第4話 断りきれず、ずるずると
結局、勧誘を断りきれずに『Lilac』まで来てしまった。
一軒家を丸々改造して作られたスタジオを前にして、俺は小さくため息をこぼす。
最後まで貫くことのできない自分の意思の弱さに辟易してしまう。
「——今日は来るつもりじゃなかったんだけどな」
「ん、なんか言った?」
「あ、いえ……なんでもないっす」
「……? まあ、いいや。早く中に入ろ! 一時間だけだけど部屋を予約してあるから!」
観念してスタジオに入る。
入り口から少し離れたところにあるカウンターでは、時雨さんがいつも通りに電子タバコを吹かしていた。
あの人も相変わらずだな……。
「すみませーん、十七時から予約していた北嶋です!」
「あ、美玲ちゃん。やっほー、待ってたよ。良かった、ちゃんと陽ちゃん連れて来れたんだね」
「はい! とりあえず、ここのレンタル料二時間分で話を聞いてくれるそうです!」
それで手打ちにしてくれるようゴリ押しされただけだけどな。
まあ、ゴリ押される俺も大概だが……って、ちょっと待て。
「あの、なんで……時雨さんと北嶋、さんの距離感そんなに近いんですか?」
北嶋がここを訪れたのは、ごく最近の話だったはず。
それに時雨さんは、客とそこまで親しく触れ合うようなタイプではない。
なのに、どういうわけか、いつの間にか関係性が構築されている。
状況に付いていけずにいると、時雨さんが俺の疑問を解消してくれる。
「ちょっと前に美玲ちゃんから陽ちゃんの事を訊かれてね。それで仲良くなったって感じだよ。LINEの連絡先も交換してあるよ。ね、美玲ちゃん?」
「はい!」
友達なるの早過ぎて怖えよ……。
これが陽キャの成せる業というやつか。
俺のようなコミュ障には到底真似できそうにはない。
けれど、おかげでなんで北嶋がいきなりロクに話したことのない俺にサポートドラムを頼み込んできたのか、その理由が分かった。
「……なるほどな。時雨さんが一枚噛んでたんすね」
「あはは、ごめんね。美玲ちゃん、なんだか物凄く困ってそうだったから」
「やっぱりか。……まあ、もういいっすけど」
過ぎたことを今更蒸し返しても仕方ないし、時雨さんとしても別に俺を困らせようとしてやったわけではないはずだ。
もし仮にそうだったとしても(多分ないとは思うが)、いつも安く部屋を使わせてもらってるのだから、時雨さんの顔を立てる為にもこのくらいの便宜は図って然るべきなんだろうな。
「……ああ、そうだ。ちょっと時間は早いけど、お客さんいないしもう入っちゃっていいよ」
「いいんですか!? ありがとうございます!」
時雨さんから鍵を受け取ると、北嶋は俺を向いて手招きする。
「よし、それじゃ行こっか! 堀川くん!」
「……うす」
北嶋に連れられて入ったのは、いつも俺が使っている部屋だった。
五畳にも満たない小さな一室。
ずっと一人で過ごしてきた空間に俺以外の人間がいる。
——不思議な感覚だ。
聖域を土足で踏み荒らされたような激しい嫌悪と同時に胸の奥底で微かに生じる期待と安堵。
それらがぐちゃぐちゃに入り混じって、よく分からない感傷に全身を浸されているような、そんな不思議な感覚。
居心地が良いのか悪いのかさえ自分では判断が付けられず、ドラムスローンに腰掛けながらドラムセットの位置を調整する傍らで、北嶋は慣れた手つきで機材のセッティングを行っていた。
(……間近で見ると、機材凄いな)
見ているこっちが訳分かんなくなりそうなエフェクターボード。
トレモロアームが取り付けられた真っ白なボディのテレキャスターは、初心者用の安いやつじゃなくてハイスペックモデルであろうことが一目で分かる。
加えて、佇まいが完全にギターが弾ける人間のそれだった。
——本当にギター弾けるんだな。
改めてそう思わされると、俺の視線に気づいた北嶋が小首を傾げる。
「……ん、どうかした?」
「えっと、その……なんか様になってるなーって」
「そう? ふふっ、ありがと! そう言うきみも中々に様になってるよ」
言って、柔らかな微笑みを浮かべる北嶋。
その笑顔があまりにも眩しくて、つい目線を逸らしてしまう。
——陰キャにあの笑顔は劇薬過ぎる。
「……別に、お世辞はいいっすよ」
「お世辞じゃないよ! だってシンバルとかの位置を調整する時の堀川くん、凄く手慣れててドラマーって感じがしたもん」
「そう……っすかね」
「うん、そうだよ! というわけで……相談の前にセッションしてみない?」
「えっ、セッション?」
訊き返せば、北嶋は力強く頷く。
「そう、セッション! 一度合わせれば、お互いの音楽性とかも分かると思うし。ドラムスティックは持ってるでしょ?」
「……まあ一応、一組だけは」
「よし、決まり! それじゃあ、準備できたら言ってね」
小さくため息。
後ろに置いたバックパックからドラムスティックを取り出す。
特にこれといった理由はないが、普段から一組はドラムスティックを持ち歩くようにしている。
北嶋がこの事を知っているのは、時雨さんから教えて貰ったからか。
(——セッション、か)
誰かと一緒に演奏するなんていつ振りだろうな。
少なくとも高校に入ってからは一度も記憶にない。
——心臓がどくりと跳ね、呼吸が少し浅くなる。
胃の奥から込み上げてくる不快感を悟られぬように抑えつけ、スネアのスナッピーを上げる。
全ての楽器の音がしっかりと鳴ることを確認してから北嶋に視線を向ける。
「その……先に言っとくけど、大して叩けないっすよ」
「問題なし! まずは楽しむことを優先しよ! それじゃあ、好きなタイミングで始めちゃって!」
「……うっす」
一つ深呼吸。
そして、ゆったりとした動作からビートを刻んでみせた。
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