だ。


 この体験を一度知ってしまったからには、もう戻れない。

 もっと……もっと欲したくなる。


「でも、これが最後か——」


 天井を仰ぎ、ぽつりと呟いた。


 ステージの照明が落とされ、フロアに薄明かりが戻る。

 惜しみつつもドラムセットを元に戻し、どこかふわふわとしたおぼつかない足取りでステージを後にする。

 楽屋に戻れば、共演者の人らが俺らを笑顔で出迎えていた。


「お疲れ! 今回もかっこよかったよ!」


「やっぱお前らヤバいわ!」


「いつもより客席凄く盛り上がってたよ!」


 弾んだ声で口々に褒めてくれる。

 美玲と花奏はそれらに笑って応え、自分の席へと戻っていく。


 そんな二人の後ろを金魚の糞みたいにひっそりと付いていこうとすれば、


「——シャチくんもかっこよかったぜ!」


 近くにいた男子がぐっと親指を立てて白い歯を見せた。

 確かこの人は、俺らの前に出てたバンドの……俺を見てぎょっと目を見開いてた人だったか。


「あ……えっと、その……あ、ありがとう、ございます」


「また機会があれば対バンしような!」


「う、うす……その時があれば、よろしく……お願いします」


 ゔっ、陽キャオーラが眩しい……!!


 美玲で多少慣れたつもりだったが、どうやら俺の思い上がりだったようだ。

 緊張で全然平常心を保てないし、思考が回らないでいた。


 ……ん?

 あー、これ違うな。


 上手く頭が回らねえの陽キャを前にした緊張じゃなくて、ただ単に酸欠に陥ってるだけだ。

 こんなふざけた被り物被ったまま全身全霊でドラム叩きまくればこうもなるか。


 やばいな、なんか今になって気持ち悪くなってきたぞ。


 とりあえず椅子に座ってグロッキーになっていれば、


「これから打ち上げやるけど、参加する人ー?」


 共演者の一人が全員に呼びかけた。

 殆どの人はすぐに賛同していたが、俺は迷わず不参加を決断するのだった。


 ——自分で言うのもなんだが、最後まで締まらねえ……。






   *     *     *






 繁華街を抜けて駅まで辿り着く。


 ライブハウスを出てからもシャチの被り物は相変わらず被ったままだったから、補導されないかずっと気が気でなかったが、何事もなく無事に来ることができた。

 とはいえ、流石に電車の中でもシャチ頭のままいるわけにもいかないので、さっきトイレに寄って被り物を外しておいた。


「今日はほんとに助かったよ。ありがとね、陽人くん」


「う、うす……」


 改札の手前、見送りに来てくれた美玲に会釈を返す。


「すみません、わざわざ見送りしてもらって。打ち上げもあるというのに……」


「いいって。打ち上げは後からでも参加できるし、先に花奏が顔を出してくれてるから。それよりも陽人くんがちゃんと帰れるかどうかこの目で確かめる方がずっとずーっと大事だよ! 一人でも大丈夫そう?」


「だ、大丈夫っす。もう電車乗って、ちょっと歩くだけなんで。えっと、心配してくれて……あ、あざます」


 言えば、美玲は再びにこりと笑ってみせる。


 何度も俺を陰から引っ張り上げてくれた眩い笑顔。

 これを向けられるのも今日で最後だ。


「じゃ、じゃあ……これで」


 ——名残惜しいな。


 改札を潜ろうとIC読み取り部にスマホを翳そうとした時、ふと思ってしまう。


 折角、ライブを演りきったときの快感も、バンドで演奏する面白さも、誰かと一緒に一つの音楽を共有する楽しさを知ってしまったのに、それを自分から手放すというのか。


 ……そうじゃない、知ったんじゃなくて教えてもらったんだ。

 他でもない美玲に全部、教えてもらったんだ。


 なのに、これで終わりにしてしまうのか……?


「……そんなのは、ダメだ——嫌だ」


 改札を通るのを止め、スマホをポケットにしまう。

 躊躇いも不安も深く吸い込んだ空気と一緒に胸の奥底に押し込め、俺は美玲の元へ引き返す。


「美玲さん!」


「わっ!? どうかしたの、陽人くん。忘れ物?」


「あ、いや……そう、じゃなくて、その……」


 ——ここまで来てビビるな、ちゃんと伝えろ。


 必死に自分に言い聞かせ、美玲と向き合う。

 小首を傾げる彼女を真っ直ぐと見据え、意を決して口を開く。


「実は……昨日、花奏さんに言われてたんす。もしその気があるなら、サポートドラムを続けてみないかって」


「……うん、花奏からその話は聞いてるよ」


「正直、サポートドラムは今日限りにしようと思ってたっす。最初に今回だけって伝えてたし、ライブにはその……色々とトラウマがありましたから」


「……そう、だったね」


 俺が何を言おうとしてるのか察したからだろうか。

 美玲の目線が僅かに落とされる。


 まあ、俺の過去を知ってたらそうもなるか。

 実際、今日のライブはかなり無理して参加したわけだし。


「——本当に今回限りのつもりでした。でも……美玲さんにどうにか背中を押してもらって、数年ぶりにライブをしてみて思ったんす。……楽しかったって」


「え……」


「嘘じゃないっすよ。本心から参加して良かったって思ってます。それもこれも全て美玲さんのおかげっす」


 だから、と一度言葉を区切ってから、


「——美玲さんさえ良ければ、もう暫くの間、俺にサポートドラムを務めさせてくれませんか?」


 美玲に恩を返すためにも、何より俺自身のためにも。

 もっとバンドを続けていきたい。


 バンドへの加入を嘆願すれば、美玲はポカンと俺を見つめていた。

 それから数秒たっぷりかけてから、徐に口を開く。


「……ほんとに、いいの?」


「冗談でこんなこと言わないっす。こんな俺でいいのであれ——」


 言い切るより先に美玲が俺の手を両手でがっしりと掴んだ。


「うん!! これからもよろしくね、陽人くん!!」


 そのままぶんぶんと嬉しそうに腕を振る彼女の笑顔は、満開の向日葵のように咲き誇っていた。

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