第八話 想い

 翌朝、というよりも太陽が東の空に随分と高く昇った頃、フィーネは紺色の袖なしブラウスと水色のスカートに身を包み、裏路地を颯爽と抜けていく。そして熱を帯びた大気などなんのその、娘は数分の後に目的の場所へと着く。

 抜ける様な青空の下に佇む、古めかしい――というよりも、雑然としていて小汚い――道具屋の前で一度身なりを整えると、彼女の洒落た装いとはおよそ似つかわしくない、薄暗い店内へと足を進めた。


「ごめんくださいませ」


 フィーネの鈴を転がすような声が店の中に響いたが、ただそれっきり、誰も声を返さない。

 それでも二度三度と声を掛け、徐々に娘の声色に荒さが現れ始めた頃、ようやく少年の返事が気怠さと共に返って来た。


「は~い、何か御用で……えっ⁉」


 言葉と共に姿を現した少年、ファロン道具店の息子ジェフは眼前の女性の顔を見るや否や言葉を失う。


「よっ」

「じょ、女王様⁉ どうして、いや……偽者?」


 あまりにも突然の邂逅に、少年は理解が追い付かないかのように目を白黒させたが、フィーネはそんな彼を見ながら口角を上げて言葉を返した。


「本物だよ。信じられないなら、一発どこかで炎をぶっ放して見せてやろうか? 誰にも真似出来ないような特大のやつを、な」

「……その物言いは確かにフィオレンティーナ様ですね。にしても、どうやってここに?」


 可憐さすら纏う麗しい外見とは裏腹な乱暴な言葉に、ジェフは肩をすくめつつも目の前の女性がかつて戦いのさなかに深紅の炎竜と化し、邪悪な術士との死闘を繰り広げた女王フィオレンティーナである事を認識する。


「まあ話せば長くなるんだが、取りあえず食事でもどうだ?」

「でも、店番が……」

「どうせまともに番などしていないだろう。それにこんな汚い店に買い物に来る奴などそうはいまい」

「まあその通りですけど……。ところでエリーさんとミーナも一緒ですか?」


 僅かにひんやりした空気と、埃の匂いに包まれた二人はおもむろに互いの距離を近づけつつ言葉を交わす。


「いや、あいつら居ないよ。二人きりだ」

「それじゃまるでデートじゃないですか! お、俺はエリーさんの事が……」

「別にナニをするわけじゃあるまい。それとも、あたしとは食事すらしたくないとでも言うのか? 遠路はるばる、こんな辺境の街に来たというのに……」


 店内を物色するようにその蒼い瞳を泳がせたフィーネは、落ち着いた口調ながらも脅しにも似た文言を口にした。


「わ、わかりましたよ! 行きますよ、行けばいいんでしょ!」


 金色の頭髪を掻きむしると、少年はげんなりとした表情で娘の誘いを受け入れた。




 さんさんと照り付ける陽光を遮るように、店舗の軒先に張られた天幕の下、いわゆる洒落たカフェテラスで二人は食事をしていた。控えめという言葉を忘れた、あるいは知らない人間が作ったかのような山盛りのクリームの盛り付けられたパフェを食べるフィーネに、ジェフは呆れた顔で言葉を掛ける。


「よく食べますね」

「あたしはたくさん食べても太りにくい体質だからな」


 妹エリー同様に――もしくはその華奢な体躯を考えればそれ以上に――大食いなフィーネの姿に、少年は胸やけを覚えながら手にしたグラスの中身を啜る。

 そんな少年の事などお構いなしに彼女が頬張るのは、真っ白で、口に入れれば幻の如く消える軽い口どけのクリーム、それには琥珀色のキャラメルソースがこれでもかという程に掛けられていた。そして二つ目を今まさに食べ終えんとするとき、娘は持っていた長柄のスプーンをパフェグラスに置いてこう言った。


「で、エリーとはどこまで行ったんだ?」


 唐突かつ直接的な物言いに、ジェフは思わず飲み物を吹き出しそうになる。


「ど、どこまでって! エリーさんと俺は恋人でも何でも無いんですよ⁉」

「お前随分奥手だな。その見た目なんだから女を手玉に取るなんて容易そうだが?」

「人を遊び人みたいに言わないでください!」

「それじゃあ自分の気持ちを伝えられない腑抜けなのか、それともエリーの事がそれ程好きじゃないのか? わかったぞ! 本命はミーナか!」


 必死に反論を続ける少年を前に、人の色恋沙汰を娯楽とでも思っているかのようなフィーネは楽しそうに言葉を続けた。けれども、やがてジェフは困り顔を通り越して、半ば泣きそうな顔つきで唇を噛む。


「な、なんだよ、男のくせにそんな顔をするなよ」

「フィーネさん、言い過ぎですよ……」


 少年の悲壮感に満ちた顔つきに、流石のフィーネも口が過ぎたとバツが悪そうに視線を逸らした。そして残ったグラスの中身を食べ終えると、未だに下を向く少年に謝るように言葉を掛ける。


「確かに言い過ぎたよ。お前、本気なんだな」

「……」


 フィーネの謝罪にジェフは何も答えない。娘は珍しく眉を八の字にすると、申し訳無さそうに心境を吐露し始めた。


「ちょっとお前たちがうらやましくて、からかっただけなんだ。あたしは本気で誰かを想った事もないし、想われた事もないからさ」

「フィーネさん……」


 少年は眼前に座る娘が本来このような場所に居るはずの無い、女王という立場にある者だという事を思い出す。恋などとは無縁な、仮にあったとしても成就する事などあり得ない立場の彼女も、一人の人間で、一人の女性であった。

 その複雑な心中を察したかのようにジェフは顔を上げると、半べそのような表情から一転、精一杯にきざな笑いを作る。


「大丈夫ですよ。フィーネさんだって美人なんだから、良い恋人が出来ますよ」


 能天気な台詞と少々間の抜けたような笑顔。それがフィーネにとって何よりだった。


「へっ、やっぱりお前、たらしだな」

「……前言撤回しても良いですか」


 照れ隠しの憎まれ口をたたいたフィーネは、グラスの残りを口に放り込むと明るい笑顔を取り戻した。

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