第22話 唐突なる絶不調

「ドラムさーん、バスくださーい」


 PAさんの指示に合わせてバスドラムを何度か踏んでいく。


「はい、オッケーです。次、全体でお願いしまーす」


 ツインペダルを使ったグルーヴ重視の8ビートを刻み、フィルやコンビネーションといったおかずを入れていく。

 クラッシュやライドも使いながら叩いていけば、程なくして返しのスピーカーからもドラムが聞こえ始める。


「ありがとうございまーす。じゃあ、次はベースさん音くださーい」


 それからすぐに花奏の音響調整に移った。


 ——ふう、なんとかなったか。

 ライブハウスで演奏するなんて初めてだからどうなるかと思ったが、案外どうにかなるもんだな。


 無事に終わったことにひとまず胸を撫で下ろす。

 けれど、まだ緊張が和らぐことはない。

 緊張は時が経つにつれて寧ろ高まっていく。


 やっぱりステージからフロアを見下ろす構図が似てるからだろうか。


 ここにいるだけで吐き気が込み上げてくる。

 氷水に漬けたかのように指先が冷え切って、なのに高熱を出した時みたく呼吸が荒くなる。


 落ち着け……落ち着け、俺。

 まだリハーサルだ、観客は誰もいないし共演者もまだ来ていない。

 いつもスタジオでやっている通りに叩けばいいだけだ。


 そう自分に言い聞かせて、呼吸を整えているうちに美玲の音響調整も完了する。


「ありがとうございまーす。それじゃあ、何か一曲ワンコーラスでお願いしまーす」


「はーい! 『青へ走れ』でいいよね?」


「いいよ。陽人もそれでいい?」


「あ……う、うす」


 頷いて、タイミングを図ってから4カウント。

 違和感を感じたのは、演奏が始まってすぐだった。


 ——やばい、ドラムがもたつく……!!


 手足が上手く動かず、少しリズムが遅れ気味だ。

 気づいて、すぐに修正しようとすれば今度は走りがちになる。


 花奏のベースに全神経を集中させることで、どうにかリズムを合わせることには成功する。

 けれど、叩いているというより叩かされているといったような不甲斐ない演奏をしているせいで、美玲も花奏もかなり弾きにくそうにしているのが見てとれた。


 結局、最後までリズムが安定することはなく、俺のせいでぐだっぐたのリハーサルとなってしまった。


「——ありがとうございましたー。それでは本番もよろしくお願いしまーす」


 ペダルを備え付けの物に戻した後、フロア奥にいるPAさんに一礼してから舞台袖の楽屋に移動する。

 荷物が置いてある近くの椅子に腰掛け、あらかじめ買っておいたペットボトルの水を一気に飲み干せば、遅れて戻ってきた美玲と花奏が俺を心配そうに見ていた。


「陽人くん、なんか調子悪そうだけど、どうかした……?」


「……大丈夫っす。でも、しばらく一人にして欲しいっす。出番までにはちゃんと戻ってくるんで」


「いや、全然大丈夫そうじゃないんだけど。明らかに顔色悪くなってるし、演奏にも支障出ちゃってるじゃん」


 花奏に言われて鏡を見れば、青白くなった俺の顔が映っていた。


 こんな顔で大丈夫と言われても説得力は皆無だ。

 だとしても、今更弱音を吐くことはできない。


「本当に大丈夫なんで、気にしないでください」


 外の空気吸ってきます、と強引に話を切り上げてから俺は、逃げるようにしてライブハウスの外へ出て、駅とは逆方向に歩き出す。

 そのまま繁華街を抜けた後、偶然見つけた公園に入り、日陰がかかったベンチにもたれるようにして座り込んだ。


「……はあ、情けねえ」


 ——ダサすぎるだろ、俺。


 過去のトラウマを払拭できないまま来て、ボロッボロの演奏をして、美玲と花奏に心配も迷惑もかけて。

 二人とも俺の実力を見込んでサポートドラムを頼んできてくれたのに、あんな無様晒した挙句、逃げ出すとかマジでありえない。


 やっぱり俺には、バンドとか無理だったんだ。


「あー、このまま家に帰りてえなあ……」


 ライブ直前になった逃げ出した最低野郎のレッテルは貼られるだろうが、元から陰キャでぼっちのチー牛野郎なんだ。

 今更悪印象が一つ増えようが二つ増えようが、大して変わりはない。


 ——まあ、実際に行動に起こす勇気なんか持ち合わせていねえんだけど。


 それに本気で帰るつもりだったら、もうとっくに駅に戻っている。

 ちょっと現実逃避をしたかっただけだ。


「……もう少ししたら、戻って二人に謝らねえと」


 ぼうっと空を見上げながら呟く。

 スマホと財布しか持ってないせいで曲を聴けないから、代わりに環境音に耳を澄ませて流れる雲を眺める。


 それからどれくらい時間が経ったのだろうか。

 体調もメンタルも大分戻ってきた頃、


「やっと見つけた」


 弾むような声がしたかと思うと、首筋にひんやりとした何を充てられた。


「うわっ!?」


 反射的に跳ねるようにして起き上がれば、買ったばかりであろう新品のペットボトルを持った美玲が立っていた。


「……美玲、さん」


「良かったー、帰っちゃったらどうしようかと思ったよ」


「す、すみません。急に飛び出したりなんかして……」


「ホントだよ、もー」


 冗談めかすように笑って、美玲は俺の隣に腰掛ける。

 改めて持っていたペッドボトルの一本を俺に手渡す。


「はい、どうぞ。スポドリだけど飲めそう?」


「だ、大丈夫っす。……すみません、わざわざ」


「ううん、気にしなくていいよ」


 言うと、美玲はしばし俺の様子を窺ってから、おずおずと訊ねてくる。


「——ねえ、陽人くん。さっきのことなんだけど、何があったか聞かせてもらってもいい、かな?」


 疑問が純粋な心配によるものだというのは、表情を見ればすぐに分かった。

 だからなのか、本当は打ち明けるつもりはなかったのだが、迷いに迷った末にリハーサルでやらかした理由を白状することにした。


「……実は——」

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