第十話 夜食
ある晩の事だった。すっかり寝息を立てるミーナを傍目に、フィーネは椅子に腰掛けたまま窓の外を眺めていた。少女が風邪をひかないように、少しだけ開かれた鎧戸の隙間から見える夜空には、満天の星が瞬いている。
「姉さん、まだ起きていたの?」
するとそこにエリーが姿を現した。家事を終えた様子の彼女は小さくため息をつくと、急ごしらえの粗末なベッドに腰をおろす
「眠れなくてな。ところでそろそろアルサーナに帰ろうと思うんだ、明後日かそれくらいにここを発とうと思う」
「そう。もう夏も終わりですし、バカンスも幕引きね」
素っ気ない態度で髪の結い紐を解くエリーに、フィーネは口を尖らせて言葉を返す。
「少しは名残惜しそうにしたらどうだ? 相変わらず可愛くない妹だ」
「姉さんに愛想を振りまいて得があるのかしら? あの一件で、十二分に礼は尽くしたつもりだけど、まだ足りない?」
手近な台に結い紐を置き、後ろ髪に手櫛を通しながら答えるエリーの口角が下がる。そんな妹の表情にフィーネは苦笑を漏らすと、今までの彼女の振る舞いからは想像し難い台詞を口にする。
「また会えるとも限らないし、あたしは寂しいよ」
思わず目を見開くエリー。その蒼い瞳にはどこか寂し気に微笑む姉の姿が映る。
だが、フィーネはそんな表情を一転させると、すくと椅子から立ち上がった。
「という事で、最後に二人で酒でも飲みに行かないか? お前が世話になっている酒場、あそこは確か夜遅くまで開いているだろう?」
姉の突飛な提案にエリーは白い眼を向けつつも、再び結い紐を手に取った。
「へえー、エリーちゃんのお姉さんか。どうりで美人なわけだ!」
テーブルに料理を置きつつ、酒場の主はフィーネの顔を覗き込むようにそう言った。
皿の上には盛り付けられた肉にはしっかりと焼き目が付けられ、あふれ出た肉汁と適宜振りかけられた香辛料が混ざり合い、夕食後だというのに何とも食欲をそそらせる香りが姉妹の鼻腔へと届く。
「あら、マスターは随分とお口がお上手ですのね。きっと、お料理の腕も同じくらいお上手なのでしょうね」
桃色の液体の注がれたグラスを片手にフィーネはくすくすと笑ったが、かたやの妹エリーは木製のジョッキを手にしたまま呆れた顔を彼女へ向けた。
「さあ、冷めないうちに食べてくれ。それにしてもフィーネちゃんは見た目だけじゃなくて、仕草も可愛らしいねえ! 姉妹で、うちで働いてくれたら繁盛間違いなしなんだけどな!」
上機嫌な店主は大きな声でそう言い、二人に笑顔を向けた後に店の奥へと消えていった。
「さあ、頂くとするか!」
「まったく……、太るわよ」
同じく上機嫌にフォークを握るフィーネを見据えたまま、エリーは琥珀色の苦み走った飲み物を喉奥へと流し込んだ。
「大丈夫、お前と一緒で……いや、お前と違って太りにくいからな」
妹が向ける非難にも似た視線などお構いなしに、フィーネは湯気を立ち昇らせる肉の一枚にフォークを突き立て、先ほどの応対からは想像出来ない大口でそれを頬張った。
噛み締めるたびに口腔内には肉汁があふれ、絶妙な塩加減と、爽やかでありながらも肉自体の香ばしさ引き立てる刺激的な香りが鼻に抜けた。
「ん~~、これは絶品だ!」
「……私の分まで食べないでよ」
その様子に、エリーも肉を一切れ口へと運ぶ。確かに姉の言う通り、街の酒場で食べる料理としては美味であった。
そして、二枚、三枚と食べ進めるフィーネに、エリーは呆れたように声を掛けた。
「とは言え、王宮ならもっと美味しいものがいくらでも食べられるでしょ?」
すると不意にフィーネは手を止めると、おもむろに手にした食器を置く。ナフキンで口元拭った彼女は、口直しをするかのようにグラスの中身を口に含み、それを飲み下した。
「一人で食べる食事など、味気無い」
喧騒の中、姉妹は互いの蒼い瞳を見つめ合う。先ほどとは異なり、寂し気な表情を浮かべたのはエリー。そしてそんな妹に微笑むフィーネはちいさなため息と共に口を開いた。
「お前が居なくなったあの夜から、あたしは本当に一人になった。一応、あの馬鹿クソ親父は居たけどな」
「……ごめんなさい。姉さんにばかり負担を強いてしまって」
顔を伏せたエリーはいつになく弱々しく言葉を返す。そんな彼女を気遣うかのように、フィーネは鼻を鳴らすとさらに言葉を続ける。
「今となっては笑い話だが、相当に王宮はしっちゃかめっちゃかになったんだぞ。あたしの気苦労を少しは労わって欲しいもんだよ」
「姉さんがそう言うのなら、余程だったのね」
「聞きたいか? いや、聞きたくなくてもあたしが話したいから聞け!」
酔いが回ってきたのか、語気の強弱が上手くつけられなくなりながらも、フィーネは何故か得意気に過去を語り始めようとする。
「それで姉さんの気が済むなら、いくらでも聞くわよ」
「よーし、それじゃあお前が居なくなった後の王宮の惨状について、事細かに教えてやるからな!」
口を湿らそうと、今一度飲み物を口にすると、フィーネは紅くなった顔で話を始めた。
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