第6話 今回だけ
充実した時間はあっという間に過ぎ去るというが、あの言葉は本当にあるのだと、防音室の鍵を時雨さんに返す北嶋を見ながらしみじみと思う。
「いやー、まさか一時間ぶっ続けで演奏するとは思わなかったよ」
「そうっすね。すぐ終わると思ってたんですけど」
おかげで当初の目的は、未だ果たせずじまいになってしまった。
とはいえ、俺としては好都合だ。
出来ることなら、話が有耶無耶になったまま解散したいもの——、
「あっ、堀川くん。これ、日曜日のライブでやるスコア。明後日、ベースの子も交えて合わせ練習をやるから頭に入れておいてね」
「……え、あの、俺……まだ一言もやるとは——」
「えええっ!? この流れでやってくれないの!?」
逆になんでやる前提になってるんだよ。
「むぅ〜……堀川くんの人でなしー! ついさっきまであんなに濃密で刺激的な時間を過ごしたじゃんか〜!」
「何か思いっきり勘違いされそうな言い方はやめてもらえませんか……」
下手すると社会的に終わっちゃうから。
今、ここにいるの時雨さんだけだからまだいいけど。
——いや、良くはないか。
「時雨さんもこっち見てニヤニヤしないでくれます?」
「あはは、ごめんごめん。新鮮な陽ちゃんを見れてるからつい」
軽口で謝る時雨さんを見て、ため息が溢れる。
……まあ、確かにさっきのセッションは楽しかった。
一切の誇張抜きにしても、ここ数年の中で最も楽しかったと言っていい。
だけど、それとこれとは話が別だ。
俺はまだサポートドラムで参加することを承諾などしていない。
了承したのは、話を聞くことだけだ。
——とはいえ、だ。
逆に言うと、その最初の約束はまだ履行されていないわけで。
このまま帰りたいのは紛れもない本音ではあるが、一度約束を交わしてしまった以上はそうもいかない。
受けるにしても断るにしても最終的な判断を下すのは、一度ちゃんと北嶋の話を聞いてからだ。
「……あの、時雨さん、そこのスペース使わせてもらっていいですか?」
部屋の隅に置かれたソファを一瞥して確認を取れば、
「うん、いいよ。好きなだけ使っちゃって〜」
「あざます。じゃあ、そういうことだから……北嶋さん。向こうで話聞くっす。時雨さんにも会話聞かれるだろうけど、それでもいい……すか?」
「……うん!」
元気に返事をすると、北嶋は鼻歌混じりにソファへと歩き出す。
俺も続いてソファの近くまで移動すると、先にソファに座っていた北嶋がぽんぽんと空いているスペースを手で叩く。
「……えと、なんでしょうか?」
「堀川くんも座ろうよ!」
「え……いや、俺はいいっす」
「そう言わずに、ほらほら!」
言いながら右手を掴まれると、有無を言わさず北嶋の隣に座らされる。
そんな俺を見て、北嶋は満足げに頷いてみせた。
——陽キャってこういうことも臆せずできるのか、こっわ……。
学校一の美少女が眼前に居る緊張感よりも戦慄がちょっとだけ上回った。
けれど、それ以上に——彼女の硬くなった左手の指先に意識を持ってかれる。
(……本当に練習してたんだな)
何年もギターを弾き続けてきたであろう努力の証明。
それと深く切り揃えられた女子高生らしからぬ爪は、正真正銘の歴を重ねたギタリストの指先だった。
そんなことを思っていると、北嶋は居住まいを正して俺に体を向けてみせた。
「じゃあ、改めて……堀川くん。今回だけでいいので、ウチのバンドのサポートドラムとして次のライブに参加してくれませんか?」
真剣な眼差しと声音。
自然と俺も背筋が伸びる。
「……えっと、烏滸がましいとは重々自覚した上での確認、なんすけど……俺じゃなきゃ駄目、なんですか?」
「今はもうきみ以外には考えられないかな。さっきのセッションで確信した。ドラムを任せられるのはきみだけだって」
「そう、なんすね。……あの、理由を訊いても、いいっすか」
「理由、かー。……うーん、そうだなあ……まず前提として、ドラムが凄く上手い。それから変な警戒をしなくてもいい。そして、何よりも——」
そこで言葉を切ると、拳一個分体を寄せてから満面の笑顔を浮かべる。
「——きみと演奏するのがとても楽しかったから! これがきみにドラムをお願いしたい理由だよ」
「俺との演奏が……楽しかった?」
「うん! じゃなきゃ、一時間ノンストップでセッションし続けられないよ。……って、言葉にするとちょっと恥ずかしいね」
続けて、えへへ、と頬を指で掻きながらはにかむ北嶋。
瞬間、思わず顔を逸らしてしまう。
——やっぱり俺には、彼女の笑顔は眩し過ぎる。
(でも……そうか。北嶋も楽しいと思ってくれてたのか)
なんだか思った以上に……嬉しい。
同じ感情を共有できることがこんなに喜ばしいとは考えもしなかった。
だからだろうか。
悩みに悩み抜いた末、普段の俺では考えられない結論に至る。
そして、何度か逡巡し、言いあぐねた後、
「……その、じゃあ……今回だけ」
腹を括って頭を下げれば、北嶋はぱあっと目を輝かせた。
「——ありがとう! 短い間だけどよろしくね、堀川くん!」
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