第26話 灰色の払拭、青の奪還
三つの楽器の音が寸分違わず重なる。
俺の疾走感溢れる4ビートに花奏の堅牢な低音がうねり絡まる。
これによって築かれた舞台の上を美玲のギターが縦横無尽に踊り回る。
「こんにちはー! 今日のトリを務めます『エボニー&アイボリー』です! 最後の最後まで思いっきり盛り上がっていきましょー!!」
簡単な挨拶の後、オブリガートの隙間にピッキングハーモニクスがねじ込まれる。
練習ではやってこなかったアドリブのアレンジだ。
美玲は悪戯っ子のような……それでいて自信に満ちた純粋な笑顔で真っ白なテレキャスターを弾き倒す。
——そうだ、俺は……この笑顔に引っ張られてきた。
喧しいくらいに心臓が逸る。
思うように呼吸ができず息苦しくなる。
またも脳内のイメージと実際の動きが乖離を起こそうとする。
けれど、心底楽しそうに演奏する美玲を見るだけで不思議とテンポが安定する。
負けじと刻むビートが力強くなる。
緊張と不安と恐怖が瞬く間に高揚に変わっていく。
三者三様の音楽がぶつかり合い、会場のボルテージが上がりきったところで、美玲と花奏の歌声が迸る。
美玲の突き抜けるようなパワフルでアグレッシブなリードボーカルを花奏のコーラスがそっと添えるようにしながら華やかに彩る。
俺はその陰に隠れながら、息を潜めるように二人の歌声を支えつつも、声の切れ間にハイハットのパラディドルを挟み込むことでアクセントを出す。
練習ではやって来なかったフレーズだが、今はこれをやるのが一番良いと思った。
自分の中の感情と理性の葛藤を音にしてぶつけ合うのがバンドであれば、ライブは本能と己の勘を頼りに激流を下るようなものだ。
事前にどれだけ綿密に計画を組んでいたとしても、咄嗟の判断が全てを覆すこともあるのだと現在進行形で体感している。
——これは後で花奏に雷を落とされることになりそうだな。
思いつつも構わず曲の流れに身を任せてドラムを叩いていく。
フロア全体を揺らすつもりでバスドラを踏み鳴らし、空気ごと切り裂くようにクラッシュを打ち鳴らす。
気づけば、唐突に湧き上がってくる激情を止められないでいた。
(……違う、俺が抑えたくないんだ)
ドラムには言葉も音階も存在しない。
他の楽器みたいにメロディーを通して想いや感情を分かりやすく伝えられない。
それでも本能に語りかけることはできる。
言葉のない主張が二人の歌声と音色に溶け込んで、広がっていく。
激しい降り注ぐ光と音が脳裏にこびりついてた戯言を削ぎ落としていく。
俺らの演奏で盛り上がる観客の姿が記憶の奥底の悪夢を徐々に消し去っていく。
ドブに塗れて薄汚れていた最悪の思い出が一筋の青にそそがれる。
一曲目が終わり、それぞれの楽器の残響が会場を包む。
直後、それをかき消すような歓声が巻き起こる中、乱れた呼吸を整えながら美玲がマイクを取る。
「ありがとうございました! 一曲目『青へ走れ』でした!」
会場全体のボルテージがもう一段上がる。
フロアからは美玲と花奏への称賛が送られる。
(……まだ一曲終わっただけなのに凄い盛り上がりだな)
流石、トリを任せられただけあるか。
初見であろう客の心までがっちり掴んでやがる。
美玲のMCを聞き流しながら、俺は次の曲に備えて水分補給をする。
シャチの被り物を被っているせいで余計に茹だるように暑い……!
ドラムセットに隠れて被り物の隙間からストローを通して水を飲んでいれば、突然美玲がこっちを向いた。
「あ、そうだ! さっき……というか、ライブが始まってず〜っと気になってた人がいたと思うから紹介するね! 今回、サポートドラムで参加してくれているシャチくんです!」
「ぶふっ!?」
いきなりこっちに振るなよ!
飲んでた水、吹き出しかけたじゃねえか……!
「多分、今日来てくれていた人の大半があのシャチ頭の人、一体何者なんだろうって思ってただろうけど、実はわたしたちの助っ人でした! 恥ずかしがり屋さんなので正体は秘密です!」
とりあえず会釈だけしておこう。
暗がりからでも観客の視線が俺に集まっているのが分かる。
だけどさっきの演奏で色々と心の整理がついたからだろうか。
不快感はそれほど感じない。
「……それにしても、花奏さんや。今日、こうしてステージに立って演奏するまで色々ありましたな〜」
「あー、うん……そうだね。いきなりドラムが不在になったことから始まって、色々あってどうにかそこのシャチくんを見つけたけど、さっきリハしたら急に演奏ボロボロになるし、ライブが始まるまでどっか消えるしで本当にどうなることかと思った」
「うっ……!!」
あの、いきなりチクチク言葉で刺すの止めない?
俺の心ガラス製なんだよ。
マジで赤子の手をひねるくらい簡単に砕けちゃうよ?
花奏はため息混じりに俺を一瞥すると、ふっと笑みを溢してから、
「——でもさ、さっきの演奏見たら分かるでしょ? アタシらのくだらない心配を吹き飛ばすくらいブチ上がるドラムだったよね! ねえ!?」
煽り立てるようにフロアに呼び掛ければ、怒号のような歓声が返ってきた。
拍手に指笛に雄叫び。
それらも一つになって俺にぶつけられる。
(やべえ……なんか、感極まって泣きそうだ)
けど、ここで泣くのはまだ早えよ。
泣くのも笑うのも、あと残り二曲をきっちり演奏しきってからだ。
「アタシも美玲もシャチくんもこっからもっと飛ばしていくよ! 皆んな、盛り上がる準備はできてるよね!?」
「さてと、それじゃあ次の曲いくよ! 聴いてください——!!」
美玲と花奏と顔を見合わせる。
二人がしたり顔で俺に頷くのを確認してから、スティックで4カウントを鳴らしてみせた。
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