第九話 恋

「で、どうして俺がフィーネさんにここまで付き合わなきゃいけないんです?」


 食事の後、例の如くフィーネはジェフに街の案内、あるいは暇つぶしをせがんだ。

 少年は買い物や街中の名所の案内を散々したが、それでも彼女の要求は続き、あげく『いい雰囲気の所に連れて行け』などと無茶な要求を突き付けられた。

 そこでジェフは、かつてエリーと二人で訪れたこの場所に、その姉を連れて行くはめとなった。


「こんな美人と二人きりなんだぞ、少しは嬉しそうにしたらどうなんだ?」


 ひと気の無い小高い丘の頂上からは、ラドフォードの街並みが広がり見える。そして二人はそんな場所に置かれた、誰かが丸太で適当にこしらえたベンチに並んで腰を下ろしていた。

 誰が見ても恋人同士の逢瀬にしか見えないが、その相手が想い人では無い少年の表情は晴れやかなものとは言い難かった。


「自分で美人とか言うなよ……」

「あ? 何か言ったか?」


 ジェフのぼやきにフィーネは柄の悪そうな口調で牽制をする。


「いえいえ、何も言ってませんよ? で、ご満足頂けましたか?」


 慇懃無礼な態度で言葉を返す少年だったが、娘はそれを意に介さないように目を細めてこう言った。


「ああ、満足だよ」


 その横顔は一抹の寂しさを含んでいた。

 思わずジェフはそのフィーネの姿に、かつてのエリー――傷心に苛まれ、氷のように心を閉ざしていた頃の――を重ねる。


「あの……、フィーネさんも好きな人とか居たりするんですか?」

「さっきも言っただろう、そんなものが居た事なんて一瞬たりとも無いよ。あたしが知っている恋は物語の、作り物だけだ」


 ゆっくりと山際に下る太陽は、気付けばその姿を橙色へと変えていく。夕焼けに照らされた街並みに視線を向けたまま、彼女はそれ以上、何も言わない。


「そうですか。じゃあ今後に期待ですね」


 だが、諦観とも思える表情を浮かべたフィーネとは対照的に、ジェフは微笑むように目を細めて彼女の方を向く。

 すると娘も、この時を待っていたかのように、少年の方を向き直し、その顔を真っすぐ見つめてこう言った。


「なあジェフ、お前、エリーは諦めて、あたしと恋人にならないか?」

「っ……⁉」


 突然過ぎる告白にジェフは言葉を詰まらせるが、そんな彼などお構いなしにフィーネは自分の気持ちを口にする。


「好きな奴が居ないと言ったが、半分あれは嘘だ。あたしはずっとお前が気になっていた」

「ど、どうして、一体いつからそんな風に……?」


 僅かに後ずさる少年は、必死に平静を保とうとするかのように、自身の胸元に手を当てた。


「かつての戦い……、ジェラルドとの戦いの最中に、お前がエリーの為に命を掛けると言った時からだ。心底、馬鹿な奴だと思ったが、それと同時にあたしの妹をこんなにも想う男が居る事に妬いたよ」


 口元を緩めたフィーネはジェフから視線を下げると、自嘲するかのように小さく息を吐いて言葉を続けた。


「あたしもあんな風に想われたい、本当の意味で、一人の女として、人間として大切に想って欲しい。そんな気持ちでいっぱいになった。そして今日、こうしてジェフと一緒の時間を過ごして、自分の気持ちに正直になろうと思った」


 話し終えた娘は顔を上げる。その蒼い瞳は夕焼けのそれとは違う煌めきを帯びていた。

 しばし、二人は視線を合わせたままだった。そして、太陽は山の向こうへと姿を隠し、空はその色を濃紺へと染まろうとする頃、ようやく沈黙が破られた。


「ごめん……なさい……」


 睫毛を伏せたジェフは、絞り出すかのように返答を述べる。瞬間、僅かに残された茜は天からその居場所を失った。。


「やっぱ無理だよな~! 歳も十二歳離れてるし、どう考えたって勝算は無かったな!」


 夜の帳の下りた丘の頂に、フィーネの大きな声が響いた。彼女は立ち上がり、数歩進むと、眼下に広がる、家々から漏れだす灯りの作るもう一つの星空を眺めながら大きくのびをする。


「これだけ付き合わせた上に、変な事言って悪かったな! さ、いい加減帰るとするか!」


 そう言うと、フィーネはベンチに置いた荷物を持って家路へと歩みを進めた。


「あっ、ちょっと!」


 そんな彼女の態度に、ジェフは困惑の表情を浮かべて後を追った。




「もういいから、自分の家に帰れよ」

「嫌です。俺は女性を家まで、しかも夜道にエスコートしないような男じゃありませんから」


 二人の足取りはどこかゆっくりだった。

 そして、いよいよこの角を曲がればレンフィールド家、という所でフィーネは足を止めた。


「本当に、ここまででいいから」


 人気の無くなった路地裏で振り返ると、娘は少年を真っすぐ見据えて言葉を掛ける。


「まあここまで来れば平気ですかね……、というかフィーネさんなら暴漢に襲われても消し炭に変えそうなので、どちらかと言えば暴漢を守った事になるのかな?」


 重い雰囲気にならないための気遣いか、ジェフはしょうもない冗談を言いながら笑って答えた。


「こんな可憐な娘相手に言う事じゃないと思うぞ」


 フィーネも彼の気持ちを汲んでか、冗談交じりに言葉を返しながら小さく笑った。控えめな二人の笑い声が少し響き、やがて微笑みを浮かべた二人は視線を合わせる。


「今日は楽しかったよ、ありがとう」

「どういたしまして、でも何て言うか、もうしわ……」


 気持ちに応えられない事を謝ろうとしたジェフ。その彼がそれ以上、自身を責められないよう、フィーネは唇でそっと少年の口を塞いだ。

 初めて感じる柔らかな感触、一瞬の出来事だった。


「えっ」


 驚くジェフに娘は柔和な笑顔をただ浮かべるだけで、何も語ろうとはしなかった

 だが少年はすぐに笑顔を――それは作り笑いかもしれない――浮かべ、小さく別れの挨拶を口にする。


「じゃあ、おやすみなさい」


 彼は言い終えると同時に夜の街へと走り去った。

 そして、フィーネはそんなジェフの後姿を見送りながら、消え入るように小さく呟いた。


「じゃあな……、あたしの初恋」

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