第24話 時代は狼でも猪でもなく
「どう、落ち着いた?」
「うす。お見苦しいところをお見せしました……」
「大丈夫、気にしないで」
言って、美玲は朗らかに微笑む。
昨日、俺が思っているほど良い人じゃない、なんて自分で口にしていたが、全然そうは思えない。
むしろ俺の中では、これまでの人生で出会った人の中でダントツの聖人だ。
彼女に並ぶ人間がいるとすれば、それこそ——両親くらいなものだろう。
なんてことを考えつつ、貰ったスポドリでカラッカラに乾いた喉を潤していれば、
「ね、陽人くん」
柔和な笑みを浮かべながら美玲が口を開く。
「本当にダメそうだったら、無理に出ないでもいいからね。花奏にはわたしから説明するし、これで陽人くんと友達じゃなくなるわけでもないから」
「……っす。ありがとう、ございます」
完全な善意による提案だった。
俺を慮ってのことだろうが、だからこそ俺は頭を振ってみせる。
「——でも、大丈夫です。出ます」
正直、ステージ上での怖さは少しも克服できていない。
気持ちだけでどうにかなるなら、リハの時点で改善できている。
現実はそんなに甘くないのは分かっているつもりだ。
それでも出ようと決意を固めたのは、他でもない美玲に恩を返したいから。
こんな情けない俺を肯定してくれた美玲の見る目が正しかったと、何らかの形で証明したいからだ。
「心配かけてすみませんでした。でも、もう逃げないっす……!」
真っ直ぐと美玲の顔を見据えて言えば、
「そっか。……うん、ありがとね、陽人くん」
美玲はベンチから立ち上がり、公園の外へと歩き出す。
それから日陰を出たところで振り返り、太陽のような満面の笑顔で手のひらを差し出した。
「それじゃあ……一緒に戻ろっか!」
「……うっす」
俺も小さく笑い返して、日陰から一歩踏み出した。
* * *
ライブハウスに戻れば、花奏がスマホを弄りながら入り口の前に立っていた。
「花奏ー! 陽人くん連れて戻ってきたよー!」
「……あ、やっと戻ってきた。もうライブ始まるよ——って、は?」
こちらを見た瞬間、花奏が固まる。
怪訝な眼差しは、俺へと向けられていた。
「あのさ、隣に立ってんの陽人……で合ってるよね?」
「うん、合ってるよ! ちょっと訳あって、これ被ってもらってるんだ」
言って、美玲も俺をちらりと見やる。
花奏が混乱するのも無理はないよな。
何せ俺は今——シャチの頭部を模した被り物を被っていた。
こいつは、公園から戻る途中にヨーキ・ホーテに立ち寄って購入したものだ。
ステージ上からフロアが見えることが俺のトラウマを発症するのであれば、フロアを見えづらくすることで症状を抑えられるのではないか、という推測の元に試してみることにした。
当然、これで上手くいく保証などないし、最悪の場合、ただ変なやつがステージでクソみたいな演奏だけして帰るという状況に可能性だって十分にあり得る。
それでも無策で行くよりはずっとマシであることには変わりない。
言ってしまえば、一縷の望みに賭けたギャンブルだった。
とはいえ、だ。
俺としては顔を隠せて、視界をある程度遮れればなんでも良かったのだが、
『時代は狼でも猪でもハシビロコウでもなくシャチだよ!!』
などと美玲が強く推してきたので、これを被ることにした。
ところでハシビロコウって何……鳥の仲間か何かなのか?
あと道ゆく人らの衆目が集まっていて、早く人目の無いところに隠れたいです。
ついでに言うと、さっきからお巡りさんから補導されないか不安で仕方ないです。
——まあそれはともかくとして。
俺の突然の変化に花奏は戸惑いを隠せずにいたが、すぐに平静を取り戻し、嘆息を溢しながらも美玲に訊ねる。
「一応、確認するけど……ふざけて被ってる、とかじゃないんだよね?」
「もちろん! 後でちゃんと事情を説明するけど、さっきの失敗を踏まえて真面目に対策案を考えた上でのことだから勘弁して!」
「……全く、とりあえずちゃんと叩ければそれでいいけどさ」
再び、小さくため息を吐く花奏に俺は、意を決して声をかける。
「——あ、あの……花奏さん」
「ん、何?」
「さ、さっきは……逃げ出して、すみませんでした。これで上手くいくかは、正直全然自信はない……すけど、どうにかお二人の足を引っ張らないよう全力は尽くしますので……その、改めてよろしくお願い、します」
こんな格好じゃ説得力ないだろうすけど。
最後に自嘲しながら付け加えれば、花奏は俺の肩をポンと叩いて、
「別に陽人が謝る必要はないよ。外の空気吸いにいっただけなんでしょ。なら、この話はそれで終わり」
宥めるような声音で言ってみせた。
そして、ほら、さっさと戻るよ、と階段を降りていく花奏の後を追うことにした。
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